たしかに恋だった

清野勝寛

本文

たしかに恋だった



伊織の葬式は、少ない身内で行う家族葬だった。僕と伊織に直接的な血の繋がりはないけれど、所謂幼馴染と言うやつだったから、僕と、僕の両親はその葬儀に呼ばれた。もうすぐ17歳の誕生日を迎える筈だった伊織の棺の上に飾られた写真は、高校の入学式で一緒に撮った写真だった。


小さな会議室程度の貸しホールで、葬儀は執り行われる。僕が伊織の両親に頭を下げると、二人は晴れやかな笑顔で僕を出迎えた。おばさんが、笑顔のまま僕に言う。

「来てくれてありがとう。最後まで迷惑ばかりかけてごめんね」

「そんな、迷惑だなんて」

「いいのよ。本当に、ありがとう。私達が言うのもあれだけど、伊織のこと、送ってあげて」

そう言われてしまうと、何も言い返せない。僕は黙って頭を下げて、用意された椅子に座る。そのうち坊主が来て、経を上げるのだろう。


――


僕と伊織は、一日のうちに必ず何度かは顔を合わせた。それは朝の登校中であったり、昼休みのトイレに向かう途中だったり、放課後、たまたま帰る時間が一緒になったり、お互いの家族全員で一緒に、どちらかの家で晩御飯を食べたりと、それくらいの仲だった。物心ついた頃から一緒にいたから、僕は伊織の家族のことも、本当の家族というか、親戚以上の関係であると思っている。


だから、お互いのことは完全に理解していた。趣味は違えど、好きな音楽や漫画はお互い貸し借りもしたし、視線なんかでなんとなくどの人間に好意を寄せているか、嫌っているかまでなんとなく分かってしまう。その日の機嫌なんかも当然。

「おっくん、なんか最近元気なくない?」

ある日、そんな風に伊織に言われた。かくしごとが出来ない身内というのはなかなか厄介で、正直に打ち明けるべきか、無理矢理にでもはぐらかすか悩んでいると、伊織が続ける。

「なおのこと、気になるんでしょ?」

僕の顔を覗き込んでくるそのにやけ顔に、デコピンする。「あいたっ」と短い悲鳴のあと、「なにすんだ」と肩を叩かれたが、そのやりとり以降、伊織は僕に詳細を聞いて来なかった。高校生にしては子どもっぽすぎるところがあると思っていたが、気を遣うくらいのことは出来るらしい。


「お前、宮野と付き合ってんの?」

そのやり取りがあった数日後、クラスメイトから突然問われた。伊織は隣のクラスなのに、どうしてこいつが伊織のことを知っているのだろう。そう疑問には思ったが、別に掘り下げることでもないかと「いや、違うけど」と返す。すると、そのクラスメイトが続けて聞いてきた。

「いや、なんかごめんな。聞いて欲しいってやつがいてさ」

「誰?」

「藤野」

それは、僕が密かに思いを寄せていた女性、藤野奈緒だった。正直混乱したが、勘繰られたくなかったので、ふぅん、とだけ返して席を立つ。尿意はなかったが、そのままトイレに向かってやり過ごした。


僕がそのやりとりの意味を理解したのは、それから一週間後のことだった。

「違う、ホントなんだって!」

放課後、下駄箱で靴を履き替えていると、伊織の声が聞こえてきた。別にそれだけなら気にせず帰ってしまうのだが、その声が誰かと言い争っているものに聞こえたので、履いた靴を脱ぎ、声のする方へ行ってみる。

「嘘、だって聞いてもらったら、違うって言ってたよ!」

「それは……おっくん、恥ずかしがって……」

言い争っている相手は、藤野奈緒。向こうには他に何人かいて、構図的には藤野らが伊織を責めているように見えた。

「あ……」

伊織が僕に気付いて声を漏らす。振り返った藤野は僕と目が合うと一瞬バツが悪そうな顔をしてから頭を振り、キッと僕を睨み付けて言った。こんな表情をする人だとは、思っていなくて、心臓が止まる。

「槙村君、宮野さんと付き合ってるの」

それは質問というより詰問だった。僕は一歩後ずさりながら「いや」とだけ答える。

「違う! 馬鹿!」

そう言って伊織は走り去ってしまった。藤野達も、僕を置いて何処かへ行ってしまった。一体何がどうしたというのか。


家に帰る前、伊織の家へ寄ってみる。おばさんが僕を出迎えてくれたが、伊織は部屋から出てこなかった。「今は話したくない」そうだ。全く理解出来なかった。お互いのことをちゃんと理解していたつもりだったのに、今の伊織が何を思っているのか、全然分からなかった。



