第29話 天然メイドのいる日常

「ん……」


 愛斗あいとは、小さなうめき声を上げながら、ゆっくりと目を開けた。


 ………………。


 寝起きだからなのか、まだ頭がぼーっとする。


いてぇ……」


 寝違えてしまったのか、首からポキポキと音が鳴った。どちらかというと、寝相は良い方だという謎の自信があっただけに、地味にショックだった。


 むにゅっ。


(……な、なんだ? この大きくて柔らかい弾力……)


 むにゅっ…………ぎゅううううっっっ。


(んんっ!!?)


 ぎゅううううっっっ。


「んっ……」


 !? なんだ、今の声!?


 慌てて視線を下ろすと、そこには――


「えへへへへっ~♪ もう食べられないよ~♪」


 愛斗を上から覆いかぶさるように、黒羽くろはが眠っていた。気持ちよさそうに眠っている表情が、なんとも可愛らしい。


 愛斗の首には両腕がガッチリと回されていて、これでもかと言わんばかりにぎゅっと抱きしめていた。パジャマのボタンは弾けていて、抱きしめていることもあってか、その大きな胸の谷間が完全に見えてしまっていた。


(………………)


 ぎゅううううううっっっっっ。


(!? と、取り敢えず――)


 黒羽を起こさないように首に回してある腕をゆっくり解くと、最初に眠っていた場所に移動させることに成功した。


 ふぅ……ミッションコンプリート。


 朝から大仕事を成し遂げたことに、ホッと息を吐く。


 手の平には、まだ彼女の体に触れた時の体温が微かに残っていた。


 あれ、なんで俺、こんなにドキドキしているんだ? 小さい頃からの幼なじみとはいえ、女子……異性の体に触れたから?


 急に訪れた胸の高鳴りを静めながら、リビングの時計を見た。


 ……って、まだこんな時間なのか。


 リビングの時計の針は、朝の六時を指していた。


 いつもより少し早い時間に起きたことに気が付いた愛斗は、つい枕に顔を埋めそうになった。所謂、二度寝というやつだ。


 せっかくこの時間に起きられたのだから、このまま起きて朝食の準備をしたい。

 しかし、二度寝の誘惑に抗えるほど、俺は強くなかった。


 ――――――――。


 ゆっくりと枕に吸い込まれていく。


「……あれ、先生?」


 ふと横を見ると、寝る時に居たはずの城野じょうの先生がいなかった。

 一瞬、まだ寝ぼけているのかと思ったが、どうやらそれは違ったらしい。

 目元を指で擦ってもう一度確認しても、やはり先生の姿はどこにもなかった。


(もう帰ったのか?)


