第16話 ほろ苦い結末

 この日も夜九時ごろになっていつもの常連さんたちがやってきた。


「おっ!? また波瑠はるくんがメインキッチン入るのか?」


 さっそく反応してきたのは世木沢せぎさわさんだった。


「大丈夫か? またなっちゃんに怒られるんじゃないのか? 今度は何を壊すんだよ?」


「壊す前提で話さないでくださいよ!」


 失礼なオッサンだ。

 しかも世木沢さんは、僕が店の調理器具を壊したところを見ているだけあって、そのネタでちょいちょいからかってくる。

 僕は胸を張って世木沢さんに言ってやる。


「僕が作るカルボナーラは最高に美味いんですから!」


「そうなのか? じゃあひとつもらおうか」


「俺も。ちょうどお腹すいてたし」


「じゃあ俺も!」


 世木沢さんたち常連集団五名がみんなカルボナーラを注文する。

 マジ?

 一気に五食分も入ってしまった!?

 二人分くらいまでならなんとか手に負えそうだけれど、一気に五食も作るとなると……。


「ボケが。調子乗って天狗になるからそうなるんだよ」


 菜摘なつみさんが意地の悪い笑みを浮かべていた。

 困っている僕を見て笑っているだけという極悪非道の菜摘さんに頼るのは正直に言って嫌だけれど、背に腹は代えられない。


「菜摘さん、手伝ってくれませんか?」


「アタシは初見客のフード作ってんだ。自分で蒔いた種くらい自分で回収しろ」


「そんなっ! 可愛い大学生のアルバイトがこんなに困っているのに見捨てるんですかっ!?」


「てめえのどこに可愛い要素があるんだよ、クソ野郎」


 チクショウ! このスパルタ店長め!

 いつかそのでかいおっぱいを揉みしだいてやるからなっ!


「カルボナーラ五人前くらいさっさと作れよ? 十分で出せ」


「ンな無茶なっ!?」


 けっきょく僕は、世木沢さんたち全員分のカルボナーラを出すのに二十分近くかかってしまった。

 僕が作ったカルボナーラを、世木沢さんたちは「美味い」と言いながら食べていく。

 メインキッチンから世木沢さんたちをのぞき込むように見ていて、その様子が個人的にとても嬉しかった。

 自然と笑みもこぼれてしまう。


「笑ってていいんですか、ハル兄さん?」


 ふと気づけば桜子さくらこちゃんが僕の隣に立っていた。

 今日は僕が入るはずだったカウンターキッチンに、代わりに桜子ちゃんが入ってくれている。

 桜子ちゃんは僕にわかるように指先で壁掛け時計をさした。


「お姉ちゃんが作ってたら、十分近く早く提供できてましたよ?」


「手厳しいなあ、桜子ちゃん。メインキッチンに入って初日でいきなり五人前は無理だって」


「そりゃお前があらかじめ仕込みを怠ったからだ」


 菜摘さんまでやってきてダメ出しをしてくる。


「ベーコンなんて暇がある時に切って、タッパーなんかに入れて保存しときゃいいんだよ。ブロックにして保存すんのもスライスにして保存すんのもあまり変わらねえんだから。あのバカ常連どもが来るまで暇だったろ?」


「菜摘さんはそうやって作ってるんですか?」


「あたり前だろ馬鹿野郎。野菜とかもそうだぞ? 玉ねぎのみじん切りなんかは、開店前に仕込んで密封容器に入れてんだ。注文が入ってから切るんじゃ遅い」


「でも生野菜とかは鮮度が落ちるんじゃ?」


「ソフリットにして置いとくのも手だな」


「そふりっと?」


「玉ねぎみたいな香味野菜を多めのオリーブオイルでソテーするんだよ。弱火でじっくり、あめ色にならない程度にな。そうしとけば冷蔵庫に保存で四日くらいはもつ」


 そんな技があったのか!

 知らなかった。

 ていうか、


「それ早く教えてくださいよ! なんで教えてくれないんですか!」


「まだ客入りが少ない時間に、お姉ちゃんがいろいろ躾けようとしたのを『パスタは任せてください!』って言ってはねのけたのはどこの木偶の坊でしたっけ?」


「僕だけどさあっ!」


 桜子ちゃんの言葉が容赦なさすぎる。

 心臓にグサッと来ちゃったじゃないか。

 涙がにじんでくるよ。


「ま、どんどん作って覚えてもらう分にはありがたいけどな。ウチは人が少ねえ。よその店みてえにひよっこ料理人に修行なんてさせてる暇がねえ。そもそもアタシも五年前はド素人のままオーナーから店を任されたからな」


 それもうほぼ責任放棄じゃないか。

 なんにもわからないズブの素人に、居酒屋とはいえ店のキッチンを任せるものか?

