なんしょん公園のタンブルウィード

つくお

なんしょん公園のタンブルウィード

「あれ、お前髪切った?」

 おれが言うと木崎は驚いた顔をする。

「え、今?」

「いつ?」

「いつって――」

「これの前の日だろ」アズが割り込んでくる。「髪切ったってタモリかよ」

 修学旅行の三日目。おれたちは神戸から淡路島を経由して徳島に来ていた。途中で髪を切ってる時間なんかなかったよなとは思ったが、旅行前に切ったということらしい。納得。

「知ってた?」

 おれは隅でずっとオンラインチェスをやっているノッシに話を振った。もとはただ緑川と呼んでいたが、最近アプリで使っているアカウント名があだ名になった。チェスは仲間内では他に誰も興味がない。

「一応」

 ノッシはスマホから目を離さずに答えた。

「普通すぐ気づくだろ」とアズ。

「全然分かんなかった。あ、秋葉にコクるからか」

 前から秋葉にコクると言っていた木崎だったが、修学旅行をその舞台に選んだらしい。わざわざそんなハードル上げるか? いや、むしろこういうときの方が確率あがるのか?

 秋葉はおれたちと同じクラスのバトミントン部の補欠で、あいみょんにそっくりな顔をしていた。なぜかおれ以外に誰もそのことを指摘しないが、とにかくおれにはどこがいいのか全然分からない。アズは後ろから犯したいなんて言うが、こいつは女と見ればそう言うから何のアテにもならなかった。本当のところ、アズは将来そういう性犯罪的なことを絶対やるから、卒業したら縁を切った方がいいと思う。

「別にそういうわけじゃないんだけど」

 木崎は、秋葉のことでからかわれるといつも以上に歯切れが悪くなった。こいつは普段からおどおどしているところがあって、秋葉だろうが誰だろうが女子とうまくやれる気は全然しない。

「今夜コクれよ」とおれ。絶対にフラれるところが見たい。

「秋葉たちってどこ行ったの?」

「渦潮見に行った」

 情報通のアズが即座に答える。徳島では自由行動だったが、大半の生徒が渦潮見学に行ったという。一方、おれたちがいるのは、ここはどこだ? どこかの児童公園だ。駅前に大きな城址公園があったが、そこは人が多そうだからやめた。それで人がいない方、いない方へ歩いて来たらこの公園があった。徳島のどこかだが、どこなのか正確には分からない。

 計画は何もなかった。だいたい、おれは知らない場所が好きじゃないのだ。騒々しかったりゴミゴミしたような場所も疲れるだけ。よく知っている場所、同じメンツ、毎度毎度お決まりのルーティンがいい。早く帰って一人になりたい。

 子役時代は大変だった。撮影のたびにあちこちロケに行かけなければならなかったし、現場ではいつも大人びた振る舞いを要求された。学校に行けばからかわれるし、休みはレッスン漬けだ。親の期待だってあった。

 自分には向いてないという自覚がないまま無理をしていたら、ある日パンクしたのだ。小学校はそのまま不登校になって、中学もほとんど行ってない。一度なんて学校に火をつけかけたこともある。いや、つけたんだったか。高校は家から離れた私立を受験した。自由な校風が売りの単位制だ。

「なんで徳島なのよ?」

 おれは言った。徳島がわざわざ修学旅行で来るような場所には思えなかった。地元の高校に行ったやつらはシンガポールとかオーストラリアに行っているのだ。それなのに、なぜおれは四国なんだ。四国。どの県がどの位置なのかも分からない。この公園には遊具さえなく、ただの空き地も同然だ。

「うちの学校の創設者の出身地らしいよ」

 木崎が言う。同じ高校出身の父親が言っていたらしい。創設者はのちに市議会議員か何かになったというが、要するにそいつの自己顕示欲の犠牲というわけだ。うちの学校では修学旅行のコースは神戸・淡路島・徳島と巡るコースか、尾道・倉敷・徳島と巡るコースしかない。三泊四日。くそ。

 とにかく、ホテルに集合する時間までここでまったりしているしかなかった。行くところなんかどこにもないんだから――。

「お前ら!」

 突然の大声に振り向くと、後ろにブレザー姿の高校生グループが立っていた。学ランのおれたちは、訳が分からないながらも気圧されて一歩引きさがった。

「誰に許可もらってここにたむろしてやがる」

 リーダー格の男が一歩前に出て言った。

 こいつら、なんだいきなり。おれたちは動揺して互いに目を合わせた。まさか、喧嘩を売られてるのか?

