椎名稿樹

 沼にハマってしまった……。

 スマホを見ながら歩いていたら、ハマった。沼にだ。

 ながら歩きは危ないと言うが、身に染みてそれが分かった。

 全ては自分が悪い。ただ、何故、沼なのだ。


 私は今、腰あたりまで沼に浸かっている。沼にハマった直後、動いたせいでみるみる沈んで行ったのだ。

 このままでは死んでしまう。

 助けを呼ぼうにも誰もいない。

 スマホを使う手もあるが、スマホも沼に落としてしまった。ただ幸運にも沼の高粘度のおかげで、スマホは沈むことなく沼の表面にある。

 しかし、手に届かない距離。そこまで歩けばいいのだが、動くとどんどん沈む可能性が高い。既に腰まで浸かっている故、おそらくスマホにたどり着くころには頭のてっぺんまで沼の中だろう。


 しかし生きるためにはあのスマホで応援を呼ぶしかない。

 取りに行こうとすれば、沈んで死ぬ。動かなければ沈むことはないが、餓死。

 どっちにしろ死ぬ。悪夢だ。


 よりによっていい天気。私はこの晴天の中、沼にハマっている。

 頭上をカラスが鳴きながら飛んで行った。馬鹿にされたように感じる。


 どれくらい時間が経ったのだろうか。スマホがなければそれさえわからない。

 古代の人なら太陽の位置からおよそどれくらい時間が経ったのか、頭の中で計算できるかもしれない。

 大学まで出たのにそんなこともできない。あーなんてこった。


 沼にハマって死んだとなると家族はどう思うのだろう。

 犯罪に巻き込まれた、と主張するかもしれない。そりゃーそうだ。普通は沼には落ちない。警察だってまさかスマホを見ながら歩いていたせいで沼に気づかず落ちて死んだとは思わないだろう。

 そうなれば、事件は迷宮入り確定。


 いや、待てよ。

 そもそも死んだあと、身体が沼に沈んでいかないと言う保証はない。そうなれば遺体自体が見つからない。

 数百年とか数千年後、私の化石が未来人に発見されるかもしれない。

 でもその未来人も困惑するだろう。何故この人は死んだのか。ここでも迷宮入りだ。


 動いても動かなくても死ぬ。

 死んだとしてもその真相は迷宮。


 ながら歩きでこんなことになるとは人生何があるか分からない。

 人間はいつかは死ぬ。

 それはゆっくり訪れることもあり、急に訪れるとこもある。

 天寿を全うする人もいれば、突然の事故で亡くなる人もいる。

 しかし、ながら歩きで沼にハマって死んだ人はいないだろう。私が世界で初めての人になるかも知れない。

 

 またカラスだ。

 しかも今度は群れ。

 おそらく沼にハマっている愚かな人間を見物しに来たのだろう。

 あー見るが良い。

 ゆっくり見るが良い。

 底無しの沼で死にゆくザマを。

 

 ん? 底無し?

 そう言えばこの沼が底無しだと言う根拠はない。私が勝手にそう思っていただけだ。腰あたりまで沼に浸かったせいで底なし沼だと思ってしまった。

 

 そんな馬鹿な。あるはずがない。しかし調べる価値は充分にある。

 

 私は勇気を出して一歩を踏み出した。

 なんてこった。

 沈まない……。

 すでに沼の底に足がついていたと言う事か。

 

 私は沼に満たされた泥を掻き分けながらスマホまで目指した。

 泥まみれのスマホを手に取った。

 画面の泥を服で拭き取る。

 私は唖然とした。

 三時間も経っている。

 つまり私は、三時間もの間、沼にただ突っ立っていたと言うことになる。

 滑稽すぎる。

 

 沼から這い出、家路に急ぐ。

 泥まみれの私を見る好奇な視線。

 そりゃそうだ。

 沼の中で三時間も過ごしていたとは誰も思わないだろう。

 

 アパートが見えてきた。

 早くこの泥を落としたい。

 が、私は驚愕した……。

 鍵が見当たらない。

 家の鍵だ。

 

 これは最悪の事態だ。

 スマホだけでなく鍵も沼に落としたと言う事か……。

 つまり、あの沼に向かわなければいけない。

 自分の意思で沼にハマらなくてはいけない。

 

 私は完全に沼にったようだ。


 

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