 そう思いながら布団から起き上がると、


「?」


 丁寧に畳まれたパジャマの上に、1枚のメモが置かれていることに気づいた。


 そのメモには、綺麗な文字で何かが書いてあった。それからメモを読んで分かったことだが、どうやら先生は朝早くにメモを残して、家に帰って行ったとのことだ。

 メモには、これの他に俺と黒羽たちへのお礼の言葉が書かれていた。


「んん〜……」


 すると、隣の方からうめき声が聞こえた。


「……あ、あー君。おはよう……ふわぁぁぁ」


 黒羽は可愛いあくびを洩らしながら、布団から起き上がった。その時、アホ毛のような寝癖がゆらゆらと揺れた。


「……ふっ。ああ、おはよう」


 その様子を見て、思わず挨拶を返した時の声が震えてしまった。


「……あれ? 先生は……?」


 そう言って目元を指で擦る黒羽。

 黒羽も俺同様、眠るまで横にいた先生がいないことに気づいたようだ。


「先生なら、もう帰ったみたいだぞ。ほらっ」


 愛斗は、黒羽に先生が残したメモを渡した。


「……ええ、先生帰っちゃったんだ。せっかく、朝ごはん一緒に食べようと思ってたのに〜」


 メモに書いてある文字を目で追っていった黒羽は、落ち込んだ表情を浮かべた。

 まぁ、先生にも朝から色々と準備があるだろうし、仕方のないことだろう。


 それにしても……――


「………………」


 愛斗の視線は、メモを読む黒羽……正確には、彼女のパジャマの隙間から見える双丘に向けられた。


 見てはいけないと分かってはいるのだけど、欲望に勝てず見てしまいそうになる。まぁ、もう見てしまっているんだけどね。


「ま、まぁ、これはこれで……――」

「――あー君?」

「!? な、なんだよ」

「なんだよってこっちが聞きたいよ。どうしたの?」

「な、なんでもねぇよ。それと……ボタン、開いてるぞ」

「え、ボタン? あ、ほんとだ」


そう言って、パジャマの開いていたボタンを閉めた。


 少し勿体ないような気も……しないでもない。


 とあえて、自分の本心を誤魔化すしかなかったのだった。


「……てか、菜乃なのはもう起きたのか?」


 そう。本当なら黒羽の隣で寝ているはずの菜乃の姿がどこにもなかったのだ。


 すると、


「あー、菜乃なら朝のランニングに行っていると思う」

「ランニング?」

「うん。菜乃が言うにはね、アイドルをする上で体力が必要だからって、毎朝走ってるんだよ」

「へぇー」


 菜乃が本気でアイドルになりたい事は知っていたつもりだけど、まさか朝から走り込んでいたなんて……。


 てっきり、朝には弱いと思っていたんだけどな。


 それから、朝食の相談をしながら布団を片付け終えると、愛斗と黒羽は制服に着替えるために、一度、お互いの部屋に戻った。




 数十分後――。


 シャワーを浴びてから着替えを終えて、再びリビングに集まったのだけど、


「……なぁ、黒羽」

「? なに?」

「おまえ、もしかして今日、その服で学校に行くつもりなのか?」


 と言った愛斗の視線を辿って、黒羽は視線を下ろす。


「え?」


 素っ頓狂な声の後に、黒羽は『……あ』と呟いた。どうやら、今の自分の格好に気付いたようだ。本来なら制服に着替えてくるはずが、黒羽が今着ているのは、もう見慣れたメイド服だった。


 曜日を勘違いしたのかは知らないけど、流石にメイド服で学校に行かれるのはまずい。色々な意味で、非常にまずい。


「……」

「あはははは……。す、すぐ着替えてくるー‼︎」


 朝から元気な声を響かせて、黒羽はリビングを出ていった。


 自前の天然っぷりは、相変わらずのようだ。


 そんな事を考えていると、


「――た、ただいまぁぁぁー!!!」


 メイド服から制服に着替えた黒羽が、超スピードで戻ってきた。


 いや、早すぎな。


「……取り敢えず、菜乃が戻ってくるまでに朝飯の準備でも――」


 その時、ガチャリと音が聞こえたかと思ったら、ランニングに行っていた菜乃が外から帰って来た。


「ただいま……。あ、二人とももう起きてたんだ」

「菜乃、おっはよ〜」

「おはよう」

「………お、おはよ」

「? どうしたんだ?」


 すると、菜乃は、どこかぎこちない表情を浮かべていた。


「いや、なにも……」


 そう言うなり、菜乃は再びリビングの扉の方に行くと、


「そ、それじゃあ私、一度部屋に戻るから!」


 と言い残してリビングを出ていった。


「「?」」


 愛斗と黒羽は、お互いに不思議な顔で見合って、首を傾げたのだった。




 それから朝食の準備も終わり、三人はいつものように胸の前で手を合わせた。


「「「いただきます」」」


 今日の朝食のメニューは、ご飯、焼いた塩鮭、だし巻き卵、納豆、味噌汁となっている。食事当番である愛斗が、人生で二度目に挑戦しただし巻き卵だったが、どうやら結果的に形の崩れたスクランブルエッグになってしまったようだ。


