Section3『アナライズ(後編)』~時系列『現在』~

「少尉、来たわね」

 ジョンが薄暗い司令室に入るとアンジェリカ・クラーク司令は眼鏡を外しつつ言った。


「こんにちは」ジョンが会釈する。


「まぁ坐って」

 司令はジョンの真向かいのアームチェアを手で指した。


「それで、「興味深いことがわかった」とはどういうことが?」ジョンが坐りつつ聞く。


「『女王蜂、働き蜂』の関係は知っているかしら?」

 唐突にそう聞かれ、ジョンは「それは……」としどろもどろになる。いったい司令はなにが言いたいのだろう?


 ジョンのその反応を予測していたかのように司令はふっと笑う。

「いえ、ごめんなさいね。私も気がかりだったわ。なんでヒビキ少尉が敵を前に怯えだすのだろう? と不思議でたまらなかったの。もちろん、彼の持つ抜群の強さもあるのだけど……」

 司令はそこまで言うと立ち上がった。薄暗い室内の目の前のテーブルから突如としてホログラム資料が浮かび上がる。緑色のそれが模しているのはSと記されたカプセルと、同じくAとの記載があるケースだった。無機質な外見からなにかの化学兵器と思われるが……。


「これはいったい?」


「ナノマシン兵器、「S」と「A」よ。ちょうどあなたたちが上陸したエルシュ島の研究所で開発されていたの。クレア・ヘンドリクス工作員が入手した。彼女、ああだけど能力は一流でね。古いデータだけど解析に成功したわ」


 ナノマシン兵器……とジョンが呆然とつぶやく。


「このナノマシンはそれぞれ単体では効果は成さないの。磁石のS極とN極、方向の右と左のように双方が引き合って初めて作用が成立する」

 司令が説明し、右手と左手を合わせてみせた。


「それでナノマシンの威力なんだけど、ヒトやその他動物に致死性はないわ。それどころか害すらない……。このナノマシンの効果……それは心理的作用よ」


 その言葉により、ジョンの脳裏にヴィック・バンのデモの様子、そして命乞いするしかなかった島での自分が回想フラッシュ・バックする。

「心理的作用……つまり――」

「結論から言うと、先刻言った『女王蜂と働き蜂』の関係ね」

 ジョンの言葉を遮る形で司令が言う。徐々にではあるが話が呑み込めてきた。


「『Sナノ』を投与した人間は、『Aナノ』を摂取した人間を心理的に屈服させることができる」

 頭上のホログラム資料が切り替わる。そこにはSと記された人間が立っており、その真下にAと記された複数の人間が崇めるように跪いている。

「そしてたとえば『Sナノ』を投与した人間が狡猾で人心掌握に優れた才能を持ち合わせていればいるほど、『Aナノ』側の人間はその支配関係を不自然には思わなくなる」

 ホログラムの中のSと記された人間の体格は、まるでどこで見たテロリストの首領のように巨体となっていた。


「バーンズはSナノを注射し、僕はAナノをどこかで注射された?」

 ジョンが言うと、「その通り《オフコース》」と司令が元気よく返事をする。


「そこでヒビキ少尉。あなたヴィック・バンのメンバーになにかされなかった?」

 司令が訊く。ジョンは思い当たるフシはあった。


「食事を摂らされました。ゴムのような食感のパンだったけれど、たしかに口に入れました」


「そのパンよ。あなたが恐れをなした元凶は」


 してやられた。ジョンは思う。そんな得体の知れないモノを僕は体に入れたというのか。


「……バーンズの潜伏先はまだ調査中よ。引き続き自宅待機をお願い。外出したいならこれまで通り私に一言ちょうだい」

 司令にまくし立てるように言われ、ジョンはそれでも聞きたいことを口に出す。

「待ってください。そのナノマシンを投与された僕は軟禁止まりなんですか?」

 おかしな話だ。敵に屈服し、最悪服従させられるようなナノマシンを摂取したというのに、これまで通り自宅待機だなんて。普通、拘束され隔離されても文句は出ない状態なのに。


「強引な話だけど、ジョン。あなたの体内にあるAナノの効力は徐々に弱まってきている」


 ジョンはハッとする。たしかに虫のいい話ではあるが、司令が種明かしをした途端バーンズに対する恐れは薄まっているように感じた。


「あなたにはこのからくりがわかった。でもリ・アメリカの国民はまだそれがわかってないようなの」

 ジョンは自分の顔に血の気が引いていくのを実感する。つまり……

「『大革命』の原因もそのナノ兵器?」


 その問いに司令が再び返事をした。

「オフコース」


「でもそんな事が暴露されたようなら、スズメバチの巣をつつくように国全体が更にひどい大混乱になりかねない。よってバーンズの組織も我々も今は下手を打てないの」


「しかしどうやって国民にAナノを?」問いばっかりで疲れてきたが、それでも質問せざるを得ない。


「ヴィック・バンのスポンサー、フリック・ドリンク社の製品よ。巨大勢力ヴィック・バンの差し金でフリック社は清涼飲料水にAナノを混ぜたの」


 ジョンの脳裏にフリック・ドリンク社の『コンバット・エナジィ』のコマーシャルが思い浮かんだ。

「……なかなかイカれた事を考えますね」

 そう発した自分の声音が不気味なほど納得の色がにじみ出ていることに内心驚く。


「ヒビキ少尉。相手の潜伏先、そして出方がわかり次第、報告するわ」

「了解!」

 司令の言葉に敬礼して答える。


「ミラ……娘さんはかならず救出しますよ」


 ジョンがその一言を言うと、司令は顔をうつむけ「えぇ、おねがい」と呟くように言う。

 その反応にかすかにジョンは疑問を感じた。

「ミラになにか後ろめたい気持ちでもあるんですか?」


 司令は顔を上げすこし意表を突かれたように自分を見る。

「どうして?」


「いえ、たしかエルシュ島に行く前の作戦会議ブリーフィングでも「似てきた」とか仰っていました。あの反応に未だに違和感があって」

 地下施設に設けた予備司令室でのやり取りを思い出しながら言う。


 司令はめずらしく押し黙った。


「今さらなにを言われても驚きませんよ。深くは詮索しないですし」


 その言葉に司令はジョンの目を見て、そして言い放った。


「いいえ、言わせてちょうだい。あの子は……ミラは、ヴィクター・バーンズのDNAデータを抽出して、遺伝子調整を受けて……私が孕んだの……。私はバーンズを愛していた。彼に奥さんや子供がいてもね」


 色々な意味で呑み込めない話であったが、ジョンは「そうですか。すみません」と短く返事をし、立ち上がった。

 野暮なことは深入りしない礼儀はわきまえているつもりだ。


 部屋を後にする直前、ジョンはふと思い立って振り返った。


「最後にひとつ。聞きたいです」


「何かしら?」


「ミセス・クラーク……いえ、司令は僕の遺伝子調整も担当したと伺いましたが、僕の親に相当する人物は知っているのでしょうか?」


「知っているわ。でもいまのあなたには不必要な情報よ」


「……わかりました。では」

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