第15話

一大決心をして飛び込んだ先は、星の内海だった。

地上から数えて5000km以上穿孔した地点に、我が身を蕩かして航行する。

戦争には勝利した。作戦は完遂された。仕上げに勝鬨を挙げて安全な宙域まで退避せよという隊長の命令をセスタス05は受けていた。

 まるで正反対の地点にいるが受けた命に背いたわけではない。敵の最終兵器を破壊するため、ただ一人残された隊長もといセスタス01の安否を確認するためにセスタス05は戻ってきたのだ。

 必要か否かと問われれば、無用な行為であっただろう。恒星の只中を徒歩でどこまでも歩いていけるあの男にはこの程度のぬるま湯など何ら痛痒に感じない事は百も承知であるし、もし予想を超える事態に見舞われていたなら自分の微力で援護できることなど何もない。

 故に、支援でも救助でもなく安否確認。ただ何事もなくいつものように無傷でいる姿を一目見ておきたくて、こんな極限領域まで来てしまったのだ。


(やっぱり、最終兵器ってのはヤバい代物だったみたいね。こんな深くまで殴り抜いて星ごと消そうだなんて)


 隊長の座標を捉えて空間転移したので、位置は相当近いはずだった。経験則では距離にして1丈あるかないかという小さな間合いのはずだ。だというのにあらゆる探査神経が役に立たず、具体的な位置は何も掴めなかった。それは5000度以上の液体で満ちた外核の環境において、危惧すべきもう一つの要素の妨害であった。

星の中心核に近づくほど圧力は上昇し続ける。深海の隅々を探検することは宇宙旅行よりも難易度が高い。であれば、深海より深き星の外核や内核の水圧とはどれほどのものか。適切な言葉はそう多くはない。あらゆる深海を凌駕する超重獄がセスタス05の機体を圧縮し続けていた。無力である。索敵とはどういった形にせよ、外へ外へと感覚を伸ばしていかなければ不可能であるもの。これほどの圧力の前では全てが内へ内へと押し込められて知覚できることなど何もなかった。


(誰かの声がする)


このような黄色い極限地点に人などいようはずもないが、確かに声が聞こえる。幻聴ではない。




「帰れといったはずだが」


不意に響く声。感覚器が溶けていて気付かなかったが、抱かれるような形で隊長に運ばれているようだった。

こちらとは違い、破滅的な環境でも難なく死の海を遊泳する適応力に驚かされる。


「技を借りるぞ」


接触することで一時的に部下の能力を共有したセスタス01は瞬時に己が掘り進めた穴の始点に飛んだ。

恥ずかしい結果としかいいようがなかったが、危うくミイラ取りがミイラになるところであった。

脱出した先、地表の……といっても地下深くの敵基地に到着すると辛うじて崩壊が止まっている鋼板に降ろされた。


「すみません。お手間を取らせてしまい」

「いいから、急いで回復させろ」

「撤退では……?」

「無理だ。物理的には滓も残らず壊してやったが、どうもまだ終わってないらしい。連中、とんでもない新兵器を作ったようだな」

「であれば、味方と合流して迎え撃つべきかと」

「手遅れだな。ここはもう奴の腹の中だ」


 腹の中?一瞬意味を図りかねたが、次の瞬間に疑問は氷解した。

 敵基地を攻略すべく地上より穿たれた穴より、わずかに漏れ出る陽光が消える。

 光が刺さなくなった空間は闇に包まれるのが道理だが、オブジェクトに意味不明な色付きが始まるとセスタスのいる大空洞はあり得ない明るさを獲得していく。

 天井が、壁が、床が、幾何学模様の黒白へと塗り替えられていく。

 真っ当な物理現象でないことは誰の目にも明らかで、セスタス05が知る限りその超常を説明し切る単語は一つだけだった。


「夢界の浸食……?」

「そうらしい」


 そんなバカな、と思わず現実から目を背ける。

 夢界を単独で形成できる術者は地球にも一握りの選ばれた人間にしか許されていない。

 敵性存在は夢を見ず、死したとしても情報が夢界に漂着しない、いわば非適合種であったはず。模倣に成功したとしても一足飛びにそんな芸当ができるはずがない。


「こちらが把握できていなかった真実があるのやもしれん。まぁ疑問なんざどうだっていい」

「はい。アレはなんとしても破壊しなければ……大きな禍根になる」


 黒白の絨毯より大きな波が生み出されると、高鳴った波は絨毯より切り離され巨大な球状へ変化、やがて無数の節足が生え始めると平らに伸び始めた。頭や胴体らしき二つの球に分かれると最終的にワラジムシのような形態を取った。