 まぁ、修行あるのみだな。


 そう自分の中で解釈をしてから、箸でだし巻き卵もどきを、口に運んだ。


 正直な感想としては、出汁が効いていて味はしっかり付いていたので、後は外見、形の問題だろう。


 卵をフライパンの上で巻くだけなのに、それが意外と難しい。


 うむ……。


「どうしたの?」


 難しい表情を浮かべている愛斗のことが気になった黒羽。


「いや、その……もっと修行が必要だなって思ってさ」


 と言ってだし巻き卵もどきを、もう一口。


 すると、


「修行? でも美味しいよ? このスクランブルエッ――」

「――ぐふっ……!」


 愛斗は、心臓を貫かれたようにうずくまる。

 どうやら、効果は抜群だったようだ。


「……お姉ちゃん、それ、スクランブルエッグじゃなくて、だし巻き卵だよ」

「え、そうなの?」

「ぐふっ……」

「……うん」


 菜乃の援護も虚しく、更に追加ダメージを受ける結果になってしまったのだった。




 そんなこんなでわいわいと朝食を食べ進めていると、突然、黒羽が何かを思い出したかのように手に持っていた箸を皿の上に置いた。


「あ、そういえばさっき、おばさんから連絡が来たよ」

「え、母さんから?」

「うん。えっとねー」


 そう言って黒羽は、徐にポケットからスマホを取り出すと、画面を見せてくれた。そこには、黒羽と母さんのやり取りが映し出されていて、最後の方を見ると――


『そういえば、黒羽ちゃんと菜乃ちゃんの二人に私からプレゼントがあるの!」

『プレゼント⁉︎』

『えぇ、そうよ♪ 今度そっちに送っておくから、楽しみにしててね♪』


 …………ほうほう、なるほどね。


「実はこの前、おばさんに菜乃のことを伝えたら、私の新しいメイド服と一緒に菜乃の分のメイド服も送るって言ってたよ」

「え、お姉ちゃん、それホント?」


 菜乃にしては珍しく、見開いた目でこちらを見てきた。


「ほんとだよ〜」

「………ふっ」


 黒羽の言葉を聞いた菜乃は、視線を逸らすと何か企んだような不敵な笑みを浮かべていた。


 ……怪しい。


「……菜乃用のメイド服、ねぇ」


 ふと口から呟きがこぼれた。


 すると、どうやらそれが耳に届いたのか、菜乃はご飯を掴んでいた箸を止めて、こちらをじーっと見てきた。だが、直ぐに視線は逸れ、朝食を再開したのだった。


(危なかった……)


 とはいえ、恐らくバレているんだろうな。


 はぁ……。




 場所は変わって、教室。


「う〜ん……。どれ着ようかな……」


 朝のホームルームを待つ間、隣の席では、黒羽が考える人のポーズでスマホの画面とにらめっこをしていた。


 勝ち負けがないとはいえ、何とも微笑ましい光景だ。


 気になり画面を見せてもらうと、そこには朝食の時に黒羽が見せてくれた母さんとのやり取りが映し出されていた。というのも、母さんとのやり取りには、まだ続きがあったのだ。


『えぇ、そうよ♪ 今度そっちに送っておくから、楽しみにしててね♪』


 このメッセージの後に続けて、色とりどりのメイド服の画像が送られていたのだ。


 えっと、これは確か……。


 黒羽がメイド服を着るようになってから、時々、ネットでメイドについて調べるようになった。


 ヴィクトリアンやセーラーといったものから、巫女や着物のような和風なものまで、豊富な種類のメイド服の写真。これらを見ていると、メイド喫茶を始めるのではないかと疑ってしまう。


 まぁ、母さんの事だから、あながちそれもない事は無いだろうな。


「おーおー、お二人さん。朝から仲がいいこと」


 いつの間にか、黒羽と一緒に画面とにらめっこをしていた愛斗に、声をかける人物がいた。


「? ああ、琢磨たくま。おはよう」

「オッス」


 琢磨は、手からぶら下げていたカバンを自分の机に置くと、大きく口を開けた。


「ふあぁ……」


 あくびをしながら席に座った。


 どうせ朝までゲームでもしていたのだろう。この前、新作が出たと騒いでいたし。


「それでよ、二人で今何を話していたんだ?」

「ああぁ、それはな。黒羽がこれからどのメイド服を着るのかを一緒に決めようと――」

「――メイド服……?」

「……あ」


 自分の言った事を理解する前に、一瞬で脳がフリーズしてしまった。そして、



(やっ……やってしまったぁぁぁぁぁー!!!)



 愛斗の脳は、フル回転で今の状況を把握した。だが時すでに遅し。


「え、えーっとだなぁ……――」

「――あー君のお母さんがねぇ、私と菜乃のメイド服を用意してくれたんだよ♪」

「ちょっ!? 黒羽、それは……――」

「――えへへ。実は私、あー君のおうちでメイドさんをやっているんだよ〜♪」

「あ」


 終わった――。




「「「「「「ええええええぇぇぇぇぇええええぇぇー‼!」」」」」」




 クラスメイト達の絶叫に近い叫び声が、教室中に響き渡る。


 そして、間髪入れずに愛斗と黒羽に視線が集中した。


 黒羽には女子達の心配するような眼差しが、一方の愛斗には男子達からの恨みのこもった眼差しが向けられていた。


「?」


 当の本人である黒羽はというと、不思議な顔でクラス中を見回していた。


 すると――


「い、いい、家ではメイドってことは、つまり……」

「ええぇ、間違いないわ」

「「きゃぁぁぁぁー!!」」

「嘘だろうー! まさか、そんな……」

「幼なじみがメイドって、どんな天文学的確率だよっ!?」


 クラスメイト達の間で、話が勝手にどんどん膨れ上がっていく。


「え、あの……」


 そしてついには、


『黒羽ちゃんは、三國に何らかの弱みを握られていて、抵抗することも出来ず、無理矢理メイド服を着せられている』


 といった、根も葉もない噂がクラス中を駆け巡っていった。 


 ………………。


 人の噂も七十五日とはよく言ったものだ。この様子だと、恐らく今年いっぱいはこの話を振られ続けることになるだろう。


(はぁ……)


