第2話 おっさんはこうして勇者へと導かれる。

「くっそぉ! 由香里ゆかりのやろぉ……ぜったいぃ……ぜったい許さないからなぁッ!」


 カラン! と俺は千鳥足の状態で足元に落ちていた空き缶を思いっきり蹴り飛ばした。 

 時刻は現在0時50分。

 そんな時間に俺は、誰もいない公園の脇道を一人歩いていた。結婚していれば、「あなた、今どこにいるの⁉︎」と心配する奥さんから連絡がきそうな時間帯だが、あいにく付き合っていた女に浮気されてフラれた自分には、そんなラブコールなんてやってこない。それどころか、不審者扱いで警察の方がやってきそうな気さえする。


「くそッ!」と勢い余って地面にビジネスバックを叩きつけた瞬間、砕けた自分の心みたいに鞄の中身が飛び散った。財布に手帳、それに会議の資料……自業自得とはいえ、あまりに面倒なその光景に、「ちッ」と俺は思わず舌打ちをする。そしてアルコールのせいでグラつく頭を右手で押さえながらしゃがみ込むと、スーツが汚れることも気にせず四つん這いになって拾い始める。


「クソ、由香里のやつ……なんでぇ……なんでよりによって同じ会社の男とぉ……おうぇッ!」


 頭を急に下げたことがいけなかったのか、喉の奥から若鶏の唐揚げやその他諸々がこみ上げてきそうになり、俺は慌てて口を手で覆う。今年で28になるというのに、なんて情けない姿だ……

 吐くか吐かないかの瀬戸際で戦っている最中、そんなことを思うと今度は虚しさまでこみ上げてきた。これはいっそのこと全てまとめて口から吐き出してやろうかと思った時、ふと自分の視界の隅で、誰かが立っていることに気づいた。


「……ついに見つけた」

 

 突如頭上からそんな言葉がぼそりと聞こえてきた。くそ、マジで警察がきたのかよ。と焦って顔を上げると、グラグラと揺れる視界の中には……俺以上に怪しい奴がそこにいた。


「……」

 

 ただでさえ外灯が少なく薄暗い公園の脇道で、そいつは真っ黒のローブみたいな服で全身を覆っていた。バスローブじゃない。フードが付いてる方だ。

 しかもそのフードをかぶっているせいで、怪しいどころか見た目はもはや不審者の極み。顔もほとんど隠れていて口元しか見えないので、男か女なのかさえもわからない。


「随分と探しましたよ」

 

 再びぼそっと聞こえてきた声で、性別はおそらく女だと知る。「誰だよ?」と俺は警戒心丸出しの声で呟くと、吐き気も忘れて立ち上がった。


「……」

 

 相手はその怪しい出で立ちのわりには背が低かった。身長だけで判断すれば小学生……いや、中学生ぐらいか? 

 声で女とわかったことと、その幼いシルエットに恐怖心が少し萎む。


「おい……誰なんだよ?」

 

 なぜか質問に答えない相手に、俺は苛立ちながら再び尋ねた。すると相手は、その口元でニヤリと不気味な弧を描く。


「私は……あなたを導く者です」


「…………」


 返事の言葉が浮かぶよりも先に、110番のダイヤルが頭に浮かぶ。こんな千鳥足の自分が言うのもなんだが、俺がコイツを交番へと導いた方が良いのではないか?

 そんな疑問を抱いていると、相手が再び言葉を続ける。


「さあ、私と共に行きましょう」


「……は?」

 

 酒まみれになったこの身体で、ここまで白けた「は?」を言えたことは恐らく初めてだ。いや、今はそんなことどうでもいい。


「おい! てめぇ俺が酔っ払ってるからって、金品剥がそうと企んでても無意味だぞ! 俺はこう見えてもなぁ、小学校3年まで空手やってたんだからなぁ!」

 

 アルコールの影響もあってか、俺は普段なら絶対に人前ではやらないようなファイティングポーズを取る。

 が、くたびれたサラリーマンの威嚇など脅威ではないようで、俺より頭一つ低い相手は相変わらず落ち着いた口調を崩さない。


「無駄です。私に物理攻撃は通用しません。それにあなたは人間には危害を加えることができない。なぜなら……」

 

 俺の意味不明な脅しにもまったく動じず、それどこか逆に意味不明な言葉で応戦してくる謎の人物。……コイツ、もしかして俺以上に酔ってるのか?

 呆然としたまま動けなくなった自分のことなど気にする様子もなく、相手はゆっくりとその唇を開いた。


「なぜならあなたは……、『勇者』だからです」


「…………」

 

 はい、俺の予想ビンゴ! こいつ酔ってる、ぜーったい酔ってる! 間違いなく5軒ぐらいはしごしちゃってるよマジで。ってかどんな酔い方したらそんな服装をチョイスするんだ?