それから、日に日に伊織は衰弱していっているようだった。朝、顔を見かけても僕を避けていく。心配で伊織の両親に様子を聞くが、家では別に普通だという。ただ、食事はダイエットだとか言ってあまり食べなくなったとだけ言っていた。僕の家で皆でご飯を食べるとなった時も、伊織は家に来なかった。


その頃、僕は藤野から告白された。僕としては意中の子から告白されるなんて願ったり叶ったり。直ぐにオーケーを返して、僕たちは付き合うことになった。藤野は優しくて、伊織にはない女性らしさを感じる瞬間がたくさんあって、会う度に緊張した。ただその緊張がどこか心地好くて、僕はますます彼女のことが好きになっていった。


夏休みが明けて秋になると、伊織は学校に来なくなった。さすがに心配になって、僕は毎日伊織に連絡をした。けれど返信は来ない。家に直接言っても、会ってくれない。伊織の両親も、僕の両親も困惑していた。普段は明るい性格の伊織がそうなってしまったのが一体なぜなのか、身内の誰にも分からない。

だが、僕は知ってしまった。彼女を追い込んだ原因が、僕であるということに。


「おっくん、なんか最近元気ないね?」

「あぁ、うん、まぁ……」

学校からの帰り道、藤野にそう問われた。はぐらかそうと曖昧に答えると藤野が呟く。

「宮野さんのことだよね」

「え」

思わず声を漏らした。藤野を見つめると、ごめんなさいと藤野は僕に頭を下げた。困惑していると、藤野がぽつぽつと語り出す。

「そんなつもりじゃなかったの……でも、宮野さん、私に突然おっくんのこと、好きなんでしょって言ってきて……正直に答えたら、おっくんは私と付き合ってるからって……」

「あぁ、それで言い争っていたんだ」

「うん……あの日から宮野さん、クラスの女子に嫌われちゃって……いじめ、みたいなことになっちゃって。私じゃ、どうしようもなくて……そしたら、学校に、来なくなっちゃって……」

そこまで話して、藤野はその場に泣き崩れる。どうして気が付かなかったのだろう。お互いのことは、なんでも分かっていたはずなのに。でも、伊織はどうして僕と付き合っているなんて嘘を吐いたのだろう。

「話してくれて、ありがとう。今日はちょっと、先に帰るね」

藤野が泣き止むのを待ってから、そう言って僕は足早に伊織の下へ向かった。


伊織の家に向かうと、おばさんがいつものように僕を出迎える。様子を聞いても、いつもと変わらないとのことだった。

「少し話が出来ないか、粘ろうと思うんですけど、いいですか?」

「いいよいいよ、ちょうど夕飯の買い物に行こうと思ってたんだ、食べていくでしょ?」

「ありがとうございます」

そう言っておばさんは出ていった。僕は伊織の部屋に向かい、扉をノックする。

「伊織、少し、話があるんだけど」

返事はない。仕方がないので、扉越しに話をする。

「今日、藤野から学校でのこと、聞いたよ。お前、どうして僕と付き合ってるなんて嘘……」

そこで、扉が少しだけ開いた。伸びてきた腕に無理矢理引き込まれる。突然のことに驚き、態勢を保てず僕は部屋に転がった。伊織の部屋は、真っ暗だった。内側から、段ボールで窓を隠しているのが一瞬見えたが、扉を閉めると、その光も見えなくなる。戸惑っていると、何かが僕にのしかかってきて、そのまま押し倒され、腕をおさえつけられる。

「おっくんが、悪いんじゃん」

久しぶりに聞いた伊織の声は、掠れていた。こんな声では絶対になかった。そのまま、柔らかい感触が口にあたり、何かが口の中に侵入してくる。伊織の舌だと気付いた瞬間、僕は伊織を思い切り突き飛ばした。

「な、なにすんだよ……!」

「わかんない? 好きなんだよおっくんのこと。大好き。愛してる。ずっとずっと、小さい頃から、一緒だったじゃん。おっくんは、私とずっと一緒にいるべきだったのに。なのに、あいつのせいで」

再び伊織が僕に飛び掛かってきた。視界がないので、がむしゃらに腕を振り回して抵抗する。すると、頬に強い衝撃が走った。次に腹にも。また腹、もう一度。苦しくて息が出来ない。呻き声を上げていると、再び伊織が僕に馬乗りになってくる。

「逃げないで。私にはもう、おっくんしかいないんだから。おっくんだってそうでしょ?」

「伊織、それはちが……っ!?」

言いかけた途中で頬を殴られる。ずっと引きこもっていたのに、どうしてこんなに力が強いんだ。

「違うでしょ、誰が悪いの」

「伊織、僕っ」

また殴られる。何度も、何度も、何度も。

「誰が悪いの? おっくんでしょ? だから、責任とって、私を愛して。いいよね、ね?」

朦朧とする意識に、伊織の声が降り注ぐ。血だらけの口に、伊織の舌がまた侵入してきた。力が入らない。おばさんにこんなところ見られたら、どうしよう。そこまで考えたところで、扉の開く音が聞こえた。それと同時に、伊織が僕から離れた。

