第10話 従僕たれ

「お前、その生意気な口は何だ。やはり天照の血族はそのような図々しい態度しか取れんか」


 夜刀神はそうして、ゆっくりと首をもたげた。しかし、神の怒りに鈴は全く動じない。火のついていない煙草を咥えて、嘲るようにそれを上下に動かした。


「話を最後まで聞けって言ってるんだ。お前の主人の威光なんてなあ、既に殆ど潰えてるんだよ」


 鬼気迫る、というのはこのことを言うのだろう。夜刀神の音もなく迫る様子を、その殺気を、ただ眺めるしか出来ない。ただ、それを向けられている鈴は、やはりのらりくらりと煙草の先を動かしていた。


「神代の事実は殆どが無に帰し、現実の隅に追いやられた。神話という物語として信仰が蔓延り、夜の民などという言葉はもう一般人には知られてすらいない。神話は皇族を支配者とするための都合の良い物語だ。星の神は神話で唯一の悪神。お前達『龍神』は神話にすら映されず民話の中にひっそりと名があるだけ。誰もお前達が何処でどうしていたかなんて、知りはしないんだよ」


 証拠に、と付け足して、鈴は言った。


「お前の一人息子はお前の存在なんて知らなかった。神の名も、自分が何者なのかも理解していない。自分が半神半人……半龍であることなんて自覚も無い。ただ壊滅的な破壊衝動を持つ人間として、生きて来たんだ。今の今まで」


 その方が幸せだったかもしれないが。

 最後にぽつりとそう零して、黙る。三善鈴の口先からは、落胆と、諦観と、嘲笑が見て取れた。その向こう、夜刀神と言えば、グッと、牙を向けながらも、言葉に出来ないままの感情を、喉奥に仕舞いこんでいる。


 ふと、葛城の肩を一明が叩いた。


「平気?」

「え、えっと、何ですか?」

「混乱してるでしょう。今まで一般社会で生きて来て、急にさ、色々起きて、色々知ったふうな口を利かれて」


 高圧的な鈴よりも、幾分か寄り添った言葉を放つ一明は、目だけが妙に緊張感を持っていて、酷く気味悪さを重ね合わせていた。


「僕は生まれた時からこういう世界を見て来たけど、君は違う。不安なら、そう言った方が良い。管理課はそういうものを助けてくれるところだ」


 何かを見通しているだろう態度は、鈴とも似ている。方向は同じだが、視点が違うような、元々の気質の違いなのか、それとも育ちなのか。一明の方は何処か、気品があった。


「あり、がとうございます。すみません、気を使わせてしまったみたいで」

「敬語は要らないよ。同い年でしょ。今は中学三年。来年、黒稲荷高校一年生。僕も同じだから。これから宜しく、ヤト君」


 そう言って、ふらと彼は、葛城に手を差し伸べる。傷一つない、艶やかな生命の象徴だった。文化的で、健康的なその肌を、自分が触れて良いのかすら、葛城にはわからなかった。そうして戸惑っているうちに、その手は引きさがって、一瞬だけ、肩が落ちたのがわかった。


「さあ、お二人とも、これ以上話をぐしゃぐしゃにしている暇はありませんよ。女の子一人眠らせたままじゃ、可哀想だ」


 一区切り、一明は手を鳴らして言った。一瞬、ほんの一瞬だけ、今まで見たことも無いような、存在感が、そこに成す。と、睨み合っていた夜刀神と鈴が、揃ってこちらを向いた。


「神代の力……彼女に神々の生命力を授けるのは、炉に火を灯すことと同義でしょう。つまりは、貴方か、息子さんの力が必要だ。どちらでも良い。お力、頂けますね?」


 夜刀神をジッと見つめる瞳の奥、一明の意思を、葛城は読み取れなかった。ただ、曖昧な言葉でも、何をすべきかは、本能が語っている。

 葛城は父――――夜刀神と、自分の右手を交互に見た。


「あの、よ、宜しくお願いします」


 手を下げる。やるべきことはわかっていた。だが、自分がやるべきではないとも思ったのだ。遂行出来る自信が無い。そもそも、理論的ではない。何より、目覚めた荻野が、自分が眠っている間に何をされたのか、知った時が一番恐ろしい。

