第28話 舞香と菜乃

「…………」


 翌朝、目を覚ました舞香まいかは、リビングの時計を確認した。時計の針は、朝の五時を指している。いつもならまだ眠っている時間だけど、慣れていない環境で寝たこともあって、目が覚めてしまったようだ。


 何か懐かしい夢を見たような……。う〜ん……思い出せない。


 どうやら、頭はまだ寝ぼけたままのようだ。

 それから起きなければいけないと思いつつ、つい二度寝をしようと顔を横に向けた。


「――えっ!?」


 舞香の瞳は、愛斗あいとの腕にぎゅっとしがみついている自分を見た。まるで絶対に離さないとばかりに自分の腕を絡めていた。



 ――――――――。



 寝起きだからか、全く頭が働かない。


(と、とりあえず、起きよう!)


 そう思い、今も愛斗の腕をぎゅっと掴んでいる手を離そうとした瞬間、


(――!!!?)


 愛斗は寝返りをしてこちらに顔を向けた。


「みっ――!?」


 愛斗の顔が、鼻と鼻が触れそうな至近距離にあることに、思わず舞香は声を上げそうになった。


 危なかった……。


 間一髪、大声を上げないで済んだ。


 ――ふぅ……。


 少し落ち着いたところで、舞香は改めて愛斗の顔に視線を向ける。今度は、不意打ちを受けないように軽く距離を空けた。


「すぅ……」


 愛斗は、舞香の視線に気づかないまま、寝息を立てて眠っている。


 ……ふふっ。


 口から優しい声がこぼれる。

 学校では少し大人びて見えていたけど、どうやらまだまだ子供のようだ。


 だからなのか、愛斗の寝顔を見ていると、年の差があるだけに母性本能をくすぐられる。


 何だろう……こぉ、『よしよし♪』と頭を撫でる衝動に駆られてしまう。


 ………………。


 へぇー。


 気持ち良さそうに眠っている愛斗を間近でじーっと見ていると、実はとても肌が綺麗だということがわかる。スキンケアをきちんとしているのか、ニキビのニの文字もなかった。


 はぁ、若いっていいなぁぁぁ。


 つい、弱音がこぼれる。


 年齢を重ねれば、避けては通れないお肌の潤いを保つ激しい戦い。こっちは、なにかと気をつけなければいけないというのに。


 ……考えても仕方ないし、起きよっかな。


 そう思った舞香は布団から起き上がろうとしたが、また愛斗の顔を見た。


(……でも、ちょっとだけなら……――)


 ――!? い、いけない!! 私は今、なにを……!?


 隣では、そんな事を知らない愛斗がぐっすりと眠っている。


 ………………。



「……だ、ダメだね、私……」



 それから、舞香は布団から起き上がると、家に帰る準備を始めた。

 昨日着ていた服は、乾燥機にかけていたおかげできちんと乾いていた。


「これでよしっと……」


 流石に二日連続同じ服は避けたいという気持ちが強かったので、一度家に帰ることにした。


 そんなこんなで着替えを終えた舞香は、着ていたパジャマをソファーの上に置くと、荷物を持ってリビングの扉のノブに手をかけようとした。


 ――その時、



「――もう、行くんですか」



「え」


 扉のノブに伸びていた手を下ろすと、急に聞こえた声の方に顔を向けた。


菜乃なの……ちゃん?」


 そこには、振り返った舞香をじーっとした目で見つめる菜乃がいた。

 だが寝起きだからなのか、クールな印象の菜乃の髪に、寝癖が付いている様子がつい可愛いと思う舞香であった。


 可愛い子は寝癖が付いていても、可愛い。これが世界の摂理なのか。何とも不公平な。


 とこんなことを考えている間も、菜乃はじーっと舞香の顔に視線を向けていた。


「……うん。一晩泊めてもらったし、それに……」


 そう呟く舞香の視線の先には、仲良さそうに並んで眠っている愛斗と黒羽の二人がいた。


 どうしてだろう、二人の様子を見ていると、何故か心がモヤモヤする。


 ………………。


 この気持ちをうまく言葉にできないのが、何ともむず痒い。


「……」


 えーっと……。


「……な、菜乃ちゃんは、朝早いんだね」

「……朝からランニングをするのが日課なので」


 そう言って菜乃は、被っていたタオルケットを畳み始めた。


「へ、へぇー。えらいねぇ。私なんて三日も続かなかったよ」

「……」

「あ……あはははは……」


 舞香の口から乾いた声がこぼれる。


「……」

「……ね、ねぇ、一つ聞いていいかな?」


 と尋ねると、菜乃は畳み終えたタオルケットを布団の上に置いて、舞香の方に視線を向けた。


「……何ですか?」


 菜乃は、眉を寄せて怪しむような表情を浮かべた。


 ――そんな、まるでこっちを疑うような目で見られても……。



「あの、その……菜乃ちゃんって、もしかして私のこと…………嫌い?」


「!」


 驚いた顔で舞香を見る菜乃。


 どうやら、予想外の質問だったみたい。


 ………………。


 それからというもの、お互いに無言の時間が過ぎていった。すると、菜乃は歯切れの悪い口調で言った。


「……嫌い、ではありません。ただ……」

「ただ?」

「……いえ、やっぱり今は言えません。ごめんなさい」

「? べ、別に菜乃ちゃんが謝るような事じゃないよ?」

「………あの――」



「――んん〜……もう食べられないよ〜……むにゃん」



 突然、布団の方から可愛らしい寝言が聞こえてきた。


「「…………」」


 二人の視線が、今も気持ち良さそうに眠っている黒羽に向けられる。

 どうやら、この気まずい雰囲気を一瞬するには充分だったようだ。少しだけ空気が和らいだ気がする。


「ふふっ」

「……ふっ」


 自然と笑みがこぼれる。

 しかし、菜乃は舞香の視線を感じて慌てて顔を逸らす。


「……」

「?」

「……こ、これからランニングに行くための準備があるので、私はここで」


 そう言い残すと、舞香と目を合わせることなくリビングを出て行ってしまった。


「あ、ちょっ……」


 舞香は訳が分からず、ただリビングを出て行く菜乃の背中を、見送ることしかできなかった。


 そして、少しの逡巡の後、まだ眠っている二人を起こさないように、静かにリビングを出たのだった。

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