3-8

 森。

 深い森。

 頭上には太陽が浮かんでいる筈なのに、鬱蒼と張り巡らされた木の枝が深い闇を作っている。

 遠くで犬が吠えている。森のあちらこちらから、いくつも声が聞こえてくる。

 猟犬。声は着実に近付いてくる。

「ねえ」〈ベル〉の声がする。「もし〈わたし〉が、逃げ出そうって言ったら、一緒に来てくれる?」

 足を木の根に引っかけた。転びそうになるのをどうにか堪える。

 嘘つき、と〈ぼく〉は胸の中でかれを批難する。結局、「逃げ出そう」なんて一度も誘ってくれなかったじゃないか。そればかりか、〈ぼく〉が眠っている間に一人で逃げてしまったじゃないか。

 嘘つき。

 潮騒が聞こえる。

 波打ち際で、かれに抗議する自分の姿が浮かんできた。

 会ったら初めに何と言ってやろうか。

 ちゃんと、怒りを表明することは出来るだろうか。

〈ぼく〉は胸の中で寝息を立てる温もりを抱きしめる。まずはこの子の名前を決めるところから始めるべきだろうか。

 木立の向こうに光が見えた。

 すぐ後ろで、犬が大きく吠えた。


〈了〉

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

深い森 佐藤ムニエル @ts0821

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