ありがとうの言葉

百々面歌留多

ありがとうの言葉

晴れているのに、薄暗くなってきた。それからすぐに一雨来た。


天気予報では晴れだったはずなのに、近頃は予報が外れてばかりだ。


傘を忘れてしまったから、1人、取り残された放課後。


窓に打ちつける雨音は、わたしを焦がした。


教室も、廊下も、人の姿はなく、他に音もなかった。


何だかわたしは自分が幽霊になった気分であった。このまま居座り続けても、誰にも気づかれずに夜を空かせそうな気がしてならない。


本当に雨音がじとじとしている。


止みそうな気配はつゆもなく、かといって強くなりそうにもなかった。


机にべったりと、重力には抗わない。萎れる花みたいに頭を垂れて、肘枕に委ねる。


睡魔がわたしを呼び寄せて、こっちにおいでと言ってくれたなら、喜んで応じるのに。


意識は錆釘で留められたみたいだ。


ガタンと教室のドアが開く。


同じクラスの男の子だ。肩が少し濡れていており、ぜえはあと息をあげている。


すごい音だったから、思わず見てしまったけれど、目があってから後悔した。


彼はいつも自分の友達とワイワイ騒いでいる男の子であった。典型的なうるさいお調子者だ。


わたしは、彼が少し苦手だった。話したこともないから、わたしが勝手に思っているだけだ。


お願いだから話しかけないで、そう祈った直後だった。


彼はわたしの名前を呼んでしまった。


ガタンと雨風が窓を揺らす。


「何してんの」


むしろ何かしているように見えるのだろうか。


「寝てただけ、だけど」


「帰らないのか」


「今、眠たいんです」


彼のおかげですっかり覚醒してしまったけれど。


「今日はずっと雨だな」


「そう、だね」


そんなことわたしだって分かっている。でも仕方ないことでしょ、天気はわたしのご機嫌を伺ってくれるはずもない。


だいたいどうして天気の話をしなくてはいけないのか。


せっかく現実逃避していたのに。


確かにわたしは今日、傘の持ち合わせがない。鞄に入れていたつもりだったのに、忘れてしまったのだ。


でも予報は晴れだったから、大丈夫だって、たかを括っていた。


その結果が現在進行形の自分自身なのは言うまでもないけれど。


「もしかして傘ないとか」


「いやだな、そんなことないけど」


ああ、まただ。


言い訳みたいに嘘をついてしまう。ダメなことだって分かっているのに、口が勝手に動いてしまう。


昔からずっとだ。考え無しに口走ってしまうから、わたしは喋るのがいつも億劫だった。


口は災いの元と言うけれど、わたしの場合は自分から貧乏くじを引いてしまうから、余計にたちが悪い。


「それより忘れものでもしたの」


「ああ、そんなところかな」


彼は自分の席まで移動して、それから机から何かを取り出した。


「教科書なんて置いていけばいいのに、勉強熱心なんだね」


「いや、そんなにしてないけど」


彼は何だかバツの悪そうな顔でしかめてしまった。


もしかして地雷を踏んでしまったんだろうか。


「なあ、その、帰らないのか?」


「うーん、まだ、いいかな」


彼は鞄に忘れ物を詰め込むと、それから動きを止めた。こっちを見たかと思えば、何かを取り出した。


「これ、使ってくれ」


それは小さいながらも折り畳み傘であった。


いったいどんな風の吹き回しなのだろう。ただの気まぐれ?


「あの、でも、ないわけじゃないし、ほら、君の方が困るじゃん」


肩まで濡らしているし。


「持ってないだろ、ほら」


何でバレてるし。


半ば押しつけられる形でわたしは傘を受け取ってしまった。


「じゃあ、俺行くから」


鞄を背負い直した彼は教室を出て行こうとする。


どうしよう。


こんなこと初めてだから、ちゃんと言葉が出てこない。普段なら嘘と言い訳はすらすらと出てくるのに。言わなくちゃいけないことなのに。


「あ、あの」


出て行こうとする彼の背中を呼び止めたものの、次の言葉なんて考えていなかった。


どうしよう。


どうしよう。


振り返った彼の目にはまっすぐとわたしに突き刺さる。


喉元にナイフでも突きつけられたかのようだ。


「あの、えっと、きみは1人で帰るの


彼は目をパチクリとしている。どうしよう、すごく変なこと言っちゃったのかな。


「あ、ああ。そうだけど」


「その、気が変わったから、わたしも帰ることにする」


「そ、そうなのか。じゃあ駅まで一緒に行こうぜ」


「い、いいよ」


結局のところ、それから駅までの道中、わたしは気が気ではなかった。男の子と帰るのは初めてだったし、ちゃんと会話ができたかも覚えていなかった。


駅からは別々になるから、そこで別れることになるけれど、まだ言わなくてはいけない言葉が喉の奥で引っかかっていた。


伝えなくちゃいけないのに。


肝心なところでわたしの口下手が発動する。言いたくもないことはいくらでも言えるのに、本当のことはまともに言えた試しがない。


「傘貸しとくから」


「いいの?」


「風邪でも引いたら困るじゃん」


「そうなの」


改札を通り過ぎ、彼が別れ際に挨拶をした時だ。


「 」


わたしはただ声にならない言葉をかけた。本当なら面と向かって言えたなら、どれほど晴れやかと気分になるだろう。


でも腹の底から出てこないから、仕方がない。


「うん、今何て」


「何でもない、じゃあ、また明日」


手を振って笑顔を見せること。今のわたしにできるのはこれが精一杯。


向かいのホームへと上がったあと、わたしは空を見上げた。


予報はまた外れるかもしれない。少しだけ雨空が明るくなった気がした。






























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