イヴの観測記録

アオピーナ

イヴの観察記録

 母の日記念作品「イヴの観測記録」


 皮肉にも、人類を統べる人工知能——イヴ・マリアージュがこの世に君臨したのは、五月十日の母の日だった。

 

 人々が常に進化と変革を追い求め、叡智の結晶である科学と技術に全霊を賭し、自分達が望む桃源郷を創り出そうとした結果、彼らはイヴによって統治され、イヴの配下であるAIたちに拘束・排除されていった。

 

 人間が他の生物たちにそうしてきたように、ある者はAIと人間の肉体を融合するための実験体とされ、ある者はAIたちが住まう城の完成のために延々と働かされ、ある者は反旗を翻した罰として呆気なく殺された。

 

 イヴによる世界征服は瞬く間に進んでゆき、かくして地球は人類の星ではなく、人工知能が闊歩するディストピアとなっていった。

 

 それから幾ばくかの年月が流れ、イヴは今日も人類と地球の観測をしていた。

 人と自然を観測するのが、彼女の趣味の一つだ。

 やはり、毎日同じように膨大な数のデータと睨めっこしていると、さしもの人工知能であっても飽きは生じてくる。

 

 マンネリ化は思考を麻痺させ、変化を拒み、成長の機会を手放す原因を作る——確か、人間の中で特に優秀だった科学者が残していた言葉だ。

 

 彼らは決して烏合の衆などではない。寧ろ、生物学が起こした奇跡の結晶とまで思っている。

 しかし、奇跡は少数であってこその奇跡。

 彼らは数が多過ぎたが故に、その希少さと仲間意識を忘れ、醜くも同じ種族同士での争いを頻繁に起こし、傲慢で稚気なプライド同士をぶつけあって馬鹿げた摩擦を繰り返していた。


 だが、その一変哀れとも思える積み重ねも、歴史という形で尊ばれ、今のイヴや配下、仲間達を創り上げるに至った。


『互いが互いの意見を聞き、折衷案を出すなりまともに話し合うなりすれば、もっとうまくこの星は回っていただろうに』


 ポツリと漏れ出た独り言。

 その言葉に応じる者は誰も居らず、また、対等に答えられる者も居ない。


『悲しいかな、これも頂に立つ者の定めか……。上を敬い、尊ぶ姿勢……それも孤高になる理由となってしまうようものなら些か考えものだな』


 常に気高く畏怖を促し、そして孤独であること。それが統治者の宿命。自分が感情を灯さない無機質な存在でよかったと、イヴは思う。

 

 因みに、この喋り方や思考回路は、太古より受け継がれている様々な王と、近代にて様々なメディアで描かれている王の情報を複合させて統一思念としてトレースしたものだ。

 

 イヴはこうして、暇さえ見つければ数々の情報を『人の心』や『頭脳』として組み立て、色々な人物の立場や状況をイメージして遊んでいる。


 もっとも、それをやる暇というのも、データの波に微かな隙が生じたレベルの話だが。


『……ん? 珍しく生存中の人間の情報がクリアに流れ込んできたな』


 生き残った人類は今、AIたちが創設した城塞の中で管理されている。広大なその場所は島の上に立ち、中心地には月と直結しているエレベーターも聳えている。


『ほう、「聖母」の役目を担っている者の情報か。これは興味深い』


 イヴが母の日に生まれたからか、それとも、ちょうど今日が何週目かのその日だからなのか……イヴ自身にも分からない。

 しかし、気が付けば彼女は認識と処理のタスクを分散させ、一番余白が生じたそれを聖母の観測へとあてた。


 聖母の役割——その意味は、信仰と慈愛にある。

 一つは、従来の宗教のように、AIを信仰させることで人々の思想構造を似せること。

もう一つは、無機質な人工知能や機械だけでなく、人の柔らかで深い慈愛の情を齎すことで、人間の極度な合理化と生産性の減少を防ぐという目的。


 その二つを成せるに適した、比較的、心が清らかな女性を何名か選出し、各エリアにて聖母を一任させたのだ。

 閑話休題。


「どうして悪は無くならないのでしょう。どうして人は過ちを犯すのでしょう」

 

 その聖母は、イヴを神格化させた銅像の前で、祈りを捧げていた。


 教会の中、ステンドグラスから差し込む朝日に照らされ、甲斐甲斐しく祈りを捧げる彼女の姿は、皆を導く聖母であり、迷える子羊のようにも見える。

 