 彼女に拒絶されることが、葛城には何よりの恐怖だった。


「何をしている。早くしなさい。自分で出来ないのなら、手伝いはするが」


 頭上から降って来たのは、そんな夜刀神の声だった。優し気だが、力強さが、葛城の喉の渇きを誘う。


「え、いや、あの、貴方がやった方が、良いんじゃないですか。僕は、その、わからないから。初めてなんです、こういうのは、わからないですよ」

「わからない? そんなはずはない。神の血は記憶すら引き継ぐのだ。わからない筈がない」


 それとも、と、夜刀神は葛城に息をかける。


「それ程に恐ろしいか、コレが再び意思を持って、お前に鞭を揮うのが」


 コレとさした先は、紛れもなく荻野だった。


「で、あれば、調整くらいはしても良い。そうだな、コレの製作者から、頭の、脳味噌の弄り方くらいは聞いている。とはいえ、私は如何せん、アイツ程には器用ではない。全部を抜き取って、物言わぬようにすることくらいしか出来ないが」


 そう言って、夜刀神は荻野のこめかみに、その赤い指先を伸ばした。制止しようと、一明が口を開ける――――よりも早く動いたのは、葛城の両腕だった。


「この子は僕のだ。勝手に触るな」


 葛城はほんの一瞬、その僅かな隙を縫って、夜刀神を壁に叩きつけたのだ。突然の行動と、切り替わったその雰囲気に、鈴以外は、驚き口を開けたままでいた。急激に動いた精神に、彼自身もまた、困惑を隠せなかった。


「あっ、いや、その、すみません。それならやります。頑張ります。ごめんなさい……その、やり方だけ、詳しく、確認してもらえませんか」


 ぐるぐると目まぐるしく変わる思考に、彼は次にやるべきことすら忘れて、夜刀神の手を取る。


「……あぁ、こちらこそすまなかった。脅し過ぎた」


 夜刀神の表情には、違和感を飲んだような、魚の骨でも引っかかったようなそれが見て取れた。ただ、彼は一度、目を瞑ると、取られたままの手を握り返す。爪を立てると、ウッという一瞬の呻きと共に、葛城の生暖かい血が流れだした。


「何でも良い、体液を摂取させれば良いのだ。交尾が手っ取り早いが、何せ他人に見せるものでもない。傷がふさがる前に口に持っていけ。お前は私に似て、怖がりのようだからな、思い切って少し深めに切っておいた」


 そう言葉を聞き取っているうちにも、みるみる傷が消えていくのが、葛城自身にもわかる。どうも、あの井戸に落ちて、宗十郎に傷を治された後から、損傷という損傷がすぐに治癒するようになってしまったらしい。

 成程、自分は本当に、この黒い夜の神の息子なのだと、葛城は歯を鳴らした。そうして、手で掬い取った血を、荻野の口元に運ぶ。口紅を差したように赤く色づく彼女の唇に、最後、そっと、指を添えた。爪先に感じるのは、彼女の吐息だった。

 白銀に包まれていた金色の瞳が、うっすらとこちらを見た。


「おはよう、小鳥ちゃん」


 葛城の口先からは、無意識にそう言葉が零れた。部屋の隅、一明と鈴は静かに、息を殺していた。それだけでゆっくりと流れていく時間の中、荻野は葛城を数秒、ジッと見つめると、柔らかに唇を動かした。


「……お守り、何処……?」


 大切なものなのよ、と、彼女は呟いて、また瞼を閉じた。そうして、今度は眉間に皺を寄せ、あぁ、とがなる。


「そうだった、全部、終わっちゃったのよね。全部、夢の話になったのよね」


――――私、普通の女の子にはなれなかったのよね。


 葛城には、否、そこにいる誰にも、彼女の零れる言葉を掬いあげることは出来なかった。

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災禍屠りて日蝕を成す 神取直樹 @twinsonhutago

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