魔法が解ける

 母の最期の言葉は「もう休んでいいのよ」だった。

 「死んでもいいのよ」ではなくて。

 私は母の死を傷として残すことで、繋がりを永遠にしようとしていたのかもしれない。

 傷つき続けることが母との繋がりの確かな証だった。

 意固地に死ぬことにしがみついたのが、傷をその身に刻んでいたいが為だったとしたら?

 でも、本当はその傷すら手放しても構わないものだったのだ。

 

 私は愛を知ってしまった。

 恋もしている。

 萌え出づるような瑞々しい感情と、焦げる様な熱い痺れを身に宿している。

 私とヒースはきっと暫くは一緒にいられるはず。

 でも、いつか、事故や病気や、もしかしたら年老いて私が死んだとして、ヒースが私を失ったことで狂ってしまうことなんて、望んだりしない。

 ちっともそんなことは願わないのだ。

 抜け殻のようにならないで、ちゃんと幸せを感じながら、明るく生きてくれる事を望んでいる。

 これが愛だとしたら、私は母の愛に応えていなかった事になる。

 だって母は私を愛していると言っていたのだから。

 


 私とヒースは再びレトさんとクララベルに謝罪され、丁重に馬車で返された。

 馬車の中でしばしヒースと抱擁しあって、それでも母の事で思考の海に沈んでしまう。


「サリ、どうした?」

「……母の事を考えていたの」


 ヒースは何を思ったのか、また私を引き寄せる。


「それは、サリにとってどんな感情なんだ?」


 私の気持ちを決めつけないその質問は、私たちがお互いを理解する為にとてもふさわしいものだと思える。


「少し寂しいけど、今は魂が燃え始めた様な、そんな気持ち」


 私たちは、お互いに手探りで相手の内面を知り、距離を縮めようとしている。


「ヒース、私、ついでに、あなたの魔法も解いてあげるわ」

「俺の魔法?」

「そう。私にもかかっていた悪い魔法」

 

