幽霊酒

野方幸作

幽霊酒

僕がある居酒屋でアルバイトをしようと思ったのは、学費を親に出してもらってるのだから、小遣い銭くらいは自分で稼がなければ、という一丁前な考えからで、居酒屋というジャンルを選んだのは単なる気まぐれだった。

だが、この店に来て最初の教育で「原因不明だけど心霊現象があるよ」と言われた時は流石に訳がわからなかった。

曰く、あるテーブル、それも特定のテーブルではなくどこか一つのテーブルを幽霊が占拠している、というのである。そのテーブルは日によって変わり、開店直前に誰もいないはずのテーブルから呼び出しベルの音が鳴るらしい。

すると、その日はそのテーブルは予約席ということにして埋めてしまう。

大抵、小さいテーブルが「予約席」になるのだが、やはり一角を抑えられるのは店としても痛い。ただ、そのテーブルに水をお供えする、と言ったことはしないそうだ。なんでも見た目の縁起が悪いからで、立ち退いてもらう、という選択はしない方針だとかなんだとか。


だが、勤務して3日目に僕はふと考えた。

仮に、そう、これはあくまで仮定の話なのだが、酒をお供えするとどうなるんだろう?


予約席のプレートが置かれたテーブルを見る。今日の席は奥の方なので人目には付きにくい。その上、店員の目も少し届きにくい。


早速僕は実践することにした。

ぐ、とレバーを握り、ある程度のところでジョッキを立てて白いきめの細かい泡を盛る。

生ビール。

うちのビールはちゃんと某メーカーの生ビールを使ってて、そんじょそこらの安い居酒屋の発泡酒混じりの「自称生ビール」とは違う、なんて店長は自慢気だった。

正直なところ、商品を勝手にお供えに使うのはどうかと思ったが、そもそも飲み放題メニューに入ってるので、今入口近くの席で飲んでる大学生グループを尻目に「一杯くらいは誤差の範囲だろう」とこっそりお供えしてみた。

瓶ビールの方がそれらしいが、飲み放題メニューにないし、もし見つかっても置き場所にしてました、ということに出来そうなこっちの方がいいに違いない。


お供えから10分後。ふと見るとジョッキは空になっていた。人が口を付けた跡は無かったが、どうやら飲み干したようだった。

ふとピッチャーを置きたくなったが、ピッチャーは飲み放題メニューのみでかつ、こちらは発泡酒を使っているのでなんとなくやめた方がいい気がして置くのをやめた。

結論から言うとこれは正解だった。

後日、別のバイトがピッチャーをうっかりその席に置いたところ、3分の1くらいは無くなっていたが、それ以後減る気配が無く、ただ中途半端な気味の悪い飲みかけピッチャーが鎮座するだけになっていた。

