『鬼滅の刃』は、タブーに挑戦した作品だった? 後編
前編では、キャラクター名の読みの難解さによるデメリットを、キャラクターデザインの明快さで相殺していることに触れました。
欠点になりうる部分を、別の手段で対策をうち、作品の味に変えている。
そう考えると、鬼滅の刃にはほかにも、同様のポイントがあることに気づきます。
●主要チームのアクの強さと、健やか主人公 (かまぼこ隊)
本作では、中盤辺りまでにかけて、主人公の【竈門 炭治郎】に加えて、同期の鬼殺隊の隊士である【我妻 善逸】【嘴平 伊之助】の3人が、チームを組んで活躍。
幾つかの事件を解決していくわけですが、このチームメイトである【我妻 善逸】【嘴平 伊之助】が非常にアクが強いのは、皆さんご存じの通りです。
【我妻 善逸】はとにかく、自己肯定感が低く「死ぬ死ぬ」と人目もはばからず、ネガティブ発言を連発。戦うのを徹底的に嫌い、そのくせ女性好きで、方々で告白してはトラブルを起こします。
後、アニメ公式公認で、声が高音でうるさい。
イノシシに育てられたという設定の【嘴平 伊之助】は、野生児を通り越して、暴力的でこちらもトラブルメーカー。
しかも、初登場時には主人公の無二の大切な妹を、始末しようとするなど、読者の好感度がマイナスに振り切れた段階からスタートします。
はっきり言えば、どちらも超ウザい。(ファンの人ゴメンネ)
【善逸】【伊之助】も、根は善人ですし、後には友情を育んでいくわけですが、初対面の印象は最悪だったといってもいいでしょう。
そんな、読者の「イライラ」を誘発しかねない両名が、作品の顔だという。
場合によっては、やりすぎ、欠点になりかねない極端なキャラ付けですが、もう1人のチームメンバー、主人公の【竈門 炭治郎】が悪印象を中和してくれます。
そう、【炭治郎】は、絵にかいたような健全な好青年。
長男パワーを発揮して、誰にでも優しく親切で、前向き。
憎き敵にすら情けをかける一方で、斬るべき鬼の首は迷わず斬れる。
落ち込みはすれど、うじうじしない。
【善逸】【伊之助】にはない、他人の話を聞く傾聴の姿勢ももっており一方で、必要とあれば暴走した2人に鉄拳制裁(あるいは頭突き)も辞さない。
【善逸】【伊之助】の極端なネガティブ要素を、【炭治郎】の極端なポジティブ要素で相殺し、チーム全体のバランスを整えているわけです。
(´-`).o(【炭治郎】クラスの好人物じゃなきゃ、他の2人は抑えられないで)
●真剣なバトルシーンでも、ギャグを忘れない
単行本の第1巻の副題が「残酷」とあるだけあり、鬼滅の刃のストーリーそのものは、救いが余りありません。
出血や、人体破損描写もかなり多く、本来であれば「ハードコア向けの良作」になりこそすれ、現在のような老若男女に広く読まれる作品にはならかったはず。
この現象の秘密は、私はシリアスなパートにも定期的に挟まれる、ギャグ要素にあると思います。
特に、鬼滅の刃の場合は、「ふにゃふにゃ脱力系SD」とでもいうのでしょうか? ミステリアスな特徴づけのキャラでさえも、ギャグパートの餌食になると、3頭身ぐらいの落書き風にデフォルメされて描かれます。
人によって、シリアスパートのギャグは、蛇足と考える方もおられるようですが。
私は、張り詰め過ぎた緊張の糸をいったんほぐし、また話が凄惨に感じさせ過ぎない手段として――鬼滅の刃が、万人に受け入れられるためにも必要な技法であったと感じます。
●柱合会議と頭突き
アニメ化された範囲ですと、このシーンが一番、息が詰まるかもしれません。
鬼になってしまった妹を連れて鬼殺隊の活動をしてきた、主人公【炭治郎】ですが、本来、討たなければいけない鬼を連れていることが問題視され、仲間であるはずの鬼殺隊の本部に拘束されてしまいます。(アニメ 第21~23話)
最高幹部である9人の柱とよばれる隊士や、お館様と呼ばれる鬼殺隊の最高指導者がいる前で裁判にかけられるわけですが、大抵の者は冷淡な反応で、否定的。
【炭治郎】が事情を話しますが、とりつく島もなくまったく、話が通じません。