 セスタス05は切れようとしている意識を繋ぎ留めながら理解した。

 何かが生まれたのだ。ヒトにとって極大の災禍となり得る、何か新型の生物が。

 体表を目まぐるしく流動する黒白の綾模様が、セスタスに敵意を伝えていた。

 それに応じたセスタス01は静かに歩き出す。

 拳を握りこんで、間合いに入るや警告もなく激烈な先制攻撃を放った。

 相手がどれほど強大で未知なる存在であっても、彼の成す所業は一切変わらない。

 これまでも、そしてこれからも。ただひたすら砕いて砕いて砕き続ける。無窮の武錬に一切の曇りなし。

 空間が震えるほどの衝撃が走る。

 現実においては星すらも崩壊せしめた一撃。まともに受ければ四散するのが道理であったが、


「噓でしょ……」


 拳の打点を抑え込むように黒白の模様が集中する。

 夢界に入門した以上、同質の力に対して同質の力で対抗できるのは自明の理だ。

 だが、長年仕えてきた部下だからこそ当然の理が現出したことに対して驚きを禁じ得ない。セスタス01の絶対的な破壊に対して正面から抗える存在がいるとは想像もしていなかったからだ。


「随分硬いな……お前、中に何人はいっている?」


 答える素振りはない。刀や拳銃にコミュニケーション能力がないのと同様に兵器らしく無機的に、ただ装置としての意義に沿って動いている。

 故に間髪入れず反撃するのが道理であったのだが、黒白の巨蟲は動かなかった。

 厳密にいえば反撃に移らないのではなく、移れない。単に与えられたダメージによるものだろう。

 肉弾戦は不利と判断する頭脳があったかはわからない。

 だが、次の行動は正面からの戦闘を避けるための行為となった。

 うねる波紋がセスタス01の足元まで到達すると、沼に嵌ったようにして体が沈み始める。この空間を形成しているプロモーターだからできる特権のようなものだ。

 飛び退こうにも踏み締めるものがないし、絡め取る粘体を吹き飛ばそうにもこの世界そのものの形である以上、分が悪い。

 この窮地に応援にいけなければ、自分が馳せ参じた意味がない。

 倒れ伏したまま、隊長を中空にテレポートさせようと集中するも……。

 

「無理だろう。この世界は外敵に対して制限をかけている」

「そんな!?それでは本当にプロモーターと同じ力を……」

「燃やす」


 セスタス01がそう宣言すると静かに一帯が火を吹き出し始めた。

 纏わり付いていた黒白の沼は赤い焔に包まれると色を喪失し、ただの土塊へと乾いていく。

 景色の塗替えは文字通り世界の侵食を意味していた。赤い体皮がより紅く深みを増していくと、調子を取り戻したように充溢したエネルギーが外へ滲み出始める。

 先の一撃は巨蟲によって弱体化された故に凌ぐことができた。

 だが、完全な輝きを取り戻した今、受け止めることができるか。


「……」


 無情に放たれた拳は対象のうねる軟体を大いに震わせると見事に四散させた。

 巨蟲は靭性がないゆえに吹き飛ぶことも割れることもない。その上で四散せしめたのはひとえに運動量の為せる技か。

 許容を遥かに超えたダメージを受けて、千変万化の様相を見せる巨蟲はしかして即死には至らなかった。隊長の見立てが真実ならばあれは個体ではなく群体に近い存在なのだろう。故にコアというべきものが存在せず、破片がある限り殺しきったことにはならない。


「QUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUN」


 奇怪な高温が鳴り響くとそれに呼応するように世界の変容が始まる。

 二者は同じ土俵で戦っているのだ。セスタス01を封じる世界を創造し、それに対してセスタス01が火炎で理ごと新世界を燃やしたように。創造する側もまた真っ当に世界を創ることで侵略者に対抗できる。

