3-7

 赤ん坊。

 篭の中で寝息を立てている。音もなく、スヤスヤと。

 この子が〈ぼく〉の子であることを示す証拠は何もない。けど、一目見た時から、間違いなく〈ぼく〉の中で育ち、産み落とされた子だと直感できた。〈ぼく〉らの精神が、見えない臍の緒で繋がっていたのだ。

 抱え上げてみる。軽くもなければ重くもない。むしろ重量なんてものは気にならず、小さく収縮する温もりが全く未知の感覚をもたらした。

 壊さないようにそっと、抱きしめる。

 服の裾を引っ張られた。〈リーザ〉の子だ。かれはこちらを見上げ、扉の方を指さした。「行け」ということらしい。そのまま赤ん坊を連れていけ、と。

「君も来るかい?」〈ぼく〉は訊ねた。

〈リーザ〉の子は首を振った。

〈ぼく〉は膝を付き、かれと目線の高さを合わせた。

「ありがとう。君のことは絶対に忘れないよ」そして、かれを抱き寄せた。「ママと、どうか幸せになって」

 かれはどちらなのだろう。多くの子供たちと同じように、外の世界へ「出荷」されていくのか。それとも、この学園に留まるのだろうか。

 身体の仕組みを変えられて。

〈ベル〉のように。

 もしそうだとしたら、〈リーザ〉とだって愛し合うことは可能だ。〈ルカ〉とだって。そうして子を宿し、産み、またその子が誰かと愛し合うこととなる。

 大人たちのために。

 人類のために。

〈ぼく〉たちの人生は、彼らのものだ。けど同時に、彼らが望む未来は〈ぼく〉たちに委ねられている。

 自分のものだから取り返して当然だ、なんて子供じみた道理を振りかざすつもりはない。

 けれど、責務を負わされるのならばせめて、自分のやり方を認めてもらいたい。

 そこにいる〈ぼく〉を、「ない」ことにはされたくない。

「駄目だね」〈ぼく〉は〈リーザ〉の子を離した。「〈ぼく〉もまだまだ子供だ」

 かれが微かに笑ったように見えた。光の加減かもしれないけど。

 立ち上がり、出口を目指した。扉を開けると、昼下がりの陽光に目が眩んだ。

 目が慣れるまで、しばらく掛かった。

 人影。

 認めたくなくて、最初は見間違いとして処理した。けどそれは、確かにそこに存在した。

 大人じゃなかったのがせめてもの救いだ。子供。〈ぼく〉は己の迂闊さを思い知らされた。ここにいる子供が、〈リーザ〉と〈ぼく〉が産んだ子だけである筈がなかった。

 その子供は、〈リーザ〉の子ほど大人しくはなかった。〈ぼく〉と眼が合うと、顔を引き攣らせ、やがて大きな声で泣き始めた。警報のように。或いは、脱走者を追い立てる犬たちの吠え声のように。

〈ぼく〉は地面を蹴った。森へ駆け込む。背中で聞こえる声はいつしか、金属的なベルの音に変わっていた。

 方角なんて考えている暇はなかった。木々の間を、赤ん坊を抱えたまま走る、走る。

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