あまりに孤独な闘い。
仲間であるはずの鬼殺隊になぜここまで、虐げられなければならないのか。
と、ここで読者は、怒りすら感じかねない場面ですが。
やがて、主人公の恩人である【冨岡 義勇】(唯一、顔見知りの柱)や、【鱗滝】(主人公の戦いの師匠)が、命を賭して弁護してくれました。
紡いできた人との交流が無駄ではなかった。理解者がいたことにホッとする場面ですが、さらにもう1つ。
主人公が、柱の1人に『頭突き』を決めていることも見逃せないでしょう。
柱は、実力面でもかなわない格上の存在なのですが、この一発があるからこそ、読者は留飲を下げられます。物語でも、柱が主人公に一目置く(ただのヒヨッコではないと認める)、きっかけになったようです。
アニメでは3週間もかけてじっくりと描写される中、この数少ないスカッとする場面、ガス抜きがあるからこそ、読者・視聴者は心が折れずにすんだ。
裁判の顛末を見届けることができたのは、想像に難くありません。
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などと、前編の難読漢字を使った名前を含めると、4つの例を見てきましたが。
本来であれば、作品の読後感を悪くしうる『毒』を、取り返しがつかなくなるギリギリまで用いつつも、対策も行うことで上手く中和している。
鬼滅の刃の作者、「吾峠 呼世晴」先生のこの絶妙なバランス感覚、センス、技巧の極みには、脱帽というほかありません。
また、連載誌である週刊少年ジャンプ編集部の鑑識眼も、見逃せないでしょう。
前編で述べたように、「キャラクターの名前に読めない漢字を使ってはならない」という教えは、ちょっとでも物語の創作を志した者にとっては常識です。
このような、べからず集は、エンタメ業界中に多く流布しており、
「難読漢字をキャラ名に使うべからず」
「読者に嫌われかねないキツイ性格のキャラは、作るべからず」
「凄惨過ぎる物語は読者を選ぶので、好ましくない」
「ラノベの読者は、フィクションの中でも苦労する描写を嫌うから……」
「このジャンルは一度失敗しているから、二度と作らせない……」
などなど。
でも、この法則を機械的に当てはめていったら、鬼滅の刃=欠点だらけの落第作ということになります。連載枠は勝ち取れず、あるいはまったく面白みのない牙の抜かれた腹てん犬のごとき、凡庸な作品になっていたかも。
↑上の教訓は、別に間違ったことはいっていません。
むしろ、フィクションの良し悪しを判断する、基礎的な知識といってもいい。
でも、この基礎知識を機械的に当てはめるだけでは、未来の世界的なヒット作もそうであると見抜けない。
ようは、編集者をはじめとする【成果物を目利きする人間】は、べからず集を振り回すのではなく、総合的な味を見極める姿勢と能力が必要。
という、シンプルな結論に至るわけですが。
場末といえども、ゲーム業界で、足掛け14年間活動してきた経験でいうと――業界人の8~9割が、残念ながら、「べからず集」をただ当てはめるだけで、作品を判断しちゃうのです。
これは、鬼滅の刃のような野心的で才気に満ちた作品を、闇に葬りかねない未熟な部分だと思います。
対して、週刊少年ジャンプ編集部は、さすがの目利き力。
鬼滅の刃というヒット作品を参考にするにあたって、「和服」「剣士」というギミック面だけでなく、「べからず集」にとらわれ過ぎなかったからこそ得られた、世界規模の大成功である。
というポイントも、吾峠先生の生んだ素晴らしい作品と並んで、もっとエンタメ業界に広まって欲しいなと、思う次第です。
■追記
原作をベースに、深く考察が行き届き、妥協なき作りで世に送り出した、アニメ版製作スタッフさん、声優さんにも脱帽。
クリエイターや、表現者の鏡。
頭が下がる思いです。m(_ _)m
『鬼滅の刃』は、タブーに挑戦した作品だった? 板皮類 @erottoia
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