第8話 いわれなき疑い 2021/03/06

 ピンポーン 玄関のベルが鳴った。


 僕は、冷めたお味噌汁をズズっと啜ったところでベルの音が鳴ったので、気づかなかった。

 今日の僕はプールのせいで、気分が悪いのだ。


 ピンポーン 玄関のベルが鳴った。


 僕は、使ったお茶碗を流しにボチャンと放り込んだところだったので、気づかなかった。


 僕の心のソウルが、「ベルの音に気づいちゃいけない、べルの音に気づいてしまえば、きっとヤバイことが起こる」って叫ぶんだ。


「あの音が、玄関のベルってヤツか。面倒なことをしないで、玄関の引き戸をガッと開けて、"いっちゃんいるか〜い"ってやりゃぁ良いものを」


 気づかないって言ってんのに。

 オジイめ。


「そうか、居留守するのには都合が良いのか。そりゃあ、気づかなかった。

 ワシも、カエデたんに、独身と嘘言って付き合ってたら、突然訪ねてきてな。

 あんときは困ったもんだ。居留守使いたかった」


 誰だよ、カエデたんって。

 そんなことしてたんかい。


「カエデたんは、良い笑顔で『来ちゃった』とか言ってるし、振り返るとイネが包丁持って立ってるし」


 いっそのこと刺されてしまえば良いのに。

 僕は、大きくため息をついた。


 菊っちゃんが来てから、いろんな事が起きている。前にみたいに、灰色で静かな毎日じゃないことは確かだ。

 トラブルばかりで、騒々しい毎日。

 それが良いことなのか、そのときの僕には分からなかった。


 ピンポーン 玄関のベルが鳴った。


 僕は「は~い」と言いながら、玄関へ向かった。ガチャっと、鍵を開けてドアを開けた。


 ドアを開けた向こうは、真夏の朝の光が溢れていて眩しかった。そして、光の中で小柄な女の子が立っていた。サラサラのおかっぱ頭に天使の輪を乗せて、大きめの瞳をキラキラさせて、僕の顔見るとニパッと笑った。


「来ちゃった」


 さっき聞いたよ。そのセリフ。

 他人事じゃなかったよ。


 心の中で壮大にツッコミを入れていると、女の子はマシンガンの如く喋りだす。


「いいんちょ、すごかった。かっこ良かった。ズドーンって、突っ込んでったのも、魚雷みたいだった。ガツンって、頭突きも、決まってた。『好きな女のために戦うんだろ』もハートがキュンってなった。馬乗りになって、ガツンガツンもかっこ良かった…。

 え〜と、だから…、

 お嫁さんになろうかと思って?」


「何かのお間違いだと思います」


 僕はドアを閉めて、鍵を掛けた。

 そのまま座りこんで、頭を抱える。


「僕が欲しかったのはこんな日常じゃない」


 菊っちゃんはしばらく黙っていて…、そしてポツリと言った。


「カエデたん…」


***************************


 僕は、学校に到着した時点で既にライフがゼロだった。玄関の前に居た女子と一緒に通学して、僕のハートはボロボロだった。


 青山 しずく。って言うんだよな。今朝初めて話をしたけど。


 あれから菊っちゃんはあまり喋らなくなった。青山さんに、カエデたんの面影があるらしい。たまに「カエデたん…」と切なそうにつぶやいて、ため息をつく。


 黙ってるのは静かで良いんだけど、オジイが辛気くさいのは役に立たないから、ホントに止めてほしい。


 そして、大塚君が、静かにじっと僕を見ている。


 僕は、黒板に向かって教室の左の列の後ろから2番目なんだけど、大塚君は、教室の右後ろの一番後ろの席だ。


 今は生徒もまばらで、大塚君と僕をさえぎるものがない。そして、大塚君は、誰と話すわけでもなく、じっと僕を見ている。


 僕は、気づかない振りをしているけど、右頬に大塚君の視線を感じていた。

 こめかみにタラリと汗が流れた。


 僕が、おそるおそる振り返ると、大塚君と目が合った。


 大塚君は、僕を3秒以上じっと見ていた。それから静かに目線を外した。


 怖っわ!


 そして、教室の真ん中では、女子が6人集まっている。女子の輪の中心には、副委員長、そして青山しずく。


 小さい身体で、手足を精一杯振り回して大声で話している。

 青山さんの周りの女子が、青山さんに小さな声で質問した。

 青山さんは質問した女子に大きく頷くと、大声で答えた。


「うん。いいんちょ凄かった。すごいりっぱだった」


「…」


 さらに周りの女子からの質問が続く、すると青山さんは教室中に聞こえる大声で答えた。


「うん。すごく激しくて、せっきょくてきだった」


 …僕のライフがガリガリと削られていく。ゼロを通り越して、マイナスへ振れていく。

 青山さんは、両手を大きく振り回して更に大声で言った。


「うん、いいんちょ、スッゴい小さいの。なのに、いきおい凄くて、押し倒してた。

 もう最後、激しくしすぎて、血ぃ出てた」


 なんの話だよ、それ。


 副委員長が、僕の方を見た。怒った顔で僕を睨みつけた。なぜかちょっとだけ顔が紅かった。そして、プイッと顔をそむけた。


 僕は、ガタンと音を立てて立ちあがる。

 副委員長、ちょっと待って。

 なんで副委員長が怒っているの!

 その場に居たじゃん!

 一緒に怒ってたじゃん!


「うん、『男は、好きな女のために戦うんだろ』って言ってた。キュンとした。

 とりあえず、いいんちょのお嫁さんになるつもり」


 青山さんが僕に気付いて手を振ってきた。

「いいんちょ~」とか言ってる。


 残りの女子5人も、揃って僕の方を振り向いた。全員と目が合った。

 さげすむような目が4人と、怒りに燃える目が1人だった。


 僕は静かに座り、机に突っ伏して、耳をふさいだ。




  




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菊っちゃんの時計 神沢 篤毅 @kaminami

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