終章

 よく晴れた休日、僕はアニマと一緒に家の近くの砂浜に出掛けた。

 穏やかな海を眺めながらしばらくとりとめもない話をしたあとで、僕は大きく伸びをして砂浜に横になった。アニマは僕の隣に座ったまま海を眺めていた。

 空は青く日差しが心地よかった。小さな雲がところどころにふわふわと浮かんでいた。

 僕は目を閉じ、ゆっくりと静かに息をした。

 しばらくしてアニマが訊ねてきた。

「寝ちゃったの?」

 僕は答えなかった。アニマの笑い声が聞こえてきた。

「もうわかっていると思うけど、あの日…あなたとひとつになったあの日から、わたしの心はあなたの中にあるの。今こうしてあなたの前にいるわたしは、言わば抜け殻みたいなものなの」

 アニマは静かに話し始めた。僕は目を閉じ黙ってそれを聞いていた。

「あなたと出会ってから、少しずつあなたの中にある感情がわたしの中に流れ込んできたわ。わたしびっくりしちゃった。普段はなんでもないって顔をしているあなたの中に、こんなにも強い想いや色とりどりの感情の波があったなんて。わたしはそれをうまく扱うことができなくて不安定になったりもしたけれど、あなたは平気な顔してそれを抑えることができるのね」

 〈僕だって自分の感情をうまく扱えてるわけじゃないよ〉、と僕は思った。〈長い時間閉じ込めたままにしていたから、うまく出すことができないでいるだけだったんだ〉。

 アニマは笑った。

「あなたと出会えたこと、あなたのそばで暮らせたことは、本当にわたしにとって幸せなことだったわ。いっぱい迷惑もかけちゃったけど、わたしはあなたから生まれてきたんだし、全部自分が撒いた種ってことで、許してね」

 〈本当に君は勝手だな。勝手に現れて、勝手に振り回して、勝手に押し付けて…〉。

 アニマはまた笑った。そして彼女はしばらく黙って僕を見つめていた。

 長い沈黙のあとでアニマが言った。

「こう言うのは本当じゃないんだけど、やっぱりひとつの節目だから、ね…」

 そう言うとアニマはゆっくりと僕に顔を近づけ、口づけをした。やさしくて、やわらかくて、そしてせつない感触。

 そしてアニマはやさしい声で言った。

「さよなら」

 その言葉とともに彼女の身体は白い霧となってはじけ、青く澄んだ空へと上っていった。

 僕はゆっくりと目を開け、彼女の上っていった空をいつまでも眺めていた。


 アニマはこれからも僕の中にあり続ける。たとえどんなことがあっても、彼女と僕の絆が消えることはない。

 けれどもやはり、僕はこれからも事あるごとに感じるのだろう。彼女が僕の隣にいないさびしさを。彼女に触れることのできないせつなさを。


 僕の目の前で、穏やかな波が砂浜をさらっていった。

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精霊譚 KeY @Gide

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