場面5 夜祭にて

 手紙に書かれていた通り、夜祭が行われる神社の裏手の浜辺でその男は待っていた。そこは境内に続く裏参道への入口で、五年前の今日、待ち合わせを約束した場所でもあった。お待ちしていました、男が言った。若い男で、わたしと同世代か、少し歳下に見えた。はじめまして、生天目さん、待たせてしまったなら申し訳ない、とわたしは頭を下げた。いえいえ、そういう意味で言ったのではありません、と男は狼狽えた。なんにせよ、こうして会えてよかった。急なお手紙で驚かれたことでしょう。確かにね、わたしは答えた。それにしても手紙とは、あまり確実な方法とは言えませんね。住所をご存知でしたら、直接家まで来てもらってもよかったのに。今夜、あなたがいらっしゃらなければ、明日そうするつもりでした。そう男は答えた。でも、今日はせっかくの夜祭でしたから。

 それで、本当なのですか、わたしは尋ねた。男はしっかりと頷いた。はい、祖父は今年のはじめに亡くなりました。心筋梗塞だったそうです。わたしはゆっくりと息を吐いた。そうか、生天目のやつめ……。いや失礼、きみも生天目でしたね。お気になさらず、どうか自然体で話してください、男は言った。それから少し曖昧な笑顔を見せた。本当に祖父とは仲が良かったんですね。ええ、友人でした、わたしは答えた。一年だけ、いや、あの夏だけの短い期間だったけれどもね。じつに不遜で、唐突で、夢見がちな爺さんだったけれども、わたしにとっては本当に貴重な、気のおけない友人だった。それにしてもあいつに、きみのような礼儀正しい孫息子がいたなんてね。仕草はぜんぜん似ていないけど、でも確かに、面影がある。差し支えなければ、年齢を伺っても? ぼくは今年で大学二年生になりました、男は言った。静岡の大学に通っています。なるほど。わたしは大学四年生で、大学は京都ですが、いまは帰省中です。知っての通り、大学の夏休みは長いですから。それこそ永遠にね。でもそうすると、わたしたちはかなり年が近いようだ。そういうそぶりは感じなかったけど、もしかすると生天目はわたしを孫と重ねていたのかもしれないな。それはどうでしょうね、男は答えた。実際のところ、ぼくは祖父とはほとんど顔を合わせませんでしたから。八年前に連れ添った祖母が死んでから、祖父は日本中を転々としていました。ときたま連絡をよこしてはきましたが、だいたいは祖父がいまどこにいるのか、把握しているほうが稀でした。きっとそれが祖父なりの隠居のかたちだったんでしょう。知らなかったな、わたしは言った。あまりそういった身の上話に踏み込むことはしませんでしたから。なるほどね、たしかに誰かさんみたいに自由気ままだけど、でも、なんだかお金のかかりそうな暮らしだな。お金はそれなりにあったと思います、男は口添えた。祖父は定年まで歯科勤務医をしていたので。歯科医! わたしは鉛筆の代わりに削歯ドリルを握っている生天目を想像してしまい、思わず不思議な顔になった。

 男の話によれば、その日生天目は金沢のホテルに宿泊しており、真夜中、ベッドの中で急逝したらしい。宿泊中だったのは不幸中の幸いでした、男が言った。ひっそりと孤独死を迎えた老人の終の住処というのは悲惨なものです。とにかく、祖父は手記を残していました。それでやっと、ぼくら家族は祖父の人生における最期のステージを知ることができたのです。祖父は各地で絵を描いていたのです。ようやく合点がいきました、とわたしは言った。その手記のなかにわたしの名前もあったというわけですか。ええ、男は言った。そしておそらくは、それ以上です。祖父の手記における登場人物は限りなく少なかった、ほとんどは絵のモチーフや形而上の思想についてでした。そうした稀薄な生活の中で、あなたとの交流は祖父にとって刺激的だったんでしょう。男はリュックサックから紙束を取り出した。あなたが望むのであれば、手記のコピーをお渡しします、祖父をよく知る友人として、それは妥当な権利でしょうから。おそらく、とわたしは考えた。これを読めば五年前、生天目が夜祭に現れずに去った理由がわかるかもしれない。わたしは少しだけ考えて言った。でも、その手記はわたしが読むことを想定して書かれたものでしょうか? おそらく違うでしょうね、男は答えた。ならば、断っておくべきでしょうね。わたしの返答に男は微笑んだ。実は、そう仰るかもしれないと思っていました。その意味深な反応はわたしの選択を少しだけ悔やませた。

