第25話
あれから一年が過ぎた。
焼けた家々は修復が進み、街には以前のような活気が戻りつつある。まだ手付かずのまま放置されているところもあるけれど、多くの人たちがある程度平穏な生活を送れるようになったと思う。
あの夜、決して少なくはない数の被害者が出た。住む家を失った人、倒壊した瓦礫の犠牲になった人、燃え盛る炎から逃げ遅れた人。そういったことをあとから知るたびに、あの時僕にできることがあったのではないかと考える。「あなたちょっと自分がどこにでもいるような平凡な水の精霊になったぐらいで、神様にでもなったつもり?」とアニマにはあきれられる。けれども僕はやはり、取り返しのつかないこととは知りつつも考えてしまう。
あの日できた巨大な火の精霊の石像は、今では街のシンボルとなっている。石像の周りは小さな広場となり、花束がたむけられているのをよく目にする。観光客の姿も見かけるようになって出店なんかも出ている。
石像のそばには石碑が建てられ、そこにはこう記されている。
『大いなる自然への畏敬と感謝を込めて』。
本当にびっくりするぐらい、人間はたくましいのだ。
グラジオラス爺さんはあの日の行動が後日役員会議で取り上げられ、工場を去ることになった。責任を取っての辞職、という話だったけれど、うわさでは爺さん自ら辞めることを希望してのことらしい。
どちらにせよ、グラジオラス爺さんはそのあとすぐに新しいエネルギーを開発する研究所を立ち上げた。研究所の屋上には何本もの支柱が空に向かって伸びている。今度は空から新しいエネルギーを生み出す研究をしているとのことだった。
「技術は人の生活を豊かにする。そして一度豊かさに慣れてしまった人はもとの暮らしに戻ることはできん。じゃからこそ、技術は進歩し続ける必要があるんじゃ。より完全なものへとな」
これが新しいグラジオラス爺さんの口癖になった。そしてグラジオラス爺さんは必ずそのあとにこう付け加えた。
「希望や未来や可能性って言葉は若いモンのためだけにあるんじゃないぞ。それをわしが世間に証明してやるわい」
僕が研究所を訪ねるたびに、グラジオラス爺さんはそう言って笑うのだった。グラジオラス爺さんの後ろには年老いた白衣の男の人が、同じように研究に勤しんでいた。どこかで見たことがある人だという気がするんだけど、まだ一度も話をしたことはない。
僕は今も変わらず地力工場で働いている。あの一件以来何度か辞めようとも考えたけど、なんとなく責任のようなものを感じて辞められずにいる。グラジオラス爺さんから一緒に研究所で働かないかと誘われてはいるけれど、まだ答えは出せていない。
あの日から街では地力反対運動が起こり、抗議団体が工場の前でデモを起こす光景を目にするようになった。彼らはたびたび工場が雇った警備員と乱闘を繰り広げている。その群集の中に、ムシカリの姿があった。彼もまた、自分の理想に向かって行動を起こしたんだと思う。
エリカのための義手はグラジオラス爺さんの力を借りてようやく完成した。グラジオラス爺さんが中央炉を止めたとき、中から小さな緑色の結晶が出てきたそうだ。それには人の意志を読み取ってエネルギーに変える力があった。僕はそれを分けてもらい、エリカの義手に組み込んだ。動きのぎこちなさはいなめないけれど、それは今後の課題だ。
「お兄ちゃんありがとう」
はじめてエリカにその義手を試してもらったとき、エリカは満面の笑みでそう言ってくれた。けれども僕はやはり、その言葉を素直に受け取ることができなかった。
その日の夜、僕がふと眠りから覚めてキッチンに行くと、月明かりの中で椅子に座っているエリカを見つけた。エリカは新しくできた自分の鉄の腕を、表情なくじっと見つめていた。
僕は話しかけることができずに壁際から妹の様子をうかがっていた。僕が妹のためにしたことが、かえって妹を傷つけてしまったように思った。
長い時間、エリカは義手を見つめていた。
そして、やがて小さくひとつため息をつくと、彼女は微かな笑顔とともにこうつぶやいた。
「……しょうがない、か…」
この時、僕は大きな思い違いをしていたことに気が付いた。
僕はこれまで自分の犯した罪に対する罰を求めていた。罪に見合うだけの罰を受ければ、あるいは許してもらえさえすれば、すべてが帳消しになるとどこかで思っていた。けれどもそんなことはない。犯した罪は消えないし、罪に見合うだけの罰なんて存在しない。なぜならあらゆるものが、それぞれかけがえのない存在なのだから。何かを補うための別の何かなんて、本当はどこにも存在しない。
僕はあの日見た記憶の箱を思い出した。過去から未来へと引き継がれていく無数の記憶たち。決して消えることのない痕跡。
僕の犯した罪が消えない。だから、僕はこの罪を背負ったまま前に進むしかない。
「エリカ…」
僕はそっと呼び掛けた。あの日の光景が鮮明浮かんできて心臓が締め付けられる。
エリカはびっくりしてこっちを見ると、「なぁんだお兄ちゃんか」と笑って言った。
「どうしたの? 眠れないの?」
そう言ってエリカは笑顔で僕の方に近づいてきたが、何かに気が付いて足を止めると神妙な面持ちで言った。
「お兄ちゃん…泣いてるの…?」
気が付くと僕は涙を流していた。一度意識してしまうと涙は止めようもないほどあとからあとから溢れてきてしまう。
「お兄ちゃん大丈夫? お茶でも入れてあげよっか?」
エリカの優しさが胸に刺さる。
「エリカ…本当に…本当にごめん…」
僕は嗚咽を漏らしながらかろうじてそう言った。
「どうして…なんで…そんな…」
エリカはそう言いながら泣き出した。そうして僕たちは長い間声を上げて泣いた。
しばらくしてエリカが僕の胸に額をつけ、涙声で言った。
「お兄ちゃん…あたしね、本当に感謝してるのよ? それだけは、絶対に嘘じゃないから…」
僕は涙をぬぐいながら小さく一度頷いた。
エリカは僕の顔を見上げ、いたずらっぽく微笑んで言った。
「でもひとつだけお願いがあるの。今の腕のままだとちょっと不格好すぎるから、もっとスリムにちゃんと腕っぽくしてくれないかな? このままだと目立ちすぎてお買い物にも行けないから…」
「約束する…これからもっと改良していくよ…」
僕は再び泣き出しそうになりながら答えた。
「ありがと」
そう言ってエリカは涙跡の残る顔に満面の笑みを浮かべた。そしてそのすぐ後で、彼女は思い出したように言った。
「あ、そうだ。あたし昨日からケーキ食べたいってずっと思ってたの。お兄ちゃん、明日仕事帰りに買ってきてよ。変な腕になっちゃったお詫びのしるし?として」
「あれ? お前さっきお願いひとつだけって…」
僕が言い終わらないうちにエリカの右腕から繰り出される強烈なパンチが僕の左の脇腹に叩き込まれた。肋骨が折れたかと思うほどの衝撃に身もだえしながら、僕は再びあの無数の記憶の箱を思い出した。
すべての記憶は消えることなく残り続ける。
笑顔や喜びの記憶も、決して、消えることはない。
そしてアニマは……
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