海賊暮らし
どたどたと走り回っている息子たちの足音が響きわたっていた。
離宮ではいつもの光景だ。
ヘレンは洗濯物を運びながら、元気でいいわねと微笑み、木剣を振り回しているジンとイルスを通りすがりに眺めた。
「今日はなんなの、あんたたち」
訊ねると、走り回りながらジンが答えた。
「海賊だよ」
「かいぞくだよ」
イルスまで真似をして答えた。
海賊か、と、ヘレンは苦笑した。
内海を荒らし回る海賊に、ヘンリックはまだ手を焼いているらしい。陸(おか)で剣を握らせれば無敵の男かもしれないが、海戦術となると専門家任せにするしかなく、うまくいかないと苛々するらしい。
そんな父親の苦労も知らないで、離宮で息子たちが海賊ごっこに明け暮れているのを見たら、ヘンリックはまた、ぷんぷんするのだろうなあと、ヘレンは苦笑いだった。
「お前は海賊じゃないからな、イルス。お前は町の人だろ」
「俺も海賊がいいよ」
略奪される被害者役を押しつけられたらしいイルスが、むかっとした風に反論している。
ちっちゃい頃には可愛いばっかりだった大人しいイルスも、三歳半ばともなると、最近さすがに男めいてきた。それに兄と同じでないと気が済まないらしい。
海賊か町の人かで喧嘩しはじめる兄弟たちに、あーあと思って、ヘレンはとりあえず傍にあった長椅子に洗濯物を置いた。
「喧嘩しないで。あたしが町の人やってあげる」
そう提案すると、兄弟たちは急ににっこりした。
「じゃあ母上が、さらわれる町の人。俺が海賊の船長で、イルスは下っ端」
「俺も船長がいいよ」
それでまた一悶着あり、とにかく二人はしばし怒鳴り合ってから、折り合いをつけたらしかった。どうせいつもジンの我が儘が押し通るのだ。年かさなのをいいことに、この兄貴はなんでも弟に言うことをきかせようとする。
木剣をふりかざして、ジンは言った。いや、海賊の船長は言った。
「有り金全部出せ! 出さないとてめえら全員殺っちまうぞ!」
「やっちまうぞ!」
なんという言葉遣いだと思ったが、ヘレンは小言を堪えて、両手をあげる降参ポーズをとってやった。
「きゃー、怖い。全部あげますから、どうか命だけはお助けを」
笑いながら調子を合わせてやったヘレンの周りを、兄弟たちはどたどたと走り回っている。
走り回りながら、ジンはヘレンが巻いていた前掛けの帯を、うしろから掴んできた。
「女がいたぞ!」
笑っている息子の顔を、ヘレンは振り向いて見下ろした。
その喉もとに木剣の切っ先を突きつけて、ジンは悪気ないふうに言った。
「大人しくしろ。逆らったら喉をかっ斬るぞ。そこに【以下、PG12ではとても書けないエロエロなことばかり】!!」
ヘレンは顔面蒼白になった。
母親が激怒しているらしいことに、ジンは急にぽかんとした。
「あ……あんた、そんなセリフ、どこで覚えてきたの!」
ジンの木剣の刃を掴んでとりあげ、ヘレンは怒りに震える声で訊ねた。
走り回っていたイルスが心配げに、兄のそばに寄ってきて、シャツの裾を掴んだ。
「え。変だった? 海賊ってそういうもんなんだろ」
あっけらかんと答えるジンは、自分が言ったことの意味がわかっていないらしい。
確かにそう。海賊ってそういうものかもしれないわよ。
だけど、なんであんたがそれを知ってんのかって問題よ。
「見たことないでしょ、本物の海賊なんか! なんで知ってんのよ」
「えー、だって……」
やっと気まずくなったのか、ジンはもじもじして床を見た。
「海賊ならそれくらい言えって、ヘンリックが」
「あの野郎!!」
思わずヘレンは叫んでいた。
そのセリフに、ジンとイルスがぎょっとした顔をした。
ヘレンは唇をおさえて、うふふと誤魔化し笑いをしてみせた。