 男は紙束をリュックサックにしまいながら言った。ぼくがあなたに会いに来た直接の理由は二つあって、ひとつめがこれでした。もうひとつは、祖父の手記の中であなたを指名して書かれていた、いわば遺言を果たしに来たのです。きっとあの宿題のことでしょう、わたしは言った。いかにもあいつがやりそうなことだ、わたしの作品を回収させるよう、指示があったんでしょう。もう読めないってのにね。前半は当たりです、男は言った。しかしながら方向が反対で、ぼくは祖父の作品を、あなたに渡しに来ました。男は紙束と入れ換えに白い布のかたまりをリュックから取り出し、その中身をわたしに差し出した。大学ノートほどの大きさで、はじめは大判の写真のように見えた。手に取ると厚みがあり、それが小ぶりのカンヴァスに描かれた絵であるとわかった。

 海辺の絵だ。わたしはまず、そのあまりに精密な筆致に驚いた。どうやら油絵のようだったが、単純に絵具を置いただけでは到底成し得ない、色と色の魔術的な融和によって、極限まで解像された風景が描き出されている。砂の一粒、飛沫の一筋にいたるまでが見分けられるようだった。そしてわたしは次第に、その程度のことは瑣末にすぎないという印象を抱きはじめた。はじめは小さな違和感でしかなかったそれは、気付いてしまえば、まさにこれこそが生天目の描き求めていた絵画であるということの雄弁な語りにほかならない。深い青を基調とした、海辺の描かれたその風景画には、あってしかるべきもの、すなわち水平線が存在しなかった。浜から海へ、そして海から空へと、あくまでシームレスに連続的な推移がなされており、昼とも夜ともつかない情景の中で、ある箇所が波飛沫を立てる水面に見えたかと思えば、次の瞬間には浮雲を乗せた空に変わっている。これが生天目の回答なのだと思った。ひとたびそれが提出されたならば、もはや正しさや巧みさといった要素は無益な装飾品に成り下がる。生天目が本物の芸術家になったことをわたしは知った。彼は高らかに自らの定義を宣言したのだ。

 わたしはたっぷり打ちのめされたあと、絞り出すように言った。正直に言うとね、まだ書けていないんです。というと? 芸術家の孫は飲み込めずに聞き返した。わたしが生天目に課された宿題です。五年もあったのに、何をしていたんだか。忘れていたわけじゃないんだが、何も思いつかなかったんだ。きっとまだ経験が足りなかったんでしょうね。うん、でも、今なら書ける気がする。

 でしたらこれが必要になるでしょう。男から差し出された一枚の写真をわたしは受け取った。真正面に映っているのが祖父の墓です。裏側には霊園の住所をメモしてあります。生天目の墓はこれといって特徴のない素朴な暮石によるもので、一種のレトロスペクティブさえ感じさせた。それをずっと見ていると、生天目、あの変わり者の友人はもうこの世にはいないという実感がどうしようもなく押し寄せてきた。そうじゃないだろ、わたしは自分に言い聞かせた。これこそはまさにわたしが立ち向かうべきものだ。友人の孫には見られないように、背を向けながら、わたしは波打ち際まで辿り着いた。紛れもなくそれは弔いだった。頬骨をつたって落ちた水滴が、海と入りまじってひとつになった。

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夜祭へ 遠原八海 @294846

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