第3話 諸説
鬼婆「岩手」の顛末には、いくつかの別説があるという。
1:観音像の力で雷鳴が轟き、鬼婆は落雷で絶命した。
2:鬼婆は会心して仏教に帰依し、高僧となった。
3:祐慶は鬼婆から逃げ続け、夜明けが来たのでそのまま逃げ切った。
また、祐慶は鬼婆を討伐するために安達ケ原に向かったという説もある。
その伝説では、祐慶が安達ケ原に着く頃には鬼婆は北方へ逃亡していた。尾山(現在の宮城県角田市)で鬼婆に追い付いた祐慶は、鬼婆に斬り付けた。
しかし鬼婆は僅かに傷を負っただけで逃げてしまった。祐慶はその地に一堂を建立した。
約3年後。ある旅人が鬼婆を目撃した。その報せを受けた祐慶はすぐさま退治に向かい、鬼婆を追い詰めた末、見事に退治した。
胴体は尾山のとある丘に埋められ、供養のため桜が植えられた。
なお、岩手が奉公していた「公卿」とは武家時代以降に用いられた言葉なのだが、祐慶が鬼婆に遭遇した時期、つまり神亀年間は平安遷都すら行われていない。したがって、京の都自体が存在していないという矛盾がある。
※「岩手」という名前自体が戯曲『岩手』で創作された名前であるともされているが、検索してもWikipediaしか情報がなく、参考文献名を調べても見つける事が出来なかったので何とも言えない状態である。
また、青森県や岩手県、埼玉県にも類似性のある鬼婆の話があるが、それはまた別の機会に書く事とする。
黒塚 秋空 脱兎 @ameh
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