 終わりの遠い破壊者と創造主による堂々巡り。恐らく燃やしては作って燃やしては創る。短期間で決着をつけるならば、術者を潰したほうが早いだろうし、直接的な戦闘能力ならば、隊長に分がある。故に状況の異常さに比べると安心して見られる戦いといえるが……。


「私はリタイヤですけどね……」


 まるで割って入れない。援護どころか外核を遊泳したダメージすら抜けきらず、未だまともに動けない。いや、万全な状態であってもなんの役にも立てないだろうが。

 目下の危機は余波で、ぬかるんだ地面に取り込まれつつあるということだ。遺憾ながら抵抗する力は自分にはないので、受け入れるしかない。ここで助けを呼ぶという厚顔さもセスタス05にはなかった。せめて足だけは引っ張りたくない。


「勝手をいうな。俺にも責任があるんだよ」


 異変に気づいたセスタス01が吠える。すぐさまフォローに入ろうと背を向けて走り出す。それが敵に対して大きな遅れになると承知で。不甲斐なさと申し訳なさがいっぺんにこみ上げてくる。

 だが、引き上げたのはセスタス01ではなかった。体に触れる未知の感触に視線を向けると、敵性兵器のマニピュレーターが目に止まる。


「なんのつもり?」

「何、恩を売っておこうかと思ってね」


 どこぞにずっと潜んでいたのか、戦闘スーツに身を包んだ敵性宇宙人が救いの手を伸ばしていたのだ。例の巨大蟲も敵味方の区別がついているのか、黒白の世界は同胞に危害を加えていない。むしろ、助けられたセスタス05にすらも拘束を解いて、敵性宇宙人の意を叶えるように振る舞っていた。


「手を出してこないようね」

「利敵行為を犯したにせよ、私に危害を加えられるように作られてない。あれは判断力などない機械だから純粋に優先順位を遵守する以上、このようになる」


 頭に直接響く、念話のような代物だろうか。いずれにせよ敵に命を救われた、という事は確かだった。未知の救助者はセスタス05を抱いたまま、戦闘に巻き込まれないように浮遊しながら緩やかに後方に飛び退いていく。

 声の主は明朗に、やや興奮しながらセスタス05に語りかけてきた。


「君の見立てはどうかね?やはり我々の負けかな」

「さぁ?分は悪そうに見えるけど……分からないわ。正直、うちの隊長が戦うところ、あんまり見たことなくてね。見ててもよくわからないけど」

「君ほどの武人でも分からないと」

「私を知ってるの?」

「地下から拝見していてね。その剣で地上部隊を延々と切り刻む映像を」

「それは光栄。こういうと口幅ったい言い方だけれど、その私が立ち会っても力量が掴めないのがあの人のレベルなのよ。というか助けてもらって失礼だけれど、貴方呑気すぎない?」

「吹っ切れているだけだよ。この状況を見給え。母星は崩壊し、同胞は散り散りとなった。全てを失ったのだ。むしろ肩の荷が下りて楽になった気分だよ」

「そういうものなの……いえ、お気の毒」

 

 なんとなく素性は察せられた。彼は新兵器の開発に従事していた科学者といったところだろう。しかし、その知力で支えられるものはもはや何もなく、最後に残った新兵器もとい最終兵器とやらも今まさに破壊されようとしている。

 重ねて気の毒ではあった。もっとも本人はカタストロフに酔いどれてむしろハイになっている様子だったが。

 そんな益体のないことを考えながら、絶えず繰り出される幾何学模様の触手を躱していく。

 テレポートが封じられた空間であるため、普段の機動力は限りなく削ぎ落とされている。故に本来であれば初手で絡め取られるほどの包囲網であったが肝心の触手は同胞を傷付けないようにプログラミングされていた。ならば、雑談相手を利用して立ち回れば逃げられないことはない。