心なしか空気が重い感じもあった。

それを見て「なるほど、幽霊殿は酒にうるさいらしい」という感想を持つに至った。


ピッチャー事件から数日後のシフト。

今日の「予約席」もまた隅っこの方なので、実験の時間が幕を開けた。

今日は日本酒だ。

こそっと徳利とお猪口を置くと、とくとくと注いでおいた。

だが、飲み放題メニューの日本酒クオリティなぞ、たかが知れているということをよく認識しておくべきだった。

お供えから5分と経たず、「予約席」から呼び出しが怒涛の勢いで届いた。猛スピードで僕が行ったところ、全く減った様子のない日本酒が残っていた。

訳もわからず呆然としていると、ぱたん、と予約席のプレートが、横長の三角形のどう考えても倒れるはずのない構造の予約席プレートが倒れた。

「・・・・・・失礼しました〜」

プレートを直すと、僕はこっそりその日本酒を下げた。

幸い誰にも見つからなかったが、どうやら下手に不味い酒を出すと怒りを買うらしいことを認識したのだった。


次の日、ハイボールを出してみた。

これは気が付くとすぐ空になっていた。

回収しようと近くを通るとこつん、とグラスをテーブルに置くような音がした。

二杯目をよこせ、ということか。

随分とお気に召したのか、この日のシフトはプラスワンでハイボール作成、という手間があったが、不思議と店内の空気が明るいような気がした。


しかしここまでやると、今度はネタ切れを起こし始めた。

飲み放題メニューで出せそうなものは最早カクテル系くらいしかない。焼酎は安いボトル入りのものなので、酎ハイはお勧め出来そうにない。

流石に自腹を切ってまで別メニューの酒を実験するつもりはない。

僕が大富豪ならやってもいいかもしれないが。

というか、大富豪ならアルバイトなんかしないか。


さてどうしよう。


そうして頭を抱えた日のシフト。やはり予約席プレートが視界にちらつく。

不味い酒は飲まないらしいが・・・・・・はてさて。


そんなとき、コールがうるさい大学生グループ・・・・・・残念ながら、これは僕の通う大学の学生なのだが、そこから注文が入った。

10人ほどの大所帯で、僕と同じゼミの顔を知ってるのも何人かいる。知り合いの働いてる店、というので気兼ねなくどんちゃん騒ぎに移行できるのだろう。

逆の立場なら多分僕もそうなってるかもしれない。

呼び出しは、その顔を知っている内の一人からのものだった。

「俺ね、ビールもう一杯」

注文表に書き落とす。

「そんで、ジントニックのトニック抜きとスクリュードライバーのオレンジジュース抜きをそれぞれこの先輩方に」

はいはい、と復唱しながら、僕はピンと来た。


これだ。


「はい喜んで!」

「なんでそんな笑顔なんだよ」

「別にいいだろなんだって」

「客に対してなんだその態度は」

にやにやしながら、その顔を知ってる男が僕になにごとかを言ってくる。一年生の僕が顔を知っていて、僕がタメ口がきけるということは・・・・・・いや、きっと彼は浪人生だったんだろう。


実を言うとこの店は、人が多い時は年齢確認なんか面倒でやってない。

事実、「年齢確認のあるなしが日によってまちまちなので、この店を選ぶのは割と賭けの一面がある。そのため、この店を選ぶときは極力大所帯の2、3組で予約して抑えるべし」という情報が大学ではまことしやかに囁かれている。

そんな情報だけは爆速で学生に知れ渡るのだ。

不思議なものだ。

まあ、かくいう僕も居酒屋で働くことを決めた後でその情報を聞いて、客が身内だけという気軽さからこの店を選んだのだが。


そんなことより。

今受けた注文だ。

確かに飲み放題メニューの酒というカテゴリーには入るし、なんならただ割り材抜きでベースの酒を氷とともに注ぐだけでいい。

普段はメニュー化されたカクテルなので、20ミリ単位で酒を注げるメジャーグラスを使うのだが、今回はそれを無視してただただ注ぐ。


この「ジントニック」と「スクリュードライバー」を彼らのところに持っていったときの反応たるや。

やんやと囃し立てるもの。流石にまずいんじゃ、と止めようとするもの。誰ともなくコールが始まる。

だが僕の興味は最早、知り合いの男からも、このグループからも離れていた。


さて、と。

「お待たせいたしました」

ごとん、と二つのグラスを「予約席」に置いた。

「ジントニック」と「スクリュードライバー」だ。

これを僕は1つ余分に作っておいた。


厨房に引き上げると丁度、別のグループの唐揚げが出来上がったところだった。

唐揚げを運び、大学生のどんちゃん騒ぎに耳だけ傾けて、ふと「予約席」に目を向けた。

片方は空に、もう片方は3分の1くらいまで減っていた。

はて、どっちがどっちだったっけ。

ひとまず空いた方だけ下げた。


それから、半数ほどが死体のようにぐったりとした大学生グループが引き上げた後、片付けついでに見ると「予約席」の酒は目減りしていなかった。

そのままにしておくのも気持ちが悪いので、その酒も引き上げた。

特に異常もなくこのシフトを働き、僕は退勤した。



面白いことに、その日から「予約席」のプレートを使うことがなくなった。



「幽霊も急性アルコール中毒で死ぬんだな」

僕は誰ともなく呟いた。

別段、怪奇現象が無くなったからといってアルバイトを辞めるか、というとそういうわけじゃない。

そもそも働き出した理由は自分の小遣い銭を稼ぐことなのだ。

怪奇現象はそれに付随してきたことに過ぎない。


さて。


幽霊にはアルコールが効く。

そんな知見を得た僕は、霧吹き型の消毒用アルコールを大学の帰りに、一番安いやつだが、それを買ってアパートに戻った。

「最初からこうすりゃよかったんだ」

僕はそのアルコールを部屋のある一点に向けて吹きかけた。


しゅっ、しゅっ、しゅっ・・・・・・


床面のいつから張ってあるか分からない畳がアルコールで濡れてひたひたになるが、お構いなしだ。

僕は無心でアルコールを吹きかける。


半分くらい吹きかけたところで、今度は敷きっぱなしになっている、ホームセンターで売ってたセットの布団にアルコールを噴霧する。


しゅっ、しゅっ、しゅっ・・・・・・


びだびだになった布団をそこに残し、僕は浴室に向かう。

古い給湯装置を操作し、水圧の低いシャワーを浴び、僕は考えた。

アルコールが駄目なら、度数の強い酒を誰か先輩に頼んで買ってもらおう。

尤も。

それもアルコールが効かなければ、の話だ。


浴室を出ると、冷凍食品のうどんを電子レンジに突っ込み、サイダーを飲んで調理を待つ。

今日料理するのは一食だけでいいはずだ。

電子レンジ調理を料理と呼称していいかは分からないが。

そして、程なくして出来上がったうどんを僕は何事もなく完食した。


それからゲームで遊び、日付が変わる前くらいに、僕はほんのりアルコール臭い布団に包まりながら眠った。


その日は快眠だった。

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