事情を聞き出すと、父親が帰ってきている間に、兄弟たちが今ブームの海賊ごっこにいそしんでいると、弟、つまり町の人を脅すジン、つまり海賊の脅し文句を耳にしたヘンリックが、ぬるいなと言ったらしい。
じゃあどう言えばいいのと訊ねる長男に、ヘンリックは素直に、海賊とはいかなるものか、教えたという。
「あらそう、でも父上のいうことを、いちいち真に受けないほうがいいわよ」
頬を引きつらせながら、ヘレンは息子たちに教えた。期待される父親の役割を鑑みると、まずい教育だったが、それでも肝心の父親がアレだから、我が家ではもうしょうがない。
あの大馬鹿野郎が父だから。
相手が子供でも、ぜんぜん配慮なしだから。いつだって対等だから。
ジンはそんなヘンリックが内心嬉しいらしいが、でっかい兄貴がいて父親がいないのでは、まずいんじゃないのアンタ。
ヘレンは窓の外に見える空を睨んだ。夕景だった。
今日はいつごろ帰ってくるつもり、ヘンリック。覚悟してろよ、このやろう。
ヘレンは内心でだけ、そう絶叫した。
「ただいま」
扉が閉じる音がして、いつもの男が現れた。
ヘレンは居室の入り口で、仁王立ちになって待ち受けていた。
兄弟たちには、今日は特別と言って、ふたりだけで食事にかからせていた。甘いものを惜しみなく出したから、しばらく食卓にはりついているだろう。
「ヘンリック、そこに正座」
床を指さして、ヘレンは厳命した。
「えっ……なんだいきなり。俺が何をした」
「今夜は、あんた食事抜き。なにもかもお預けだから」
真顔だったヘンリックが、ぎょっとした顔になった。
「なにもかもって何だよ」
「ジンに海賊の話をしたでしょ」
鼻先に叩きつけるように教えると、ヘンリックはとぼけはしなかった。それがどうしたという顔だった。
「あんたまた半殺しの目に遭わせないと分かんないみたいね」
拳を練りながら、ヘレンは宣言した。
ヘンリックの顔色が青ざめた。
「言ってやるから」
「やめろ、ヘレン。心にもないことを言うのは」
「さあどうかしら……」
後退して扉にはりついているヘンリックと間近に顔を合わせて、ヘレンは半殺しを開始した。
「ヘンリック……あんたなんか、嫌いよ。この大馬鹿。ジンに余計なこと吹き込んで。それでも父親なの。そんなあんたが、あたしは大嫌いだから!!」
そう怒鳴られて、ヘンリックはあんぐりとかすかに口をあけ、何度か死んだような顔をした。男が衝撃を受けているのを、ヘレンはじっと見つめた。
そろそろアルマの潮の押し寄せる時期だった。ヘンリックの体調しだいでは、殴るより数倍これが効くことは、前々から確認ずみだ。
「あんた、しばらく来なくていいわよ。顔も見たくないから」
「ヘレン」
情けない声で、ヘンリックが縋り付くような呼び方をした。
ふふん、とヘレンは横を向いて笑ってやった。
「あたし本気だから」
「そんな無茶苦茶なことよく言えるな」
血相を変えたヘンリックが、真剣そのものの口調でなじってきた。
「お前、わざと言ってんだろ。わかってるんだぞ」
「そうね。じゃあもっと強烈なことを、わざと言おうかしら。あんたが反省しないなら」
じっと睨め付けると、ヘンリックはいろいろ想像したようだった。もっと強烈なこととは何か。
そして、ややあってから、屈服したように項垂れた。
「俺が悪かった」
「そうね。何が悪かったか、後で詳しく教えてあげるわ」
「優しく?」
それが最後の希望だみたいな目で、ヘンリックが訊いてきた。
ヘレンは両手を腰にあてて、力一杯答えた。
「いいえ、厳しくよ!」
そしてヘレンは厳しく教えた。
その後ヘンリックは二度と、ジンに海賊の話をしなかった。
《おしまい》
カルテット雑文集 椎堂かおる @zero
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