 心の中でポツリとため息をこぼした愛斗の肩に、琢磨がポンっと手を置いた。


「愛斗。お前たち二人がとても仲がいいのは、オレが一番よく知ってる。でもな……」

「……でも?」

「……いくら幼なじみが家に来るからといって、そういうプレイを強要するのは、どうかと――」



「――ちっ、ちがぁぁぁぁぁあぁぁぁあーうッ!!」



 愛斗は今日一の声で叫ぶと、未だに不思議な顔をしている黒羽の方を向いた。


「黒羽! おまえからも何か言って――」


 ――ああ………。


 救いを求めて向けた視線の先にあったのは、黒羽を取り囲む女子達の姿。


 彼女達は黒羽の周りに輪を形成すると、あれやこれやと質問攻めを始めていた。


「あ、あの……」


 愛斗の声が届くこともなく。


「もしかして、家に居る時はずっとメイド服を着ているの?」

「メイド服はねぇ、あー君の家に居る時に着ているんだよ♪」

「へ、へぇー。そうなんだ……」


 そう言ってチラッとこっちを見てくる女子。


 ………………。


「ねえねえ、メイド服を着ている時の写真とかないの? 見てみた~い!」

「ああぁ、それなら菜乃と一緒に撮った時の写真があるよ」


 菜乃との写真? ああ、菜乃が『小悪魔メイド』だった時のやつか。


「え、見せて見せて~」

「えへへ」


 メイド服に興味を持ってもらったことが余程嬉しかったのか、黒羽は満面の笑みを浮かべながら、スマホの画面をスクロールした。すると、女子達から『かわいい~!』という声が飛び交った。


 その間、画面をスクロールする指が止まる気配は全く見受けられなかった。


 ……一体、何枚撮ってるんだよ。


「……! ちょっ、ちょっと待って!」


 すると、一人の女子が何かに気づいたのか、スクロールして数枚前の写真を写した。


「「「……フ~ンッ」」」


 急に向けられるいくつもの視線。


 チラッと画面を見ると、そこには、メイド服姿の黒羽が愛斗と一緒に撮った時の写真が映し出されていた。


 あの写真は、確か家に初めてメイド服が届いた時に無理やり撮らされたやつだ。


「へぇー。それにしても、色々なメイド服があるね」

「うん♪ あー君のお母さんがたくさん作って送ってくるから、毎日色んなメイド服が着られるんだよ♪」


 おっと、これは……。


 黒羽の言葉を聞いて、ざわざわしていた声が止んだ。


 そして前から練習していたかのように、クラスメイト達は口を揃えて言った。




「「「「「まさか、着せ替えプレイ!!?」」」」」




 ……このクラスって、こんなにノリよかったっけ?


「えへへ」

「おいおい……。はぁ……」


 まだ朝のホームルームすら終わっていないというのに、どっと疲れてしまった。

 これだけ体力を削られてからの授業なんて、地獄でしかない。


 ……何だかもう、帰りたい。


 愛斗が既に終礼の気分になっていると、


「大丈夫、あー君?」


 黒羽が心配そうな顔でこちらを覗き込んできた。


「……ふっ。ああ、大丈夫だよ」

「ならよかった♪」


 そう言って満々の笑みを浮かべる黒羽。


 するとその時、



 キーンコーンカーンコーン。



 教室中に朝のホームルームを告げるチャイムが鳴り響いた。


 チャイムの音とともに教室に入ってきた担任の姫ちゃんに気づくや否や、クラスの面々は颯爽と自分の席に戻っていった。


 その様子を眺めながら、愛斗と黒羽も席に着く。


「ねぇ、あー君。今日の晩ごはんは何がいいかな?」

「うーん、そうだな……。じゃあ、放課後スーパーに行ってから決めるか」

「いいねぇ! 賛成~♪」


 そう言って黒羽は、楽しそうな顔で黒板の方を向いた。


(てか、まだ朝なのに、もう晩飯の話かよ)


 ……まぁ、これはこれで、いっかな。




 ――天然メイドとの日常は、まだまだ続く。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

七年ぶりに再会した幼なじみがメイドになっていたんだが 白野さーど @hakuya3rd

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