3:対峙

「熱すぎるだろ、これっ!」


冷める前にとは言っていたが、流石に出来立てだと熱すぎてとても食えたもんじゃない。


しょうがないので、シチューと一緒に付いてきたパンを頂くことにした。


思いっきりかぶりつこうとして大口を開けた。


ガリッ。


俺の歯が当たった瞬間に鈍い音が鳴った。


「って、今度は固いっ!」


どうやったらこんなにも表面が固くなるのか不思議なものだ。


年寄りが食べたら歯を全部失うレベルだぞ、これ。


そんな事をしみじみ思いながら、ズキズキする歯の根元部分を手でさすった。


「ふふっ、そのまま齧ると歯が欠けちゃいますよぉ。」


ヴィーナスはギザギザしたナイフで丁寧にパンを二等分にしていた。


「中はふわふわもちもちなので、こうして切ってしまえば何も問題無いですぅ。熱々のシチューにつけて食べると良い感じにパンの皮が柔らかくなって美味しいんですよねぇ。」


彼女が喋りながら実演してくれているのを見ていたら、唾液が止まらなくなった。


「そうなのか、じゃあ俺も真似して食べるとするか。」


俺もテーブルの右端に置いてあるカゴからナイフを取り出し、パンを二等分にした。


ソ―スポットも置いてあったので、覗いたら薄黄色でとても芳醇で濃厚な匂いがした。


「それはチーズですねぇ。沢山の種類のチーズが溶け込んでいるので、切ったパンの中身をくり抜いてそこに流し込むと食べやすいですよぉ。」


ふむふむ、と頷きながら言われた通りにして食べてみた。


「熱ッ!!!いけど。成る程、これは美味しいな。色々なチーズが混ざって鬱陶しくないから、何回も食べたくなるような味だ。」


「ですよねぇ。もしチーズが重くなってきても、シチューで流し込めるので安心ですね。」


シチューも良く見ると、野菜だけではなく身が柔らかそうな鳥肉が沢山入っていた。


「シチューも美味いな、。野菜と肉の旨みがぎっしりと染み込んでいるから、コクがあって、さっぱりしていて味に飽きる事が無い。」


「良かったですぅ。」


それにしてもやけに詳しいな、この女。


この店の常連だったから、俺を此処に連れてきたんだろうなか。


すると、突然遠くの方から物凄い大きな足音でこちらに近づいてくる何かが見えた。


ドスッ…ドスッ…。


その足音は、俺とヴィーナスの目の前でピタリと止まった。


立ってみないと分からないが、二メートルは軽く超えるような大男が俺を睨んでその場で立ち尽くしていた。


スキンヘッドで顔に大きい十字の切り傷があり、明らかに恐々しいオーラを放っていた。


ヴィーナスは明らかにばつが悪そうな顔をして、眼を背けていた。


「よう、お前さんこの店で見ネェ顔だな?そこのヴィーナスとパーティでも組んでんのか?」


喉が潰れていそうな程のしゃがれた声が一層威圧感を増していた。


「いや、そういう訳じゃないけど。」


ヴィーナスの友達か…?明らかにそんな雰囲気では無さそうだが。


「そうなのか、じゃあ都合が良いな。ヴィーナス、お前今からモンスターの討伐に付いてこいよ。丁度、魔法を使える奴が居ネェんだ。聖職者スキルを持った奴にも何人か掛け合ってみたんだが、他の誘いの用事があるみたいでヨォ。」


モンスターというだけでは想像も出来ない。


こんな大男が挑む相手なのだから、さぞ強いのだろう。


「あなた方は金銭目的でモンスターを狩りに行くのではないのですか?前に付いて行った時は、パーティの中で死人が出そうになりましたよね?後ろの二人を御覧なさい、怖がっているではありませんか。」


気付けば、後ろから気弱そうな格好をした二人がささっと距離を取りながら、大男に付いてきていた。


この男は明らかに自分だけの利益を目的としてヴィーナスを利用しようとしているので、彼女がどう反応するのか心配な部分もあった。


なんだ、ちゃんと断ろうと思えば断れるのか。


過去に多分、ヴィーナスはこの男とトラブルがあったのだろう。


彼女の小さな手を見ると、どうしようもなくぶるぶると震えている。


こんなにも具合の悪そうな顔をしている彼女を見ていると、俺も平常心を保つ事が出来なくなりそうだ。


「こいつらは行くって言ったんだからそれで良いんだよ。ゴチャゴチャ騒いでネェで行くぞ、オラ!」


自分の言い分が通じないと踏んだ男は、途端に声も荒げ始めた。


そして男は急にヴィーナスの右手を掴み、それを無理やり拾い上げるようにして引っ張り出した。


「痛いっ!離して下さい!」


悲痛なヴィーナスの叫び。


もう少しで泣いてしまいそうな顔をしながら彼女は必死に抵抗をし始めた。


ドクッ…。


その光景を見た瞬間、心臓の鼓動が早まっていくのを感じた。


息をするので精一杯だ。


今、俺がこの男と戦ったとして勝てる確率は無いに等しい。


どれだけの条件が噛み合えば勝てるのだろうか。


でも、やるしかない。


そう、体が言っている。


もしかしたら、やめろと言えばやめてくれるかもしれない。


そんな呆れたような希望的観測に縋りたくなるくらいに必死だった。


「…。」


ガッ。


俺は特にかける言葉も無く、俯いていた。


「おい、なんだテメェ。」


これでもか、というくらいのドスの利いた男の声。


言葉よりも先に、俺は彼女を掴んでいる男の手を掴んでいた。


正直、俺がこのままヴィーナスを見逃しても大半の人は何も言う事は無いだろう。


これだけ俺に尽くしてくれているとは言え、今日会ったばかりのただの女の子だ。


それに、これ程の規格外の体つきをした化け物に適うはずがない。


むしろ此処で戦いに挑む方が命知らずだとして非難されるだろう。


自分の体を大切にしろだの、男に挑んで彼女が怪我したらどうするだの。


うるせぇんだって体が叫んでる。


心臓の音がもう耳まで聞こえてきている。


でもやっぱり怖い、戦いたくない。


死にたくない、怪我したくない。


人前で恥かきたくない。


だったら端っこで丸まっていた方が良いに決まってる。


でも、でも…俺はあいつの、ヴィーナスの生き様を知っている。


今日知ってしまった。


自分の人生を献身的に、人に捧げる事を厭わない、何よりも他人の幸せを第一とする彼女の自己犠牲の甚だしさに腹が立つ。


どうして彼女は人の為に死を覚悟する事が出来るんだろう?


俺は今彼女を見逃したら、これからどうなってしまうんだ?


自分を保っていられるのだろうか。


記憶を失っていても、一つ忘れていない事があった。


何処かの誰かさんが、俺に教えてくれたであろう言葉。


大切な人の前では恰好つけろ、だ。


俺はこの言葉を、確かに誰かと約束した気がする。


「その掴んでる手、離せよ。」


俺の目付きは変わっていた。


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