 こちらに向けて伸縮する気配のある触手があれば、すかさず戦闘スーツの影に隠れることで簡単に行動を中断できる。


「体よく使わないで欲しい」

「他に手がなくて……そういえばアンタ名前は」

「ここの責任者でカエシという。君たちの発音に直した名前だがね」


 カエシ。不思議な発音だったが、それ故に耳に残る名だった。


「あちらも片がついたようだね」


 遠目から、セスタス01が拳を振り抜いている様が見て取れる。

 無論、ボディを四散させただけではあの兵器は滅せられないだろうが……飛び散った破片が燃えていた。ああなれば流石に稼働できまい。

 プロモーターは弱ったことで世界全体が歪み、触手も縮んで溶けていった。


「いやぁ、お見事お見事。完膚なきまでに君たちの勝利だね!」

「……」


 カエシが歓喜にも似た大声を上げた。

 狂った人間の声だと思った。空気の振動としての音ではなく、念話であったがそれ故より一層狂気が伝わってきた。

 自分より上位の立場を獲得したものに対する畏敬か羨望か、全てを失ったがために笑うしかない境地だったのか。

 どうあれ水を向けられたセスタス01は答えない。

 彼にとっては久しぶりの難敵だったろうに、勝利の余韻など微塵もないように見えた。ただ、次はお前だと言わんばかりに振り返ってカエシを見据えていた。


「茶番に付き合うつもりはない」


 しばしの沈黙を破ってセスタス01が吐き捨てた。

 対するカエシは顔はわからないがきっと笑みを浮かべていて、


「それは申し訳ない。しかし、最期なのだから少しくらい無駄口を叩いてもバチは当たるまい?いやあここまで完璧に負けて全てを失うと、いっそ快悦だなと思ってね。自分自身、興奮しているのは自覚しているよ。ああ、君たち……とりわけ君はとても強かったなぁ」

「……」

「知識と知恵を拠り所として繁栄してきた我らが最後の最後で……何故君たちにような上位存在に戦争を仕掛けてしまったのだろう。私は何故それを是としてしまったのだろう……我が種族が無知と無謀を理由に滅びるとは……まこと慚愧に堪えないね」

「……ほんで?」


 黒白の世界は未だ閉ざされていない。

 先程交戦していた最終兵器とやらがまだ稼働している証拠だった。

 何やら剣呑な空気を感じる。ここでアレの首を断つか?戦闘スーツ程度の防護なら瞬く間もかからない。


「その兵器は戦闘用ではない。というよりもその戦闘能力の高さは予期せぬ副産物でね。本来の目的は……まぁ手垢のついた単語で形容できるのだが、終わったことをやり直すために作ったのだ」

「そんなことか。知らん。好きにすればいい」

「……見過ごすというのか?」

「終わった終わったと言うが、そもそもお前が生きている以上、何も終わってないだろう。だったら続ける以外の選択肢があるのか?俺の意思ひとつで諦めるのかよ」

「ははは……道理だな」


 語る内容はまるで消化できなかったが、何かしらの真意を隊長に伝えたことは明らかった。それは、勝者の慈悲を乞うていたからだったのかもしれない。

 どうあれ意外な返答を受けてハイだったカエシが平静を取り戻したらしいことはよくわかった。

 彼は戦闘スーツのハッチから顔を出して、そのままするりと下に転げ落ちた。

 見るからに外傷を作るような落ち方だったが、地面が地面なので特になんともなかったようだ。


「やがて収縮が始まる。そうなれば、我々は過去へと逆行する」


 黒白の絨毯に埋まりながら、カエシが言った。なんとなく流れを理解したセスタス05も静観を決め込むことにした。元々隊長が見逃した相手なのだから、隊長より下位の人間が手出しできるものではない。助けられた恩もあるし。

 暫しの沈黙が流れた。

 状況に身を任せていた三人であったが、世界の異変に気づく。

 黒白の波が荒々しくうねり、腹の中の異物を攻撃するように鋭利な突起物で突き刺してくる。


「なんと……攻撃停止命令が理解できんのか」

「隊長が壊しすぎたせいじゃないですか」


 赤いレムセルは黙殺した。切り裂かないように上腕のみでカエシを抱きかかえると、刺突を躱していく。収縮が止まったわけではないから、いずれ逃げ場はなくなる。打つ手が無いので隊長の判断を仰ぐと、棒立ちのまま指一つ動かさない姿に愕然とする。

 ちなみに刺突などは全く歯が通っていない。守りを固めるまでもなく、純粋に強度が違いすぎるのだ。

 その間も粛々と生存権は狭まっていく。

「いかれてる」とだけ毒づいて、意識が途切れた。

 空間は収縮し切った。

 

 


 



 

 





 





 



 

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夢争のレム アキハル @buriaaaaaaaaa

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