2:敬虔
ぷりぷりと怒ったヴィーナスを宥めながら、俺たちはとある飲食店へと向かっていた。
「もう良い加減に機嫌を直してくれよ、ヴィーナス。ちゃんと謝るからさ。」
さっきから何回か謝ってはいるのだが、一向に許してくれる気配が無い。
毛虫、相当苦手だったんだな。
「本当に反省してるんですかぁ?まだ手に毛虫ちゃんの感触が残ってますぅ…。せっかくご馳走してあげようっていうのに、ママに何であんな酷い事出来ちゃうんですか!」
涙目になりながら、必死に抗議をするヴィーナス。
小動物のようで、俺の悪戯心を揺さぶられる。
これ以上、彼女の機嫌を損ねてもどうしようもないので自制することにした。
「本当に、神に誓ってもうしないから、な?許してくれよ。」
許しを請うようにして、両手を顔の前で重ねて謝る。
片方の目でチラッと彼女を覗くと、少しため息をついてからやれやれと言った感じで此方を見てくれた。
「もぅ…、悪い子ちゃんなんですからぁ…。」
「それにしても、女神の名を冠するぐらいだから生物全般はオールウェルカムっていう訳にもいかないのか?」
今ままで、普通に思い込んでいた疑問をぶつけた。
「全然、全く、微塵も、関係ありません!私の名前で揚げ足とらないで下さいよぅ…、怖いものは怖いです。特に、あの何本もの足が不規則にうじゃうじゃする感じが…。あぁ、考えただけで気を失いそうですぅ…。」
なるほど、揚げ足だけにな。
と、言うと本気で嫌われそうなので、発言は控えておこう。
当然だが、結局はいかなる経緯があろうとも同じ人間なのだから、本能的に拒絶する物事は普通の人間と反応は変わらないのだろう。
偏見を押し付けてしまった事を反省する。
すると、ヴィーナスはある程度の大きさがあるお店の前で立ち止まった。
多分、ド・ラスターシャと書いてある。
「一応着きましたけどぉ…。」
彼女は店を小さく指さして、しぶしぶと呟いた。
「分かった、生き物を粗末に扱う事はもうしないさ。だから、ご飯を早く食べさせて下さい、お願いします。」
お腹も減っていたが、此処までの道中で彼女をずっと宥めていたため、喉も限界に近かった。
故に、掠れ声の俺を察してくれたヴィーナスは諦めてくれた様子だった。
「うぅ、本当に分かってるんですか?二度とあんな事しちゃ駄目ですからね…。」
俺は両開きのドアを開けようと、片方ずつドアノブを掴んで思いっきり引っ張った。
意外とずっしりとしていて、中々に力が必要である。
「ぐっ…重いっ…。」
すると、ギィ~という重厚な音と共に少しずつ扉が開いていった。
「わぁ、意外と力あるんですねぇ。背がおっきい訳じゃないのに頑張ってるところを見ると、何だか胸がきゅんきゅんしてきますぅ。」
隣から耳障りな声が聞こえてくる。
「余計なお世話…だっ!」
掛け声と同時に、扉を思いっきり両側にバタンと開いた。
その瞬間、とてつもない熱気と喧噪が押し寄せてきた。
俺が呆気に取られている様子にヴィーナスが気付いた時、にこっと笑った。
「いらっしゃいませー!」
奥からウェイトレス姿の獣の耳が生えている女の子がとことことやってきて、ぺこりと頭を下げた。
やや垂れ気味の猫耳が可愛さを限界まで引き出している。
女の子の単純明快で聞き取りやすい声が、この喧噪の中だとありがたい。
辺りを見渡すと、色々な人種の、というよりも人間とは明らかに呼べないような、モンスターに似た見た目をした何かとその他大勢で各々のテーブルで騒ぎ立てていた。
昼間からこんな大人数で酒を飲み、楽しんでいる姿を見ると、平和と呼ぶべきか世紀末と呼ぶべきか悩ましい。
俺が生命力溢れるこの空間に気圧されている間に、ヴィーナスが店員に話しかけた。
「二名でお願いしますぅ。」
