スーパーマーケット

工事帽

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 カツン、カツン、と音が響く。

 白く固いタイルの床に響くのは俺の足音、それ以外には静寂、いや、わずかな駆動音。

 ゆっくりと俺は、その駆動音を刻む機械の前に立つ。

 つかさず上下左右から吹き付けられる消毒液。それは床からも噴き出して、俺の靴の裏まで濡らしていく。

 消毒液の噴霧が終わると、目の前のディスプレイに表示が現れる。


「消毒完了。体温正常」


 ふんっ。

 ディスプレイの表示に、俺は鼻息一つで応じる。

 何が正常だ。個々人で正常な体温など違う。36度が平温の者もいれば35度が平温の奴だっている。しかもこいつは非接触で、メンテもろくにされていない古株だ。どれだけ誤差があるかわかったものじゃあない。


 表示が出ると共にガリガリと不吉な音を立てて扉が開く。

 扉をくぐり、カゴを手に取れば、俺の後ろで扉が閉じる。

 ここは先の部屋と違って静かではない。扉のガリガリと閉じる音が無くなれば、僅かな騒音がゆっくりと流れだす。騒音というには小さな音たち。それだって向きがバラバラな音が集まれば騒音になる。何人もが息を潜めながらも動き続ける僅かな音。人の気配。

 さあ、ここからは戦場だ。



 徘徊する何人もの人を遠目に、通路を一つ、一つ、確認していく。

 他人と出会いそうになる度に、道を曲がり、引き返し、一つ一つ。確認しながら、必要な品物をカゴに入れていく。

 大丈夫だ。

 まだ時間はある。

 俺はやれる。

 自分に言い聞かせながら進む。


「あった」


 それから少しして目的の一つ、袋麺ふくろめんを手に取った。すぐにカゴに入れる。

 今回のミッションでメインの目標は三つ。そのうちの一つをゲットした。その三つ以外については行きがけの駄賃だ。安全に手に入るものだけを、手に入れればいい。

 袋麺の棚には空きが多いものの、まったく残っていないわけではなかった。誰かが特定の袋麺だけを買い占めたのか、そのメーカーの生産が止まっているのかは分からない。まあ気にならなくもないが、欲しい袋麺は残っていた。何も問題はない。

 ほんの少し前、「始まりの季節」には全ての店から袋麺が消え失せたという。保存が効き、料理が出来なくても作れる、そんな理由からだ。それでも少し経ち、工場の生産が続いていると分かってからは、買い占められることは少なくなった。今日なくなっても、明日にはまた入荷する。それが分かっていれば、今、無理に買う必要はない。それが普通だ。ただ、俺も人の事は言えないが、念のために日持ちのする食べ物を確保しておきたいと思う人は多い。だから袋麺は今も品薄だ。


「むっ」


 奥からこちらへ向かってくる人影を見つけ、一旦、引き返す。

 隣の通路を覗くと、そちらには誰も居ない。左右の商品棚を確認しながら奥へ進む。

 見つけた。

 生鮮食品コーナーの一角に積まれたもの、バナナだ。

 そのほとんどが海外からの輸入品であるバナナは、今の情勢では常に品薄だ。だが、袋麺と同様に、品薄ではあってもないわけではない。もっとも、理由は全然違う。袋麺は国内工場で生産しているために、常に一定の供給を続けているからだし、バナナが品薄止まりで済んでいるのは消費期限が短く、買い占めに向かないからだ。

 バナナの台まで後二歩というところで、人の姿が見える。

 位置はバナナ台の向こう。

 一瞬、逃げることが頭をよぎる。

 だがダメだ。

 目の前の台にバナナがあるんだ。

 気合を入れる。

 腕を突き出し俺は言い放った。


「ソーシャルディスタンス!」


 相手が怯んだ隙に、バナナを手して撤退する。


「危なかった」


 知らぬ間に噴き出ていた汗を拭う。

 まだ気を抜くわけにはいかない。俺がいるのは戦場だ。

 深呼吸を一つ。


「よしっ」


 気合を入れ直す。

 残った目標は一つ。

 慎重に進む。

 まだ探していない通路はそう多くない。

 進んでは戻り、他人を避け、ゆっくりと、確実に。

 そしてついに見つけた。

 最後の目標、ホットケーキミックスをだ。


 既に大分残り少ないホットケーキミックス。

 これが品薄なのにも訳がある。袋麺、バナナとはまた別の理由が。

 元々、米が主食のこの地域では、家庭で小麦粉を消費することが少ない。勿論、パンを食べる人は多いし、ラーメン、うどん、パスタと小麦を使った料理も数多くある。だが、パンにしてもパスタにしても、この地域では買ってくるものだった。パン焼き機を持っている家なんてそうそうないし、手打ちパスタを作る人もごく少数だ。

 それが今は違う。

 外出が制限されている中で、家で出来るちょっと手間がかかる事、それが注目された。

 パンを焼いてみようか、麺を打って見ようか、いや、初めてでそれは難しい。ホットケーキミックスを使えば簡単にパウンドケーキが作れるらしい。

 そうして料理に慣れた人達は小麦粉を買い込み、不慣れな人はホットケーキミックスを求めた。

 かと言って小麦粉が不足したわけではない。

 パン屋で、うどん屋で消費されていた小麦粉が減り、その分が家庭にシフトしただけだからだ。別に人口が急に増えたわけではない。食べる量なんてそう変わるわけでもない。

 それなのに不足しているように見えるのは単純だ。

 袋詰め。

 家庭用に小分けの袋に詰める機械だけが、足りない。もし、業務用の25kgの袋で構わないから売ってくれというのであれば、簡単に手に入るだろう。


 ホットケーキミックスの棚に近づく途中で、向こうからカートを押した人が現れる。

 俺は再び言い放った。


「ソーシャルディスタンス!」

「ソーシャルディスタンス!」


 なにっ!

 俺の声に対抗するかのように、相手もまたソーシャルディスタンスを宣言してくる。

 なんということだ。

 見ればカートには十を超える消毒スプレー、そして小麦粉の袋。強力粉も薄力粉もある。それがカートに一杯に。それなのに、まだホットケーキミックスを狙う。

 転売ヤーか!

 確信と共に、俺の心に闘争心が宿る。

 買い占めることによって品不足を演出し、手に入らないことで不安を煽り、そして高値で売りつける転売ヤー。そんな奴に俺のホットケーキミックスを奪われるわけには行かない!


「ソーシャルディスタンスッ!」


 俺は吠えた。同時にホットケーキミックスの元に全力で突っ込む。

 相手も移動を開始してはいるが、カートが邪魔だ。速度が出るまでに時間がかかる。

 勝てる!

 そう確信したのもつかの間、相手は意外な速さで詰め寄ってくる。

 それでも俺のほうが早い!

 ホットケーキミックスに手を伸ばす。

 そして掴んだ。

 直後にカート毎突っ込んできた転売ヤーと衝突する。

 ガッシャーーーン。

 大きな音を立ててカートが転がり、俺もまた固いタイルの床に転がる。

 それでも俺はホットケーキミックスを手にしている。俺の、勝ちだ。


 ビー! ビー! ビー!


 警報が響く。


「店内で濃厚接触を確認。排除します」


 どこからともなく防護服を着こんだ店員が刺叉さすまたを手に集まってくる。


「密です!」

「密です!」

「密です!」

「「「密です!」」」


 そうして俺と転売ヤーは、全ての商品を没収され、店外に放り出された。

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