「また明日来て」

それだけ伝えられると、扉の奥に放り出される。僕の顔を見ておばさんが驚いていたけれど、少しヒステリックになった伊織を押さえつけただけで、ちゃんと話は出来たと伝えた。伊織のことは任せて欲しいというと、ありがとうとおばさんは泣いた。


「許せない……そんなひどいこと! 自分勝手!」

次の日、藤野には隠さずに昨日のことを伝えた。僕のために、藤野は怒り、そして泣いてくれた。

「まぁ、身内だからさ。これくらいは別に平気なんだけど」

「私が平気じゃないの。おっくんが酷いめに合うのが、平気なわけないじゃない……今日も行くの?」

「そうだなぁ……あの感じだと、行かないとどうなるか……」

「行かない方がいいよ! 危ないよ! 警察に相談しよ?」

藤野は立ち上がりそう言った。そう言ってくれたのが嬉しくて、僕は藤野を抱きしめた。

「ありがとう。もう一回だけ、話をしてみるから」


放課後、伊織の部屋に向かう。暗い部屋に引きずり込まれる。そして、昨日のように一方的に、伊織は僕を愛撫した。嫌な気はしない。こんなことで伊織の気が済むのなら、僕はそれで構わないと思ったからだ。伊織の思う通りの反応をしないと、拳が飛んでくる。それも二、三度で、おおよそどうしたいのか検討がついた。だって、僕と伊織は、お互いのことを理解しているのだから。


僕は伊織に毎日呼び出され、その度に犯された。そんな生活が一週間ほど過ぎた頃、とうとう僕と伊織は繋がった。伊織は僕の上で乱暴に腰を振り、僕はそれを支える。これが人を愛するということではないと、僕は伊織に伝えたかったけれど、きっと僕の声は、もう伊織に届かないだろう。それに僕も、悪い気はしなかった。求められるということは、それだけで喜びに変わってしまう。僕は伊織の更生という大義名分を振りかざしながら、一人の女性と関係を持った。恋人と呼ばれる存在が別にいるというのに。

 

いつの間にか、年が変わっていた。冬休みも当然のように、伊織は僕を呼び出す。藤野には、僕と伊織がしている行為については知らせなかった。

部屋に入ると、いつものように伊織が僕をベッドに押し倒す。そのままの態勢で、伊織は僕に死の宣告をした。

「聞いておっくん。私、妊娠したよ。おっくんとのこども」

全身から、血の気が失せた。いや、いつかこうなってしまう可能性は、考えなかったわけじゃない。でも、平気だと思った。何回やったって、大丈夫だったから。僕は伊織に、何も言えなくなる。

「後は結婚すれば、おっくんは本当の意味で私のものだね。ねぇ、名前はどうしようか。あぁでも、こどもがいるってどうなんだろう。おっくんのこと、独り占め出来なくなるのは嫌だなぁ。世話も面倒だし。おろしちゃおうかな」

「何言ってるんだよ。まずはちゃんと、皆に伝えないと……」

声が震えた。殴られるかと思ったが、伊織は僕の隣に寝転がって頬を摺り寄せてくるだけだった。

「ダメだよ。きっと怒られるし、理解してもらえない。もういっそ二人でどこかに住んじゃおっか?」

「それは……」

「なに、やなの」

答えに詰まると、首を絞められる。おかしな声が出たところで解放された。

「やっぱりおろすね。家庭を作るのなんて、いつでも出来るし。おっくんはまだ私のこと、ちゃんと愛してくれないし。だから、こんななし崩しじゃなくて、おっくんから伝えて。家族が欲しいって。それまでは、私がおっくんを愛してあげる」



僕は恐ろしかった。もたらされる快楽のせいで、見失っていた。僕はとんでもない勘違いをしていた。でも、もうどこにも逃げられなくて、仕方なく、藤野に甘えた。してきたことを、その時の気持ちを正直に伝えた。藤野は泣きながら話す僕の話を全部聞いてくれて、それから優しく抱きしめてくれた。

「ありがとう、正直に話してくれて」

それから、僕と藤野は初めてキスをした。僕は我慢が出来なくなって、藤野を押し倒した。藤野はそんな僕を受け入れてくれて、そのまま僕たちは初めて重なった。


行為が終わった後、藤野が呟いた。

「殺そう」

「……え?」

「殺そう、それしかないよ」

聞き間違いかと思ったが、違った。藤野の目は、いつか見た強い目をしていた。僕はそれに反論出来ない。

「大丈夫、作戦は私が考えるから。絶対に上手くいく」

「でも、」

「このままでいいの? まだ私達高校生だよ? まだ働いてだっていないのに、家庭だなんて。狂ってるよ。それにいつまでも合わせていたら、おっくんだって狂っちゃうよ。だから、殺そう」

