後書2 長崎の根
これまでも後書を書くということは続けてきたのであるが、一つの作品に対して二度も後書を書くことなど初めての経験である。
そもそも、一度閉じた作品に再び命を与える作業など初めてであり、第三章を書き上げた時点では全く考えていなかった。
人間万事塞翁が馬と言ってしまえばそれまでであるが、全ての作品に終焉があるというのが信条である私にとっては驚くべきことであろう。
とはいえ、再開させたのにはいくつかの理由がある。
その第一は、長崎の各地を回りながら除いた地域が多数存在したというものである。
西海やハウステンボス、諫早などはその最たるものであろう。
これは当時でも書こうと思えば書けた部分ではあったが、自己をさらけ出すことに抵抗を感じての制限ではなかったか。
ただ、それも加えての私が当時の私であり、その欠けた部分を補おうとするのは自然な流れであったように思う。
また、長崎を離れてから改めて訪ねた地が多数あったことも今回の再開の主因の一つである。
島原半島と佐世保の地はその象徴であり、それまでに訪ねたことはあっても自らの意志で歩き回ったのは社会人となってからである。
新たな出会いもあった。出会いがあれば人は変化を求められる。
私の変遷があった以上、それを改めて記さねば本文の趣旨に反する。
書かぬ道理はなかったのだ。
そして、何よりも長崎の変化と「今の私」を書かなければならないという義務感が再開の最大の決め手となった。
就職、転職、父の死、熊本地震、失恋、生家の消失、とこの十年近くの間に私は多くの経験を積み、その中でものの見方や考え方が大きく変わった。
それに合わせるかのように、長崎も過疎化の波に呑まれ、全域が限界集落と化してしまうのではないかという危機感が強く頭をもたげるようになった。
今、別の作品を長崎の在り方を見詰め直すべく書き進めているが、そこに至った心境の裏にあるものを感じていただきたいという筆者の一方的な思いが形を成したということでもある。
四章の初めの地をどこにするかで非常に思案したものであるが、旧長崎県庁に落ち着いてからは、今回の流れが一通り見えるようになった。
生家を失った私が根をどこに求めるのか、という問いに対する答えの一つを最後に据えるというのも、この時に漠然としながらも決まった。
後の流れはご覧いただいたとおりである。
さて、このような思いで書き連ねてきた本章であるが、私が今住むのは熊本であり、いずれこの地で骨を埋めようと今のところ考えている。
これほどに長崎のことを書いておきながら、その根の一部は熊本の地に広がっているのである。
そのような中で私の変遷の全てが長崎にあるとは考えていない。
九年にあたる約三千日のうち長崎に在ったのは百日程度ではないか。
そのような中で長崎の出る幕などあるのかと言われそうなものであるが、しかし、節目節目で現れては私に変化を与える。
そのため、いまだに長崎を書くということは私自身を描き出すことに繋がるものと考えている。
割合こそ減ったとしても。
また、外から見たからこそ見えた長崎の姿もある。
特に茂木の港の在り方というのは、長崎にいたままでは何も知らずに過ごしてしまっていたことだろう。
そうして見えた新たな一面がある以上、いまだに長崎は私の一部である。
とりとめもない話となってしまったが、いよいよこの話を閉じる時が来たようだ。
毎日更新を掲げながら、途中で休みを入れてしまったのは情けないが、それも私の在り方ということなのだろう。
ただ、こうして終わるというのは同時に何かを進める、始めるということでもある。
既に書き始めてはいるが、長崎の食を通して今度は長崎自身を描く予定である。
そして、いずれこの作品に戻る日が来るかもしれない。
今度は不惑の記念になるやもしれぬ、と窓外に垂れこめた梅雨空を眺めながら先知れぬ旅を思うばかりである。
水害の凶刃に心痛める 七月
徒然なるままに~夢に現に朧長崎 鶴崎 和明(つるさき かずあき) @Kazuaki_Tsuru
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