「許可なんかいるわけないだろ」

 おれは言い返した。

「許可なんかいるわけないだろ」

 リーダーの男が小バカにするようにしておれの真似をし、連中は仲間内で笑い合った。

「おれたちは東京都立不徳高等学校のもんだ」

 リーダーの男がやけに堂々と名乗った。地元のやつらかと思ったがそうではないらしい。

「なんだ、お前らもヨソもんか」アズが素早く突っ込む。

「うるせぇ。お前らはどこの学校だ」

「お前が言え」アズがおれに振る。

「どうして」

「いいから」

 おれはアズに押されるようにして前に出た。

「私立ヤマカン学園」仕方なく言う。

「どこだ。東京じゃないな」

「神奈川」

 おれが答えると連中は嘲笑った。神奈川県は東京の属州みたいなもんだからそれも当然だった。

「おれたちはバンドも組んでる」とリーダーの男。

「どうせコピーバンドだろ」

 苦し紛れに言い返すと、やつは「うるせぇ」と毒づいた。図星だったらしい。おれたちは同じクラスという以外に何も共通点がなかったが、わざわざ言う必要はないだろう。

「おれたちはくだらねぇ修学旅行でへとへとなんだ。ここで休むことに決めた。お前たちは出ていけ」

「おれたちが先にいたんだ」アズが主張する。

「別の場所を探せ。力尽くでもどいてもらうぜ。くそ、徳島くんだりまで連れて来られて何もありゃしねぇ。おれたちはどこかで時間を潰さなきゃならねぇんだよ」

 こいつらも修学旅行にフラストレーションがたまっているようだった。だが、別の高校のグループが一緒にいるには確かにこの公園は狭すぎる。

「やってやるぜ。なぁ?」

 アズがおれに同意を求めてくる。

 こっちは四人、向こうも四人。数の上では負けてない。なぜこんなところで縄張り争いをしなければならないのかという疑問は払拭できなかったが、ちょっと脅されたくらいで引き下がるわけにはいかなかった。

 アズと木崎がおれの横に立ち、おれたちは戦闘態勢に入った。連中のうち三人もおれたちと向き合うようにして並んだ。

「ノッシ、お前も来い!」

 おれはまだスマホでチェスをやっていたノッシに声をかけた。

「魚の目!」

 向こうにも一人、後ろでずっとスマホを見たままのやつがいた。

 そのとき、ノッシとその魚の目と呼ばれたやつが同時にスマホから顔をあげた。

「ノッシさん?」

「魚の目さん?」

 二人は今まさにオンラインでチェスの対局をしていたのだった。この二人は同じチェスアプリで互いにしのぎを削る高校生チェスプレイヤーだったのだ。ノッシと魚の目は奇跡としかいいようがない出会いに歓喜し、二人で隅に行って対局を続けた。

「これで三対三か」アズが口惜しげに言った。

「バカは放っとけ。出て行ってもらうぞ」リーダーの男は気を取り直して宣戦布告をした。公園はまさに一触即発の状態だった。

「おまえら、なんしょん!」

 甲高い声が公園に響いた。振り返ると、そこには地元のヤンキー女子高生五人組がいた。五人のうち二人が紙のタバコを吸っていた。

「不良だ」木崎が恐れをなして言った。

「しょうもな」リーダー格の女が吐き捨てるように言った。

「さち子、こいつら修学旅行生じゃ」

 女たちの一人が言うと、さち子と呼ばれたリーダーの女がうなずいて一歩前に出た。

「うちらは徳島県立須股女子高等学校のもんじゃ。ここはうちらの憩いの場。叩き出される前に消えな」

 さち子はそう言うと背中から何十本も釘が突き出たバットを取り出した。すでに誰か殴ってきたのか、血糊がべっとりと付いていた。他の女たちも横並びになり、飛び出しナイフ、鞭、ヌンチャク、棒手裏剣といった凶器を手にした。

 おれたちは一瞬怯んだが、すぐにそれぞれの武器を取り出した。不徳高校のやつらもだ。メリケンサック、手斧、チェーン、モデルガン、ブーメラン。おれは靴を脱いでグローブ代わりに両手にはめた。

