いきもの係の不良な少女?

ヒポポタス

プロローグ

「この子たち、だいぶ大きくなってきたな……」


 校舎裏にある小さめの花壇で、小さな蕾をつけはじめたマリーゴールドを眺めながら、文之はぽつりと呟いた。


 物静かな校舎裏で1人、花壇の塀に腰かけてぼんやりと遠くを見つめる。そして時折、マリーゴールドの方に目をやって顔をほころばせる。


 穏やかに、ゆっくりと時間の流れを感じられる放課後のこの時間は、文之の心に安らぎをもたらしている。そして最近はそれに加えて、少しばかりの楽しさもあって、


「あっ、ふみのーん! ごめーん、待った?」


 名前を呼ばれた方向に向き直る。


 そこには、毛先に白光りする金色をつけたポニーテールが揺れていた。生え際から数センチの髪は焦げた茶色になっていて、いわゆるプリンの状態の髪色だ。


 通学カバンを持つ反対の手を大きく振っている茶髪のポニーテールに、文之は小さく手を振り返す。


「僕は待ってないから大丈夫だよ。おつかれさま、無灯さん」


「それならよかった……」


 文之のすぐそばまで走ってきて、はぁはぁと息を切らしている彼女の名前は無灯鷺。文之と同じ2年3組の生徒だ。


 文之にとって初めてできた人間の友達と過ごす時間は、どこを切り取っても新鮮で、心の踊る毎日だった。


「お花の様子が気になりすぎて、逃げてきちゃった」


「逃げて!? ダメだよ、先生の話はちゃんと聞かないと……」


「いやでもさ、衣笠って話始めると長いし。私はさっさとお花見て癒やされたいのに」


「それでも先生の話はちゃんと聞かないと……」


 文之が言うと、鷺は今までの小刻みな吐息とは違った、はあという大きな息を吐いた。


「ふみのんはマジメだなあ。まあ後でちゃんと聞きに行くからさ、今はお花見せてよ」


 持っていたカバンを近くに放り投げてから、鷺は花壇の塀を前にして膝を抱える。文之もそれに倣ってその隣にしゃがむ。


 短く折られたスカートから覗く、血色の良いふとももを視界に捉えて思わず目を逸らす。しかし鷺はそんなこと気にする様子もなく「元気にしてたかー?」とまるで友達に話しかけるような語調で、マリーゴールドに声をかけている。


「もうそろそろ花が咲くかな?」


「時期的にはあと1、2週間ってところかなあ……」


「もうすぐだ!」


 鷺の目の前にある花壇のスペースには、数本のマリーゴールドと一緒に「鷺のメリーゴーランド」と書かれた園芸用のラベルが刺さっている。


 花壇の端のちょっとしたスペースで鷺が大切に育てているマリーゴールドは、開花の時期をすぐ間近に控えていた。


「……まだ花壇にスペース余ってるし、次に植える花なににするか見てみる?」


 目を輝かせながらマリーゴールドを見つめる鷺の隣で、文之は自分のカバンの中から取り出した花の図鑑を掲げてみせる。


「見る! 見たい!」


「……うわっ!」


 それに反応して、勢いよく文之の方に振り返った鷺に押されるようにして、文之は尻餅をついた。


「あっ、ごめん。大丈夫、ふみのん?」


「うん……ちょっと、驚いただけだから」


 慌てて立ち上がった鷺が差しだした右手を掴みそうになって躊躇する。当たり前のように差し出された、真っ白の小さな手を握るのは気が引けた文之は、地面に手をつけて立ち上がった。


「……もしかしてうちの手、どっか汚れてた!?」


「あっ、別にそういうわけじゃないんだけど……」


 女の子と手を握るのが恥ずかしかったと、正直には言えず適当に濁して答える。スカートの裾で右手を拭っていた鷺は、そんな文之の態度を見てふふふ、と頬を緩めた。


「もしかしてふみのん、うちの手触るのが恥ずかしかったとか?」


「えっ、いや。そんなことはない、けど……」


「はっはーん! その顔は図星だね、ふみのん」


 あたふたする文之にうりうり、そうなんだろ-、と言いながら体をつっつく鷺。


「無灯さんっ……それ、やめっ……」


「もー、ふみのんは恥ずかしがり屋だなあ。うちの手なんて、ふみのんが花とか生き物とか触る感覚で普通に触ってくれていいんだからね? 別に気にすることなんてなにもないよ」


 うりうり攻撃を緩めて、鷺は正面から文之を見据える。言い終わってから、文之の右手を両手で掴んで少々強引に自分の方へと引っ張った。


「……えっ!?」


「うちとふみのんは友達なんだから、変な遠慮はされたくないし。……そだ、いまここでうちの手に触って慣らしとこ!」


「い、でも……」


 言い淀む文之の手が両手で包み込まれる。鷺の両手はひんやり冷たいのに、文之の体は内側からじわじわと熱を帯びていく。


 手汗がどっとふき出るのがわかって、文之の右手がわなわなと震える。


「ふみのんの手、震えてるよ? まだ緊張してるの?」


 ふふ、っと鷺は小さな笑みを零す。


「かわいいなー、ふみのんは」


「か、かわいくなんか……」


 破顔した鷺の頬はほんのりと赤みがかっていて、それがあまりに美しくて、文之はしばらく視線を奪われていた。それは至近距離に接近している鷺から漂う、女の子特有の香りに誘われたせいかもしれない。


「ほら、これでもう慣れた! 次からはうちの手に躊躇しないでよ?」


「う、うん……」


「それじゃその本、見よっか!」


 そこで、文之の右手を包み込んでいた鷺の手はぱっと離れた。


 包まれていた手があらわになった瞬間、文之の手は生ぬるい風に晒されて、ひんやりとしていた鷺の手の感覚はさっぱりどこかへなくなっていた。

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