「まる」と「しかく」

ながる

「まる」と「しかく」

 飛ぶように風を受ける。


 じわりと熱を持つ足下から、こぽりこぽりとオレンジに輝く溶けた大地が湧いていた。硫黄の匂いが蔓延する活きた山を後にして、霧にむせぶ神秘の湖を通り抜け、その懐に抱かれる小さな池に辿り着く。


 透明なエメラルドブルーに湛えられた苔むした倒木は、その姿を変えることなく、静かに水の中に横たわっている。時が止まっているかのような木々の影に、小型の魚がすい、と消えていった。

 差し込む光の加減で変わる水の色合いに、スマートフォンを持つ手がなかなか下ろせない。

 十枚は撮っただろうか。後ろ髪引かれる思いで相棒のもとへと取って返した。


 この大地は広い。

 空に遮るものがないからか、太陽が空を滑り落ちていく速度が速いような気がして先を急ぐ。目的地はここじゃない。


 相棒に跨りメットを被る。落ち着いたら拭いてやらないと。自然の中ではどうしても虫の特攻を躱せない。洗える場所があれば一番いいんだけど。

 低いエンジン音を響かせ、いくつかの石を弾き飛ばしながら相棒は滑り出す。砂利にタイヤを取られないように慎重に。舗装道路に辿り着けば、あとは対向車も少なく快調だ。


 カーブを抜けて、何処までも続く直線に思わず相棒を脇に止めた。丘をひとつ越えて、その向こうの丘まで貫く緑の中の灰色の一本線。あれを越えてもまだ真直ぐに続いているらしい。これを走って行ったら、あの青い空に吸い込まれてしまうのではないか。

 そうしたい思いと、それは少し怖いという思いを一枚の写真に閉じ込める。

 相棒となら、空の中でも走れるだろうか。


 風光る。風薫る。

 時々ふと鼻を掠める草いきれの中、どこまでも真直ぐに進む。

 変わり映えのしない景色に、同じところをぐるぐる回っているような気さえしてきた頃、看板が見えた。

 ほっとして頬が緩む。

 案内通りにゆっくりとハンドルを切った。




 ライダースーツのジッパーを引き下げ、蒸れた身体に高原の涼しい風を招き入れる。逸る心を押さえつけながら、停めた相棒から荷物を解いて寝床を作ってしまう。もう慣れたものだ。ひとり用のテントは設営にもそれ程時間はかからない。


 さあ行こう。いざ、展望台へ!


 見たくなくとも見えてしまう、眼前の大パノラマ。展望台の階段を駆け上がると、もっと視界は開けた。

 何処までも続く草原、時折見える白と黒の点は放牧されている牛たち。格子状に作られた防風林。何を植えるのか、植えていたのか、畑の場所は茶色く切り取られている。どこまでも視線を伸ばすと、それは空とくっついた。


 遥か彼方の地平線。

 目でなぞる。視線を滑らせる。どこまでも行く。ゆっくりと身体も回す。まだ途切れない。

 地平線はやがて水平線へと取って代わり、まだ続く。それが海だと辛うじてわかる程度の距離。

 水平線は唐突に山々にぶつかって、途切れた。けれど、そこからもう少し先を見れば、また地平線が現れる。また追いかける。始めの位置まで。

 ぐるり、地球は丸い。


 地平線に溶けていく夕陽を見ても、まだまだショーは終わらない。

 今度は星たちが恥ずかしげに現れる。一番星、二番星……夕陽の名残が消え去ると一斉に。全天を星々が覆う。

 まさに天然のプラネタリウム!

 ちかちかと瞬き、ゆらぐ星たちに包まれる。草の上に寝転がると、宇宙に浮いているようだった。


 宇宙遊泳から戻ると、東の空から四角い太陽が昇ってくる。

 光の屈折、蜃気楼。まるで違う世界に迷い込んだみたいに――ドラゴンが一匹、悠々と四角い太陽の前を横切った。



 * * * * *



 残念ながら、最後の四角い太陽は夢だった。見たいと思っても今は無理。あれは冬しか見られない。

 冷たい水で顔を洗って、帰り支度。


 また来よう。四角い太陽に会いに。今度は雪の中、まるい、まるい大地へ。




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