 三者が睨み合う。

 風が吹き抜け、タンブルウィードが転がる。

「死人が出るな」とアズ。

「やっちまいな!」

 さち子の掛け声とともに、三グループ全十一人が鬨の声をあげて乱闘をはじめた。

 さち子は釘バットを頭上で振り回しながらおれに突進してくると、金切り声をあげて殴りかかってきた。おれは何とか靴グローブで受け止めたが、力で押し切られそうになった。両手がふさがったおれは唾をぺっぺと吐いて応戦した。

「てめぇ、殺す!」

 さち子は頬についた唾をぬぐい、血走った目で脅してきた。

 ふいに、おれの脳裏に遠い昔の子役時代の記憶がよみがえった。祭りで阿波踊りを踊るおれ、その隣に一人の少女。その少女の名前は――。

「……さち子」

「気安く呼ぶな」

「来たことある。おれ、徳島来たことあるわ」

「はあ?」

 あれは小学校二年か三年のときのことだ。おれはあるダンス番組の企画で徳島に連れて来られたことがあった。地元の子供たちに阿波踊りを教えてもらい、祭りで一緒に踊ったのだ。そのときおれに振り付けを教えてくれたのが同い年のさち子だ。

「小学生のとき、一緒に阿波踊りやっただろ」

 さち子が眉間にしわを寄せておれの顔を見た。おれは彼女の瞳の中で殺意がぐらついたのを見逃さなかった。テレビに出たくらいだから、さち子にも記憶が残っているはずだ。あれは、おれの初恋だった。

「そんなん知るか!」

「おれだよ。ガン太」

 本名ではない。子役時代の芸名だ。いやな記憶しかないから、やめて以来封印していたのだ。

「知らんちょんでえ!」

 さち子はわめき散らしながら釘バットを振り回した。おれが靴グローブで打ち合わせると、釘バットが宙にはじけ飛んだ。

「お前ら!」

 怒声が鳴り響いた。体罰大好きな社会科の禿げ、和田を筆頭とするうちの学校の見回り教師軍団だった。

「くそ、先公だ!」

「旅行先で人に迷惑をかけるなって散々言っただろ!」

 はじき飛ばされた釘バットが、くるくる回転しながら和田めがけて飛んでいった。おれたちは争いをやめて釘バットの行方を見つめた。釘バットは和田の脳天に突き刺さった。全員が固まった。和田が自分で釘バットを引っこ抜くと、禿げ頭から幾筋もの血が水芸みたいに噴き出した。もともと醜い和田の顔が、さらに醜く歪んだ。

「貴様ら! ぶちのめす!」

 釘バットを手にした和田と教師軍団は、高校生同士の争いに猛然と乱入してきた。鈍い殴打音と凶器のぶつかり合う金属音があちこちで響き、血しぶきが霧のように公園を覆った。地面にはもげた腕が転がり、不徳高校のやつが火だるまになって砂場に倒れた。

 さち子が花壇の立て札を引っこ抜いて振り回し、おれはなぎ倒されてマウントを取られた。立て札の先端に喉を突き刺されそうになったそのとき、公園の脇に一台のバンが来て急ブレーキをかけて停まった。ボディに地元青年団の名称が文字入れしてあった。

「さち子! またハマったぞ!」

 運転席の男が大声で呼びかけた。

 おれはさち子に三歳年上のお兄さんがいたのを思い出した。祭りのとき色々と面倒を見てもらったのだ。名前も覚えていた。

「トシ兄か」

「お前……、ガン太?」

 さち子がおれの顔を見て言った。ようやく思い出したらしい。

「さっきからそう言ってるだろ」

「早く乗れ!」トシ兄がさち子に言う。

「ガン太も来るか?」

「ハマったって何?」おれはわけが分からずに訊いた。

「慈眼寺の穴禅行。たまにあるんだ」

「アナゼンギョウ?」

 さち子は立て札を捨てておれを引き起こすと、トシ兄の車に連れて行った。

「トシ兄、これガン太」

「誰?」

「いいから。乗って」

 おれたちはバンの後ろに乗り込んだ。

「よっしゃ、行くぞ!」

 慈眼寺というのは四国遍路の別格霊場の一つで、蝋燭の明かりだけを頼りに狭い鍾乳洞を通り抜ける修業が行われているという。それが穴禅行だ。洞窟はあまりにも狭く、ときどき途中で体がつかえてしまう人が出るのだ。

 おれはさち子と一緒にハマった人の救出作業を見学した。夜までかかった。さち子と手をつないでキスをした。修学旅行、最高。




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