 菜摘さんも苦労したんだな。

 憐れみさえ覚えそうになるけれど、そんな僕とは対照的に目をキラキラと輝かせているのが桜子ちゃんだ。


「さすがですお姉ちゃん!」


 桜子ちゃん、なんだかんだいって菜摘さんのことを尊敬しているんだよな。

 対して菜摘さんはその桜子ちゃんの熱いまなざしをうざったそうにしている。


「うるせえぞ桜子。ていうかお前は持ち場に戻れ! ドリンクのオーダーが溜まってたらどうすんだ?」


「わかってるよ。ちょっとハル兄さんを貶しにきただけだもん」


「買い出しに行ってくるみたいなノリで貶されるのは困るんだけどっ!?」


 僕のツッコミを無視して、桜子ちゃんはカウンターキッチンへと戻っていった。

 ちょっと前まではすごく優しい子だったのに、どうしてこんな。


「もとからアイツはあんな奴だぞ?」


「菜摘さん、僕の心を読むのをやめてください」


「そもそもお前とアイツはカウンターキッチン同士で、シフトが被ること自体がほとんどなかったんだから、お互いに深くかかわりなくて当然だ」


「つまり、僕が見ていたのは桜子ちゃんの表面だけって言いたいんですか?」


「そういうこった」


 菜摘さんも持ち場へと戻っていく。

 そこへホールのアルバイトの子がオーダーを持ってきた。

 菜摘さんがそれに目を通し、そして僕に目を向けてきた。


「おいハル。ガーリックステーキ二人前だ。冷凍庫にスライスしてあるポテトがあるからそれを揚げててくれ。アタシは肉を焼く」


「りょーかいっす!」


 分担作業をしていると、いよいよ料理人って感じがしてきたな。

 僕の腕前なんてまだまだどころか基礎もできてないから、あんまり声を大きくして料理人だと名乗れないけれど。

 でも、こうして菜摘さんの隣に立っていられる。

 自分の成長を感じることができる。

 今は何よりもそれが嬉しかったのだった。





   ◇◆◇◆◇





 今日も菜摘さんが僕を気遣って締め作業をぜんぶ引き受けてくれた。

 どうやら桜子ちゃんもいるから、ふたりで店を閉めて一緒に帰るみたいだ。

 僕はふたりに挨拶をしてから、駅に向かって歩き出した。

 駅周辺はちょっとした繁華街になっている。

 すぐそばの通りが飲み屋街になっていて、顔を赤くしたサラリーマンやOLたちがブラブラと歩いている。

 その中に、見知った人の顔があった。


「神楽坂さん?」


 遠めだけれど、『ヴィーノ』に来てくれた時と服装が変わらないから間違いないだろう。

 その神楽坂さんの隣には、スーツ姿のさわやか風なイケメンが立っていた。

 どう見ても社会人で、僕なんかよりもスラッとしていて身長が高く、できる男というようなイメージだった。

 そんなふたりは、仲良さそうに腕を組んで歩いちゃっている。


「……そっか。神楽坂さん、彼氏いたのか」


 ズキッ、と胸が痛んだ。

 これが失恋というやつだろうか。

 いや、失恋というにはおこがましいか。

 なにせ僕と神楽坂さんじゃ釣り合わなさすぎるしなあ。

 そんな相手に恋をしてしまった僕が悪いんだ。


「彼氏くらいいてもあたり前だよな。あんなに可愛い子がフリーなわけないし」


 なんだかバカみたいだ。

 僕が神楽坂さんを救ってみせる! なんて息巻いていた自分が。

 目頭が熱くなってくる。

 これ以上はたぶんこらえられない。

 僕は体を反転させた。

 荒ぶる波に打たれているような、チグハグの心を落ち着けるために深呼吸をする。


「よしっ! もう大丈夫だ」


 そう自分に言い聞かせて、僕は駅の改札口へと向かった。





   ◇◆◇◆◇





 家に帰ってくると、例のバカがまたしても全裸で土下座していた。


「お前ってやつはホントいつもいつも懲りないな?」


「今日はなんと、絆創膏すらしていませんっ!」


 なに堂々と全裸宣言してるんだ?

 こいつホントにアホなんじゃないだろうか?


