4:決意

「喋ったと思ったら何ダァ、手を離せだと?誰に対してモノ言ってんだ?」


怖い、でも。


俺は今逃げ出したら、これからの何事に対しても逃げ続ける。


そんな気がする。


そして、俺は決まってこの出来事を言い訳にするだろう。


まるで盾の様にして、武器は持たず、その場に立ち止まり続けるだろう。


惨め過ぎて、目も当てられない。


だから、食い下がってやる。


「俺はこの女と食事をしているんだ。連れていくなら他を当たってくれ。」


言った、言ってやった。


怖い、足が震えてる。


どれだけ酷くても大ケガで済んでくれれば良いんだが…。


隠しきれない不安が心臓の鼓動を加速させている。


「エイミーちゃん…。」


不安が表情に出るのも無理はなく、ヴィーナスが心配そうに此方を見つめていた。


「ハッ、良く言ったな。じゃあ、殴り合いで決着するしかネェな。」


男は手を離した瞬間、股割の要領で深く腰を落として右手を後ろに構えていた。


筋肉の筋という筋が見え、体も何割か肥大したように見えた。


何なんだ、あの構え。


こんな大男の全力パンチ、喰らったら死ぬんじゃないのか?


でも、今逃げるよりは良い。


自分に言い聞かせるようにして、その場で身構えた。


「喰らえっ。」


有り得ないスピードで撃ち込まれる弾丸のような拳は、俺の反射速度を優に超えていた。


「がはっ…。」


腹部に回転するようにして拳が撃ち込まれ、気付いた時には俺の体は吹き飛び、食事をしていた客のテーブルに激突した。


「ウッ…オッ…。ゴハッ…。」


脳では処理できない程の激痛に加え、胃液と混じった血を口から吐き出した。


「はっ、死んじまったか?普段モンスターばっかり相手にしてるモンでなあ。加減の仕方を忘れちまったよ。」


大勢の客が俺と大男を見て、騒いでいるのを肌で感じる。


でも、生憎他の事を気にする余裕が無い。


早く、立ち上がらなきゃ…。


「うっ…ぐっ…。」


体が鉛のように重くなっている。


「うるせえ…、平然と人を犠牲にするお前に、ヴィーナスを…。」


拒絶反応を起こして、上手く立ち上がる事が出来ない。


「人を誰よりも大切にするアイツを…、利用するなんて…、反吐が出るからな。」


よろめきながら何とか立ち上がり、歩を進める事が出来た。


まずい…、意識が遠のいていく。


何とか歩いて、男の目の前に辿り着く。


「醜い顔してるぜぇ…?相当効いたみたいだナァ。でも、生きてた事だけは褒めてやるぜ。あれで死んじまう奴の責任なんざ背負いたくもネェしな。さっさとかかってきやがれ。」


男はニヤリと笑い、挑発してきた。


だが、違う。


コイツは勘違いをしている。


「俺はお前を殴らない。」


盾を持つ事は弱い事じゃない。


かと言って、そこで立ち止まっても意味は無い。


俺は今持っている盾を使い、今持っている全ての力でコイツを止めるしかないんだ。


盾はある。


世界の誰よりも純粋な気持ちで、人の幸せを祈るヴィーナスを見てしまった。


一つ、思い出したことがある。


俺は母親と一緒に居る時間が無かった。


だから少しの時間でも見れたその顔を、俺は鮮明に覚えている。


思い出せたのは当然だと、今理解した。


その覚えている顔はヴィーナスの笑顔と似ていた。


一緒に居る時間が無いと分かっていた母親は何を思って、その一瞬を笑おうと思ったのだろう。


恐らくその答えが分かる日は来ないが、俺は感謝しなきゃいけない。


こんなにも心が温かいのだから。


「アァ…?頭でもおかしくなっちまったか?」


殴られる事で敵の体力を消耗させてやる。


悪いが、俺の理想に付き合ってもらうぞ。


「お前こそ、かかってこいよ。ビビってんのか?俺はお前を殴ったところで何も変わりそうにないからな。だったら殴らない方がマシだ、人を殴らないに越した事は無いからな。」


敗北する事も無い変わりに、勝利する事も無い。


今はそれで良い。


此処で死ぬ事さえ、正当化してみせるさ。


自分の身体に嘘をついてまで、ヴィーナスの願いを守る為に強がったんだ。


俺の身体はどうなっても良い、けど。


アイツの願いが穢れに染まる事は断じて許容できない。


「ふざけんなっ!」


右の脇腹を狙って、素早いボディブローを繰り出そうとしていた。


俺が目を閉じて身構えようとした、その時。


「防御上昇(ガトム)」


後ろから清廉さを秘めたヴィーナスの声が聞こえた。


男の手が俺の体に触れた瞬間、男は反発し合う磁石のように宙を舞った。

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