 

 人間自分よりも酔いがひどい相手に出会うとどうやら少し冷静になれるようで、俺は野良犬でも追い払うかのように右手を振りながら言った。


「おいお前、酔っ払いなら俺に絡んでくるな! 迷惑だ!」


「私は酔ってなどいません。声が……あなたの心の声が聞こえたのです勇者様」


「ほらみろやっぱ酔ってんじゃねぇかッ! 意味不明なことばっか言ってるとぶっ飛ばすぞッ」


「いいえ本当です勇者様。さあこれを被り、私と共に参りましょう」


 そう言ってローブ姿の相手はいつの間に取り出したのか、両手でヘルメットのようなものを差し出してきた。……いや違う、よく見るとそれは『兜』だった。勇者とかが被ってそうなマジのタイプの。


「…………」

 

 俺はもはや放心状態で言葉を失っていた。女にフラれてやけ酒した帰りに酔っ払いに絡まらて兜差し出されるって……俺って今日から厄年スタート?

 そんな自分の様子などやはり一切気にせず、相手は口調一つ変えずに言葉を続ける。


「これを被れば『異世界』への扉が開かれます。勇者様、あなたにとって本当に必要としている世界が……」


「ふっざけんなよテメェ! 人をおちょくるのも大概にしろ! 確かに俺は裏切りまみれのこんな腐った世界に未練はねえが、お前みたいに胡散臭そうなやつと関わるつもりもねぇ! いい加減にしないと……」


 おうぇッ! と突然ボディブローを食らったような声が出た。攻撃されたわけじゃない。俺が吐いただけだ。

 ボトボトと情けないものを吐き出しながら俺は咄嗟に道の側溝そっこうにしゃがみ込んだ。クソ、こんなことになるなら4件もはしごするんじゃなかった!

 そんなことを後悔しながら一人ゲーゲーやっていると、視界の隅で突っ立っている相手が「そうですか……」と残念そうな声を漏らした。


「ならば……これを見たら信じてくれますか?」


 人が苦しんでいる最中にコイツはまだバカなことを言ってくるのか、と俺は右手で口元を拭いながら横目で睨んだ。と、その時だった。

 突然ローブ姿の不審者がその頭に被ったフードを取った瞬間、眩しい閃光がその身体を包んだのだ。そのあまりの眩しさに、俺は吐き気も忘れて咄嗟に目を瞑ろうとした。が、細めた視界の中で起こり始めたことが衝撃的過ぎて瞼を閉じ切れない。


「な……なんだよ、コレ⁉︎」


 白い光に包まれる視界の中で、さっきまで頭一つ低かったはずの相手の身体が突然成長し始めたのだ。グイグイとその頭の頂点は高くなり、それに合わせて髪は伸びるし、手足も長くなっていく。

 それどころか、膨らみなどほとんど目視できなかった胸元が、これでもかと言わんばかりに大きくなっていくではないか! 

 衝撃のあまり瞬きも忘れて呆然とする俺の前で、まるでゲームかアニメみたいな驚くべき変身を遂げた謎の人物。光が消えて辺りに再び静寂が戻ると、目の前の相手がさっきとは違う声音で言う。


「これで、私の話しを信じてくれますか?」


「…………」


 俺は今……夢でも見ているのか?

 

 そんなことを思ってしまうほど、俺は自分が今見ている光景が信じられなかった。

 視界に映っているのは、赤みがかった長い髪に、黄金色の瞳。そんな色をしながらも違和感を感じさせないほどの整った顔立ちは、まるで異国の美女さながら。

 さらにいつの間に着替えたのか、相手はローブではなく今度は黒いマントを羽織っている。しかもそのマントからチラリと覗く服装がセクシーのなんのって、「え、それってもしかして下着ですか? 一度確認させて下さい」と思わず尋ねたくなるほどの露出感……って、今はそんなことに気を取られている場合ではない!


「な……な……な……」


 何だお前は? という簡単な言葉も口にできなくなってしまった俺は、あまりの驚きと得体の知れない恐怖のせいで思わず尻餅をついてしまう。すると相手はそのスレンダーな足を動かし一歩前に出た。


「この兜をかぶれば異世界への道が開かれます。もちろんそれを選ぶかどうかはあなたの自由。……ですが」


 女はそこで言葉を止めるとさらに近づいてきてしゃがみ込む。そしてその豊満過ぎる胸元をぐっと寄せながら俺の顔を覗き込んできた。


「私はあなたを信じて待っています……勇者様」


「…………」

 

 女はそう言うと再びゆっくりと立ち上がった。俺はといえば怖いのとかエロいのとか色んな感情が刺激されて放心状態のため動けない。すると相手は右手でマントを掴んだかと思うとサッと身体を隠し、直後、音もなく姿を消してしまった。


「……」

 

 一体あの女……何者だったんだよ……

 

 俺は指一つ動かせずに、ゴクリと唾だけ飲み込む。相当動揺しているのだろう。耳の奥では張り裂けそうなほど心臓の音がうるさい。キョロキョロとどれだけ辺りを見回しても、深夜の公園には俺以外誰もいなかった。

 きっと夢だ、酔った脳味噌が生んだ幻だ、と無理やり自分に言い聞かせながら立ち上がろうとした時、カランと右足に何かが当たった。

 見るとそこには、たしかにあの謎の女が現れたことを証明するかのように、立派な兜が俺のビジネスバッグの上で鎮座していたのだった。

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勇者の格好で異世界に飛び込んだはずか、何故かそこは勤務先。 もちお @isshi

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