 誰がかけたのかもわからないような、幸せを奪う悪い悪い魔法。


「私、暫く忘れていたのだけど、母は私を愛しているって言っていたの」


 ヒースの頬を撫でながら、ついさっき思い出した嬉しい記憶を恋人と分け合う。


「そうか」


 母が実際に口にしたそれが私が知覚できる唯一の事で、それ以外は全て憶測だ。


「ねぇ、私の言う事を信じる? 一片も疑っては駄目よ」

「誓って」


 私の手を握り取って、恭しく口付ける。


「あのね、ヒースのお母さんも、ヒースを愛していたわ。私があなたを愛しているように」


 ヒースの美しい目が大きく見開かれる。


「どう、悪い魔法は解けた?」

「…………解けた。……が、後半の魔法が良く聞こえなかった」


 嘘おっしゃい。


「耳が悪くなったの?」

「心配しなくてもいい。サリがもう一度言えば、小さな声でも聞こえるから」


 そうよね、竜は耳がいいものね。

 ヒースの頭を抱きかかえるようにして、うんと小さな声で耳元で囁く。


「……ヒースの事を、愛してるわ」



✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎



 ハウザーとエミリアの結婚式が執り行われた。

 エミリアは宗派も違うのに、王都で一番大きな教会を借上げて、盛大に式を執り行い、ハウザーと共に城下を練り歩いた。

 華やかな花嫁と、美しい花婿に人々はバロッキーと知りつつも遠巻きに見物していた。

 エミリアはドレスを何着も着替え、披露し、道ゆく少女たちに布地や小物を配り、相当な宣伝を行った。

 商魂たくましい。

 エミリアの次の戦いはもう始まっているのだ。


 この国と、バロッキーの関係は変わっていくだろう。

 私たちが小さな小さな種を蒔いているから。

 それはイヴさんが蒔いた愛情という種でもある。

 能力を除いても、家族の愛情を浴びて育ち、愛のために生きるバロッキーの男たちを欲しがる者は多いだろう。

 これから私は、バロッキーの子どもたちが国に阻まれずに相応しい相手にたどりつく仕組みを作らなければ。

 国の内部には足掛かりが出来たし、急ぎの案件に武者震いする。

 普通に考えれば、こんな優良物件、誰が袖にするものか。


 エミリアも私も竜の妻となる以上、やがて竜の母となる事もあるだろう。

 私たちの子は、まだ国と市井の不理解に泣くだろう。

 でも、私たちは絶対にその子たちを泣いただけにはしない。

 次の時代をつくる子供たちを育む、強い母になろうと思う。

 何代か先、市井に溢れ出す竜の子供たちを、王家が制限出来なくなった時が私たちの勝利だ。

 秘密は明らかにされ、王家の謀は薄い上澄みのようになっていくだろう。


 結婚式の余韻を残して、庭に張った天幕に夕方の優しい風が吹く。

 もう、ここに来て一年も経つなんて、驚きだ。

 遠くでルミレスが皆から責められている声が聞こえる。

 ああ、またルミレスは双子に振られたようだ。

 へたれだ、弱腰だと、皆はルミレスを責めるけど、皆だって大して変らないのにな……。

 

 この国の葡萄酒は甘口で仕上げる。

 バロッキー家がお祝いで出すワインなんて、きっととんでもなく高いのに、いくらでも飲めてしまう。


「バロッキーの血は見えるから……隠せないから美しいのね」


 ほろ酔いで、ヒースにそれとなく零す。 

 誰が何と言っても、私にとってヒースは美しい。

 見た目は変えられないし。

 綺麗なものは綺麗だし。

 見えない振りはできない。


「サリがそういうなら、俺はこの身も愛するよ」


 珍しく気障な言葉が返ってきて、ヒースもほろ酔いなのが知れる。


「嬉しいわ。それってこれから先、私たちの子どもも愛するってことよ」

「こど……?!」


 ヒースは芯を失ったように崩れ落ちる。

 いい服を着ているのだから、ひざが汚れるようなことをしないで欲しい。

 あわてて、引き起こすと、わざとらしく纏わりついてくる。

 私たちはまだこの距離に慣れていない。

 この距離が馴染むようになって、私たちは家族になっていくのだろう。 


「……ヒース、目が光ってるわよ」


 言い終わらないうちに、衝立の向こうに引き込まれる。

 ぐっと引き寄せられて、抱き込まれる。

 あわわわわわ。


「サリ、酔っぱらう前に言っておきたいことがある」

「ええ、なに?」


 もう酔っているんじゃないの?


「……俺と結婚してくれ。サリが好きなんだ。俺は、もう、ずっとサリと一緒にいる」


 くらくらと酔いが一気に回った。


「サリ、聞こえるか?サリの心臓の音がおかしなことになっている」


 抱きしめられて、背を撫でられる。

 背中から心臓のところに手を当てられて、自分の拍動を自覚する。


「う……え……?」


 心を見透かされて、しどろもどろになる。


「体温も急に上がったな……」

「だって、ええと……」


 こんな不意打ち、誰でもこうなる。


「香りも、甘い……」


 いつかのように、肩口に鼻をうずめられ、濡れたため息が首筋にかかる。

 私は、心臓が爆発しそうになりながら、くらくらとヒースにされるがままになるしかない。

 恥ずかしくて、きっとどこもかしこも真っ赤だ。

 ヒースの胸から顔を上げられないでいると、可愛いとか、好きとか、もっと恥ずかしくなるようなことを言いながら私の顎を掬い上げる。

 そういえば、初めてのキスは私からしてしまっていたのだ。

 今更思い出して、動物を飼いならすみたいなキスだったと後悔する。

 ヒースに促されるまま目を閉じれば、優しく口付けが与えられる。


「バロッキーでは不良物件だが、住めば都というしな」


 愛しくて、愛しくて、笑みが止まらない。


「まだ言うの? こんな優良物件を蹴るわけないでしょ」


 バロッキーの森には本格的に鹿が住み着いたようで、結婚式を祝うように物陰からたくさんの気配がしていた。







end





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皆が優良物件をすすめてくる 砂山一座 @sunayamaichiza

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