第8場
「ねえ、ギギ」背中でマリアンナが言った。「このままずっと東に飛んでくれる?」
「方角はそちらで合っているのかい?」
「ええ、ずっと東に」
「嘘を吐いても僕にはわかるよ」
マリアンナは笑っただけで、何も言わなかった。
「魔法なんて力があっても、どうにもならないことの方が多いわね」彼女の呼吸は荒くなっている。「人間は弱いままだわ」
「喋らない方がいい。速度を上げるよ?」
「いいえ、このまま……このままがいいの」
背中の上のマリアンナは、着実に弱りつつあった。彼女の言う通り、魔法の力を以てしても、身体を刺し貫かれた傷を癒やすことは出来ないのだろう。鱗と肌を接した彼女からは、己の身の行く末を既に悟っていることが感じられた。
空はすっかり白んでいる。夜明けは近い。
「さっき言っていたこと――」マリアンナの声がした。「見せたい景色があるって」
向こうの考えが流れ込んでくるのなら、こちらの考えも流れ出しているのだと、ギギは今更ながら気が付いた。
「うん……といっても、もう君は知ってると思うけど」
「見てみたいわ」
「高さを上げるよ?」
「いいわ。お願い」
ギギは徐々に高度を上げていく。
地平線が視界いっぱいに広がる高さまで来た。
空の下方が、燃えるような赤を帯びている。赤は段々と明るくなり、限りなく白に近い橙色の火球が姿を現わした。
あまりの眩さに、ギギは瞼を閉じる。少しずつ、光に眼を慣らしていく。
昇った太陽が、地上の全てを照らし出す。遠くの山並みの稜線までもが浮かび上がる。世界は、どこまでも広がっていた。
「綺麗……」マリアンナが呟いた。「これが、あなたが言っていた景色?」
ギギは頷いた。
「人間には、見られない景色だと思って」
「そうね、空を飛べる人なんていないもの。こうして竜の背中に乗らなければ」
風を切って進む。ややあってから、彼女が再び口を開いた。
「ギギ」
「なんだい?」
「人間は嫌い?」
「皆が君のようだったら、もう少し好きになれると思う」
クスクスと、笑う声が聞こえた。
「人間も、竜があなたのように優しいひとだとわかっていれば、濫りに恐れたりせずに済むのだけど」
「所詮は相容れぬ存在なんだ。竜と人とは」
「ならどうして、言葉が通じ合うのかしら」彼女の声が、薄くなり始めている。「相手が自分たちと同じように心を持っていると、わかるようになっているのかしら」
「言葉が通じたって、考え方が違えば敵になる。見た目が違ったら尚更だ」
「初めて会った時、あなたにはわたくしが竜に見えた?」
言われてギギはハッとした。
「わたしは、あなたを人間の男の子だとばかり思っていたわ。あなたには、わたしがどう映っていたのかしら」
「君は」と、ギギは言葉を詰まらせながら言った。「君のままだった。今より少し幼かったけど」
「だけど仲良くなってくれたのね?」
頷くほかなかった。
背中を、撫でられるのがわかった。一方、マリアンナの温度は感じづらくなっている。
「みんなをお願い」彼女は言った。「これから解決しなければならないことが沢山あるけど、彼らは自分の足で歩いて行ける筈だから」
「まるで母親だね」
弱々しい、息の漏れる音が聞こえた。微笑んだようだった。
音もなく、しかし確かに高くなっていく朝日の方へ、ギギは飛び続ける。マリアンナと共に、始まったばかりの新しい一日に向けて。
目の前に広がる世界は、少なくとも今は、美しいと感じられるものだった。
この先もずっと同じままでいたいとギギは願った。そして、この先もずっと同じままでいようと、彼は誓った。
翼竜は、夜明けの空を飛んでいく。
〈了〉
翼竜は夜を飛ぶ 佐藤ムニエル @ts0821
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