「いつものわたくしだと思って舐めてもらっては困ります!」


「その謎の自信はどこからくるんだ?」


「あ、やだっ、ご主人様ったら! わたくしのを舐めるだなんて」


「ンなこと言ってねえよ!」


 言い出したのはお前の方だろうが。

 僕はいつものように瑠香るかの体を見ないようにして部屋の奥へ行き、適当な服を投げつけようとしたところで足を止めた。

 僕らがいつも食卓として使っている四脚テーブルに、食事が並んでいた。

 しかもけっこう量が多い。

 材料がパスタしかないからパスタばっかりだけれど、まだこの家で食べたことのないトマトクリームパスタ的なものまである。

 さらに僕が帰ってくる時間を見計らったのか、ぜんぶ出来立てで湯気がたっている。


「どうしたんだ? なんか今日は豪勢じゃん」


「そういう気分かと思いまして」


 いつの間にか僕のそばに立っていた瑠香のほうにふり向く。

 その表情はいつもの瑠香らしくない、微妙な表情だった。

 まるで僕を気遣っているようなまなざしだ。

 なんでこんな顔をされているんだろう?

 そう思って首をひねっていると、


「今日からメインキッチンの方で働くことになったんですよね? おめでとうございます」


「なんで瑠香がそれを知ってるんだ?」


 僕の問いには答えず、瑠香は次から次へと話していく。


「まさかご主人様のアルバイト先の店長さんが、あんなに綺麗な女性だったとは! ご主人様は本当に女好きですね? ソフリットの話題が出てましたけど、その作り方にも少々コツがいります。明日あたり教えたいので、また一緒にスーパーへ行きましょう! ソフリットの材料は玉ねぎ、にんじん、セロリが一般的です。それから――――」


 瑠香のしゃべりは止まらない。

 しかも瑠香が知り得ないはずの情報がどんどんでてくる。

 もしかして僕の後をついて、ヴィーノのどこかに忍びこんでいたのだろうか?

 でも店自体はそれほど大きくないし、隠れられるところなんて……。

 そう思っていたところに、ポケットに突っ込んだ手の指先が何かにあたった。

 瑠香からお守りとしてもらったオリーブオイル入りの小瓶だ。

 その瞬間、僕はすべてを察した。


「なあ瑠香。お前もしかして、僕のことを励まそうとしてくれてるのか?」


 瑠香はオリーブの妖精だ。

 だからオリーブを通してすべての物事を見ることができるし、知ることができる。

 つまり瑠香は、僕がヴィーノで神楽坂さんにカルボナーラを振舞い、メインキッチンを手伝い、菜摘さんと桜子ちゃんにお叱りを受けたところもぜんぶ知っている。

 そしてその後、僕が繁華街で神楽坂さんを見つけたところまでも。

 僕の問いに対して、瑠香はきょとんとした顔で首をかしげた。


「ご主人様を励ますだなんてとんでもない! いつもわたくしの胸を馬鹿にするご主人さまなんて、好きな女の子に告白する前にふられて傷心してしまえばいいんです」


 びっくりするくらいゴリゴリ攻撃してくるじゃないか。

 僕の心に癒えない傷が残ったらどうするんだよ!


「そして傷心中のご主人様の心をこのわたくしが癒すことで、ご主人様はようやくわたくしに惚れるのです!」


 いつもと変わらないノリで、いつもみたいに僕のツッコミを待っている。

 その優しさに、俺は本当にこいつに惚れそうになった。

 涙すらもにじみかけている。

 ここで泣いたらカッコ悪い。

 俺は熱くなる心を抑え込んで、短く息をついた。


「あと四カップくらい大きくしてから言ってくれ」


「むきぃっ! またわたくしを馬鹿にしましたねっ!? 信じられません! なんという童貞でしょうか?」


「童貞は関係ないだろっ!」


「こうなったら流転の女神さまにご主人様が来世まで童貞であるように頼しかありません!」


「やめてっ!? ガチで洒落にならないからっ!」


 いつもの、どうでもいいバカみたいなやり取りをする。

 そうするのが、僕を慰めようとしてくれた瑠香に対する礼儀だと思った。

 やがて言い合いが落ち着いた頃を見計らって、俺は口を開く。


「瑠香」


「なんですか? そんなに改まって? 言っておきますけどお礼なんていりませんよ? そもそもわたくしはお礼を言われるようなことをしてませんっ!」


 そんな風に先回りして言われたら、言いづらくなっただろうが。

 いちおう「ありがとう」くらいは言っておきたかったんだが。

 まあいいか。


「…………っ」


 でもな、瑠香?

 これだけは言わせてくれ。

 瑠香と出逢ってから、何回も何回も言い聞かせるように言ってきた言葉を口にする。


「頼むから服を着てくれ」

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美少女が全裸なんですけど!? あま味かぼちゃ @39amami

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