あのひとはいま

塩屋すばる vanilla_66

第1話

 あのひとはいま、どうしているのだろうと思うことがよくある。


 わたしが歳をとったからなのかもしれないが、「あのひとは今、」と思い出す人のことは、どれも少し悲しい気持ちとともに思い出される。


 以前好きだった彼だとか、その昔よく遊んでいた友だちだとか、そういうひと達のことではない。


 わたしが「いまごろどうしているのかな」と、思い出すひと、それは


 ニュースなどで見た、

「気の毒なあのひと」

なのである。


 あの津波で、手をつないで走っていたはずの妻と子どもの手が引き離されてしまって、

「目の前で流されてしまったんですよ、うん」

と、大きく目を見開くようにして、笑顔を作っていた、若い父親。

 泣き崩れたり、必死で駆け回っていてもおかしくないのに、彼はわざとのように平気な顔を作り、避難所の仕事を手伝っていた。

 

 あのひとはいま、どうしているだろうか。


 あの地震のあと、帰ってこない母親を探して祖父とさまよっていた小学五年生の男の子。 

 ちょうどのように、取材中に母親の遺体が見つかってしまった。

 号泣する母親の姉、祖父、手伝いをした老警官。そしてテレビの前のわたし。


 でも、10才の男の子は、ひとり泣いていなかった。茫然と、まわりの号泣を眺めているように見えた。


 あのひとはいま、どうしているだろう。


 そして、その取材が終わり、だきあいながら去っていく三人を見送りながら、カメラマンがこらえきれずしゃくり上げ、はばからず泣いている音声がずっと入っていた。


 あのひとはいま、どうしているだろう。



 いつもふと、気になってしまうのは、こういったひと達のことなのだ。

 悲しい記憶なので忘れたいけど、忘れられない。

 そして思う。


 あのひとは今、今このとき、

 なにを思っているだろうか。


 数年たって立ち直り、ようやく笑えるようになっているかもしれない。

 逆に、一段落したころにやってくる辛い思いに押しつぶされてしまったかもしれない。


 どうしているのだろう、と気になる。



 これは、けっして同情や、まして憐憫などではない。

 興味があるのだと思う。

 あんな、未曾有の大災害で、目の前で愛するひとを奪われたあのひと達が、


 あのあと、どんな人生を歩んだのか。

 「興味がある」などと口に出すべきでないことはじゅうじゅう承知だ。


 そんなことを言いながら、あの人達のことが思い出されるとき、いつも涙が出て仕方がない。

 けっして面白半分ではない。

 どちらかというと、忘れさせてほしい、と思うような出来事。



 それなのに、

 思わずにいられない。


 これを具体的に追跡したり、せめて噂でも聞きたい、と行動するひともいるかもしれない。

 知ろうとおもえば、知ることもできるんだろうと思う。



 それをしないのは、

 わたしがもうもの書きではないからだと思う。



 もの書きは、

 無神経でなければなれない、と

 誰か、もの書きが書いていた。


 

 わたしはもうもの書きではないから

 あのひと達をそっとしておくことができる。




<了>

 

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