右手で小さくピースをするようにして、人数を表すジェスチャーを交える。
「二名様ですね、かしこまりました。奥の二人用テーブルへ移動をお願いします!」
二人で店員に会釈をすると、指定されたテーブルへと向かった。
「ふぅ…。」
席に着き、一息つくとヴィーナスが俺の顔を不思議そうに見つめていた。
「エイミーちゃん、何か珍しいものでも見つけちゃいましたか?それとも、記憶に関するものが分かったとか…。」
「いや、そういう訳じゃないんだ。見た事があるような、無いようなって感じで不思議な気分だ。」
「この店には獣人族が沢山集まっていますけど、見た事が無いっていうのはちょっと変ですねぇ。この辺りでは余り珍しくないですから。」
思えば、自分が今どこに居るかすら分かっていない。
「そうなのか。ちなみに俺達が今居る場所ってどこなんだ?」
せっかくだから、ヴィーナスに教えてもらおう。
ただ、軽い気持ちで聞いたみただけだった。
「…ディースの地と皆は呼んでいます。昔は荒れ果てた土地で何も無かったのですが、今では活気溢れる立派な街になりました。」
彼女は表情を曇らせながら、悲しげに呟いた。
「へえ…、それは良かったんじゃないのか?」
何故、彼女が憂いているのか。
俺にはそれが分からず、ただ適当に返事をするしかなかった。
「話の途中、すいません。ご注文は何にいたしましょうか?」
横を向くとさっきの店員が近くまで来ていて、思わず肩が上がってしまった。
「あ、あぁ!えっと、このシチューをお願いします。」
メニューにあったものを指差して、店員に伝える。
「私も同じものをお願いしますぅ。」
彼女はニコニコしながらそう言った。
「注文、承りました!すぐに出来上がりますので、少々お待ち下さい!」
そう言い残すと、店員は小走りで厨房の方へと戻っていった。
それを尻目に、ヴィーナスが話を切り出した。
「エイミーちゃんの記憶の事は心配ですけど、治るまでずっと一緒に居てあげるので心配しないでも大丈夫ですよぉ。」
彼女は目を少し細め、俺の顔をじっと見つめてから、甘い猫を撫でるような声でそう呟いた。
俺がこの場所に慣れていない事を気遣ってくれたのかもしれない。
何で、俺にそこまでしてくれるんだろう。
彼女にこの借りを果たして返せるのかどうかという後ろめたさが、疑問を大きくさせている。
別に何かを企んでいる訳でも無さそうだし、ただ気まぐれで困っている人を助けてあげようといった感じでも無い。
現在進行形で自分を助けようとしてくれている人に言うべき事では無いが、どうしてもこの単純な疑問に対する答えへの興味が勝ってしまった。
「ヴィーナスって変だよな。」
ヤバい、思わず声に出てしまった。
彼女は少し驚いた様子を見せた後、風船が萎むようにして縮こまり始めた。
「急に何ですか…、もぅ…。」
かなりショックだったようで、流石に後悔した。
でも、今ここで俺がこの思いを隠しても後で悶々とするだけなので、どうせなら喋ってしまった方が良いのかもしれない。
間を置いて言うべきことを整理したので、静寂が二人を包んだ。
「どうしてヴィーナスは自分をそこまで犠牲に出来るんだ?今日出会ったばかりの、しかも身元不明の怪しい男。誰がどう考えても危険な存在にしか見えない。困ってるってその本人は言うかもしれないけど、結局は赤の他人なんだぜ?俺の事を見過ごしても、文句を言う奴なんて誰一人として居ないと思うけどな。」
知的好奇心というものが頭の中を渦巻いている。
彼女の事を知っておきたい、というのは余りにも踏み込み過ぎているだろうか。
他人の間柄の分際で、許される事なのだろうか。
どうしても、それを無視してでも聞いてみたかった。
俺はヴィーナスに惹かれているのか…?