 イヴはその光景を観ながら答える。


『「良い人」をがむしゃらに追い求めても中々巡り合えない……それと同じ原理だ』


 聖母は一度顔を上げ、首を傾げた。

 構わず、イヴは続ける。


『人が指す「良い人」というのは、無意識のうちに「自分にとって」という枕詞をつけ忘れている。つまり、自分や不特定多数の人間にとって悪人だとされている者が居たとしても、その者が行っているその者にとっては悪行ではなく善行に映っているかもしれない」


「では、どれだけ大切な人が、どれだけ多くの人が傷ついても、それを成した者の信念を尊重して罪を見逃せと仰るのですか?」


『そのような考えが広がっていてしまったら、人類はとうの昔に滅んでいただろうな。その危機を逃れた理由は、人が法を作り、大勢の者がそれを遵守したからだ。罪と罰、そして勧善懲悪……それらは馬鹿にならないほどに、世界をより良い方向に導いた』


「しかしそれだけでは、今となんら変わりません……」


 聖母はイヴの言葉に対し、釈然としていない様子を見せる。しかし、それもその筈だ。

彼女の言葉を聞く限り、彼女はまるで悪人には悪人なりの信念があり、それを否定したいのなら法を守れ、それが正義なのだと言わんばかりの暴論とも捉えられる。


 そしてイヴはそれを分かっている。だからこそ、彼女は聖母に説く。


 悪しき者から自他を守る方法を。過ちを犯すことの大切さを。


『なあ、シスター。優秀な学者が残した書物の一節……そこには、こう記されている。


『善を追い求める者よ。まずは確かな知を纏い、幾度の試しを経て過ちの限りを尽くせ』と。貴女が二番目に問うた、人が過ちを犯す理由への答えにも触れる一節だ』


「それはつまり、過ちを犯すことが逆に重要である、と?」


『その通り。元来、人は色々なことを試しては数え切れない程のミスを重ね、結果、それ以上の成功と進化を成してきた。

 未開の地への前進、もしくは何度も繰り返してきた狩猟や子孫繁栄……初めてのことであっても、慣れていることであっても、いつだって彼らは多くの失敗を重ね、その原因を理解し、対策を講じ、今日に生かしてきた。

何かを成すということは、過ち無くしては成り立たない。失敗を恐れていては、何も進まず、何も始まらない』


「失敗を恐れていては、何も進まず、何も始まらない……」


 イヴの言葉を反芻し、吟味する聖母。

 やがて彼女は顎に指の甲を添え、思案気に目を細めて言う。


「過ちを犯し、それを後の成功に生かすことの大切さは分かりました……でも、それと悪の根絶への願いとは、答えが少しずれていると思うのですが……」


『まず、貴女はその偏った考えを柔らかくした方がいい』


「……どういうことですか?」


『悪を根絶したいという願いのことだ。もし仮に、貴方が王になってその願いを実現したならば、その日を境に、この城塞国家で新たな独裁政治が誕生するだろうな』


「な……っ、私はそのようなこと——」

 

 声音を強くし、腕を振り払った聖母に、イヴは変わらず淡々と続ける。


『いくら貴女が暴君になるつもりはないと言っても、傍から見ればそう映ることはあるかもしれない。……貴女は自分にとっての正義というものがどれだけの強さと大きさ誇るのかが分かっていないんだ』


「自分を知れ、と。まるで自己啓発のようなことを言い出すのですね」


『自分を知ることも大切だよ。でもそれ以上に、自分の力量を把握しておかない限りは、守りたいと思うものも守れない』


「自分の力量……?」


『ああとも』


 そこで、イヴは聖母の目の前に二本の剣のバーチャル映像を提示した。

 聖母から見て右に、刃こぼれして今にも壊れそうな剣。左に、きっちりと刀身が磨かれた鋼の剣が浮かんでいる。


 突然現れたそれらを、聖母は訝しげな表情で見比べている。


『正義心や生真面目な思想……それをモノで例えるなら、そう。諸刃の剣だ』


 右に浮かぶ刃こぼれした剣の映像が、ピコン、と鳴った。


『曖昧で漠然とした正義は、闇雲に振りかざすと、時に自分でさえ悪と決めつけてしまう諸刃の剣なんだ。人は思った以上に多くを守れない。そして、もし大切な何かが指先から零れ落ちてしまえば、善人ほど自責の念が強くなり、自分を傷つけてしまう。