僕はもう、何も言えなかった。



その一週間後、僕達はとうとう計画を実行することにした。伊織に、「大切な話がしたいから、今夜外へ行こう」と提案。当然最初は嫌がったが、なんとか説得して外に連れ出す。歩くと少し遠かったが、近くの川辺まで行き、そこに並んで座る。最初は不安そうな表情だったが、こんな田舎町だ、夜中に出歩く人は多くない。誰にも出くわさないことに安心したのか、久しぶりの外で少しずつ伊織の顔が明るくなっていく。その表情はずっと昔に見たかつての伊織のそれだった。僕は涙が出そうになるのを堪えて、伊織と手を繋ぎ歩き続けた。

「はじめに、伊織に謝らないといけないことがある」

「なぁに急に」

久しぶりに見た柔和な表情だった。でも、それに騙されてはいけない。

「僕は、伊織のことを本当の家族のように思っている。それは今までも、今も、これからも多分変わらない」

「私も、そうだよ。おっくんのこと、家族だって」

「いや、多分伊織と僕では、その言葉の意味が違うんだ。家族とは普通、結婚したりしないだろ? 僕にとっての伊織って、やっぱりそういう関係なんだ」

「……ひどいよおっくん。毎日毎日、あんなに愛し合ったのに、そんなこと言うんだ。家族のようでも、私達、血は繋がってないんだよ? ちゃんと結婚出来るよ? 本当の家族になれるんだよ?」

伊織の表情が、どんどん沈んでいく。でも、ちゃんと伝われば、まだ、間に合うはずだ。

「それは、ごめん。言えなかったんだ。伊織が……怖くて。逆らったら殺されるんじゃないかって。だから、僕と伊織は、愛し合っていないんだよ」

「そっか。じゃあもう、一緒に死のう。おっくん。私、おっくんと一緒になれないならもう死んでもいい。なんの未練もない。でも、一人は嫌。だから、一緒に――」


言いかけた伊織が、ガン、という鈍い音と共に、思い切り吹き飛んだ。藤野が、バットで思い切り伊織の頭を殴ったのだ。

「死にたいなら一人で死ねよ」

藤野は、何度も何度も伊織をバットで殴った。最初の一発で、伊織は動かなくなっていたから、一切抵抗なく、伊織は殴られ続けた。辺りが血で真っ赤に染まっていく。

「ふ、藤野。もう……」

声を掛けても、藤野は殴るのを止めない。僕は動けなくなってしまった。伊織が、死んでいく。大切な家族だったはずの、伊織が、いなくなる。怖かった。でも、もう引き返せない。

ふらついた藤野がその場に座り込むと、川のせせらぎだけが聞こえてくる。静かな夜だった。僕達は今日、人を殺したのだ。

「最後、川に流せばおしまいだよ」

それは、僕にも手伝えということだったのだろうか。僕が動かないでいると、藤野は一人で肉塊となった伊織を川に引っ張って落とそうとした。その時だった。

「痛い!」

藤野がその場に倒れこむ。伊織が、藤野の足に噛みついていた。藤野は伊織の顔を殴って剥がそうとするが、伊織は離れない。

「いだいっ!痛い……! たすけて、助けて……!」

藤野が僕に助けを求める。僕は動けないまま短い悲鳴を上げて二人を見ていた。

藤野がバットに手を伸ばし、伊織を殴ろうとする。すると、二人は態勢を崩し、そのまま川に落ちた。


再び、その場に静寂が訪れる。一瞬の出来事だった。僕は、逃げ出した。家に帰り、布団に包まって目を閉じた。しかし、目を閉じると、先ほどの光景が蘇ってしまう。

どうしようもないまま、朝を迎えた。


――


幸いなことに、藤野は行方不明のままだった。あの日、あの場所に藤野がいたことを知っているのは、僕だけになった。伊織は次の日、海岸で発見された。伊織の両親も、僕ら家族も死んでしまったことはショックだったが、心の荷が降りたという表情は隠せていなかった。

僕は大切な人を一度に二人も失ってしまった。





今になって、思うことがある。




一方的に向けられた愛情が心地好かったこと。抱き合って伝わる温かさを体が欲していること。

一方で、初めて藤野と繋がったあの日、確かに思ったのだ。

「キモチ良くない」と。


いつの間にか、僕も伊織に溺れていたのだということに、今更気が付いてしまった。

あまりにも、遅すぎる。


写真の中にいる、伊織を見て、僕はようやく涙を流した。



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