「う~ん、何でと言われましてもぉ…。困っている人が居たら、助けないと気が済まないからでしょうか。でも…、それでもエイミーちゃんは特別というか、その…。」
彼女の口先がモゴモゴとして、聞き取りづらい。
「本当の理由は?」
どうしても気になってしまうので、返事を待つ事が出来ずに思わず聞き返してしまった。
「運命…を感じたと言いますか、その…上手く言い表す事が出来ないのですけどぉ…。こういう事って、一目惚れみたいに言うんでしょうかぁ…?」」
頬を赤く染めながら下を向き、手先を遊ばせている彼女の姿は俺の心臓の鼓動を早めていく。
不覚にも可愛いと思ってしまい、俺もどうして良いか分からずにあたふたし始めた。
何だ、この小動物みたいな可愛さ…。
「お、俺に聞かれてもな…。」
そんな都合の良い事、俺に起こるはずがないと自分に言い聞かせる。
彼女を意識せざるを得なくなってしまい、目線をどこに置けば良いか分からなくなっていた。
俺は居ても立っても居られずに、話を進める事に徹した。
「困っている人がいたら全員助けるとか言ってたけど、もしそいつが悪い事考えてたらどうするつもりなんだ?ただ利用されるだけなんじゃないのか?」
まさか損な立ち回りをしている事を理解していない訳ではあるまい。
野暮な事をしていると頭では分かっているが、どうしても心配になってしまう。
「嫌な気持ちはしますけど…。それを分かっていて断れない私も悪いので、今となっては特に何も思うことはありませんねぇ。」
どんなに悪い奴でも、きっともしかしたら良い人なんじゃないか、みたいな事を考えているに違いない。
人の邪悪な箇所に触れたくない。
だからその可能性をどうしても捨て切れず、それに頼ってしまう。
そんな彼女の儚い願いが、どうしても垣間見えてしまう。
「俺は嫌…かもしれない。」
自分は何を喋っているのだろう。
俺は本当にヴィーナスの事を好きになっちまったのか。
「エイミーちゃん?」
彼女は不思議そうに小首を傾げている。
俺は焦って取り繕う事に必死になった。
「いやいや、なんでもない!なんでもないんだ。まあでも、それについて俺がどうこう言ってもしょうがないか。ヴィーナスの何が原動力になっているのか気になっただけでさ。」
これ以上、彼女を気にし続けていたら俺の方がどうにかなってしまいそうだ。
早いうちに切り上げないと。
話を締めようと、諦め気味に呟いた。
「ふふ…そうですね。嫌な事があっても、皆の笑顔を見たら忘れちゃうから大丈夫ですよ。私がこういう事を本音で喋れるのも、神様が私の事をそう作ったからだと信じているんです。幸せを守る事が私の運命であって、それは神の導きなのだと。」
「馬鹿…なんじゃないのか?そんな大げさな…。」
狂言者としか思えない。
そんな自己犠牲でしか成り立たない人生に何の意味があるのか。
死んでいると同価値の人生に…。
ゾクッ…。
ふと、体に悪寒が走った。
後から、自分の中で色々な感情が沸々と湧いてくるのを感じた。
「大げさ…かもしれませんね、確かに馬鹿の独りよがりですよね!…でも、例え裏切られたとしても、何回も信じてみたくなるんです。神が創造したこの世界は自分次第でいくらでも輝いてくれるって、本気でそう思ってますから。」
とても儚げで、少し触っただけで壊れてしまいそうな宝石。
それは生命のエネルギーで溢れていて、今にも亀裂から外に飛び出そうとしている。
綺麗という言葉では陳腐なほどの美しさに見とれてしまう。
そうか、これが『敬虔』なのか。
一つ、思い出した。
俺はこの言葉を昔に何かで感じた。
でも、吐き捨てた。
理解出来ずに、しようともせずに。
自分の事だけを考えていれば良いと、決めつけていた。
今日、初めて知ってしまったのだ。
自分とは悲しいくらいに相反する彼女の存在は余りにも…。
ボロボロだった。
「あ、料理が来たみたいですよぉ。」
ヴィーナスがそう呟くと、俺は現実に連れ戻されたような気分になった。
「おっ、本当だ。」
店員がこちらに料理を持ってとことこと歩いてくる姿が見えた。
「お待たせしました!パンと旬野菜たっぷりのシチューです。熱々のうちにお召し上がりください!」
「ありがとうございますぅ。」
ヴィーナスが店員にお礼を言った後に、俺も軽く会釈した。
木材の容器に入っていて、まだ小さくぐつぐつと泡が出ている。
「へぇ、めちゃくちゃ美味そうだな。それじゃ、さっそく食べようかな。」
一口食べようと、スプーンに手をかけようとしたらヴィーナスに手を掴まれ、静止させられた。
「エイミーちゃん、ちゃんと『いただきます』しないと『めっ!』ですよ?」
またそれか…、恥ずかしいから人前ではやめてほしいものだ。
でも、嫌な気分にはならない。
どこか懐かしいからだろうか。
この居心地の良さにしばらくは浸かっていたい。
不安なのは一人の時だけで良い。
「分かったよ。じゃあ、せっかくだし一緒にやるか。」
俺は両手をおもむろに合わせて、ヴィーナスを見つめた。
彼女は嬉しそうな顔をすると、俺を真似するようにして両手を合わせた。
「はい、もちろん!」
いっせーの、と口パクでタイミングを合わせた。
「「いただきます!」」
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