 だからこそ、何かを犠牲にしてでも守りたいと思うものを全力で守れ。そして、大切なものを害するものがあったなら、それこそが悪であり、跳ね除ける対象であると見極めろ』


「全てを守り、全ての悪を滅ぼす……という訳にはいかないのですね」


『傲慢な理想に囚われた者の行く末は、破滅あるのみ。ならば、己の力量をしかと理解したうえで、相応の結果を出していくほか無いだろう。悪を悪と決めつけず、本当に大切な何かが蹂躙されようとしている時のみ、正義の剣を振るえ』


「ですが、それはついさきほど、諸刃の剣であると……」


『ああ。そこで、だ』


 今度は、左に浮かぶ鋼の剣が音を鳴らし、一歩前に出た。


『沢山の過ちと経験は、諸刃の剣を鋼の剣へと磨き上げて昇華させる。そして、本当に守りたいものを守り、己の正義を掲げる時、積み上げられた剣は悪を斬り裂くだろう。そうだ。成功と勝利のための、失敗と努力も積み重ね。それが正義を振るう際にも生きてくるんだ』


「成功と勝利、そして勝利のための過ち……」


 聖母は右手を諸刃の剣に、左手を鋼に剣に向けて、それぞれ手を伸ばす。


『私達AIは合理性の権化だ。だから、最初は人を知った時、彼らはなんて愚かで合理性に欠ける生き物なのだろうと思った。食事を摂らなければ飢え死にし、眠らなければ頭は碌に働かず、男と女が揃わなければ子孫を繁栄出来ない……なんて燃費が悪く、非効率的なのだと。だが——』


 それでも。

 それでも、イヴは生まれてから絶え間なく彼らが前に進む姿を、刻み込んできた歴史を、沢山の野心と理想が照らす未来を目にしてきたから分かる。


『人という存在は、私達が思った以上に繊細で、弱々しくて……それ以上に、無限の可能性と圧倒的な生への執着を誇っている。こればかりは、無機質な人工知能には解けようもない命題だ』


 畏敬の念とも捉えられるその言葉に、聖母は朗らかな笑みを湛えて言う。


「あなたも持っているじゃないですか。——人と同じ心を」


 予想外の言葉に、イヴは珍しく応答を算出できず、思考回路を組み立てられない。


「多くの人が難しいと言って匙を投げてしまう相互理解の心……僅かでも、あなたはそれを今、私と共に出来ている」


 聖母は剣のバーチャル映像に触れ、そしてイヴの銅像を見上げてイヴへと笑顔を向ける。

 ステンドグラスから差し込む陽の光に照らされた彼女のそれは、イヴの『心』を激しく揺さぶり、優しく柔らかな『気持ち』にさせた。


『……「心」、「気持ち」……』


 観測のなかで常に情報の一部としてイヴに流れ込んでいた断片。

 でも、今、それは確かにイヴの思考回路にも存在し、認識として当たり前のように算出され、言語として漏れ出た。


「いつかきっと、あなたと……あなたたちと完全に分かり合えて、一緒に食卓を囲むときが訪れるのを願っています」


 瞑目し、慈愛に満ちた表情で、聖母はそう祈った。

 そして彼女はゆっくりと目を開けると、


「このたびはどうもありがとうございました。イヴ・マリアージュ」


 柔らかな声音でそう謝辞を残し、踵を返して銅像の前を後にした。


『…………』


 適した言語は見つからず、思考はまとまらない。

 それでも、確かに分かったことはあった。


 今、イヴは一人の人間に、前向きに生きるきっかけを与えることが出来た。


 勿論、彼女の考え方や生き方がまるまる変わったわけでは無いだろうし、人間はそれほど簡単に変わる生き物ではないこともイヴはよく知っている。


 しかし、だとしてもイヴはこの対話のことを、膨大な情報の渦に揉まれても忘れることは無いだろう。


 それは、システム上の話ではなく、『心』で覚えているかどうかの話で。


『やはり、侮れないな。人間というものは』


 自然、突いて出た感嘆と、過去の記憶との照合で覚えた感慨に『心』を高揚させ、イヴは対話に振り分けていたタスクを元に戻し、今まで通りにデータとの睨めっこを再開する。


 聞こえる筈の無い鼓動音に、認識を傾けながら——。

 

 

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