8
翌朝、エレノアが目を覚ますと、隣で眠っていたはずのサーシャロッドの姿はなかった。
「サーシャ様……?」
体を起こすと、下腹部に鈍いような痛みを感じて、エレノアは一人赤くなる。
恋人たちの時間はこれから――、その言葉通りに、昨夜は遅くまでサーシャロッドに抱かれていた。
体を見下ろせば、胸元や腹などにたくさんの赤い痕がある。
「あぅ……」
エレノアは両手で顔を覆うと、ぽすんとベッドに倒れこんだ。
結婚式の夜から、もう何度もサーシャロッドに抱かれているが、全然慣れそうもない。もちろん、はじめての時のような強い痛みはないが、恥ずかしいものは恥ずかしい。
エレノアはしばらく昨夜の記憶に悶え、そしてはたと気がついた。結婚してから今まで、サランシェスですごしていたあの一か月を除いて、目が覚めて隣にサーシャロッドがいなかったことはなかった。
(サーシャ様、どこいったのかな……)
急に不安になって、手早く服を着て身だしなみを整え、居間に降りれば、リリアローズが優雅にお茶を飲んでいた。エドワードの姿もある。
「あら、エレノアちゃん! おはよう」
エレノアに気がついたリリアローズが手招いたので、エレノアは彼女の隣に腰を下ろした。
聞けば、リリアローズは朝食をすませたそうだ。
「すみません、寝坊しちゃったんでしょうか……」
「ううん、違うのよー。フレイ様とサーシャ様が朝早くからお出かけになるって言うから、あたくしも早く起きただけ。エドワードはこれからご飯だから一緒に食べるといいわ」
エドワードとエレノアの目の前にパンやフルーツ、スープなどの朝食が運ばれてくる。
「サーシャ様とフレイ様、お出かけですか?」
「そうなのよー。なんでも、近くの遺跡に行くんですって。ちょっと前から、お二人そろってなーんか調べものをしているみたいなんだけど、訊いても教えてくれないから、何をしているのかよくわからないのだけどね」
「あんたに告げたらひっかきまわされるからでしょう」
エドワードが一口大にちぎったパンを口に運びながらそんなことを言えば、リリアローズが口を尖らせた。
「ひどいわ、エドワード! あなただってのけものじゃない!」
「私は巻き込まれたくないので、むしろのけ者なのは万々歳です」
「やる気のない従者ね!」
「私はフレイディーベルグ様の従者になった覚えはありません! なんで私が太陽の宮殿で生活しているかあんたわかっているんですか?」
「あら、なんで?」
リリアローズが心底わからないと首をひねると、エドワードがピクリと片眉を跳ね上げる。
エドワードはオレンジジュースをごくごくと飲み干すと、ゴン! とテーブルにコップを叩きつけた。
「リリーを放っておくと何をやらかすかわからないから監視役として父上に命じられたんですよ!」
「エドワード、あたくしの監視役だったの!?」
「そうです。あんたがもう少しきちんとすれば私はすぐにでも村に帰ってこられるんです! それなのにフレイディーベルグ様はフレイディーベルグ様で体のいい小間使いができたみたいにこき使うし、何なんだあんたら夫婦は!」
エレノアはちょっぴりエドワードがかわいそうになった。彼の苦労はなかなかのものだろう。少しの間二人と一緒に行動していたエレノアにだってわかる。夫婦二人そろって我が道を行くタイプだから。
リリアローズはまるで他人事のように「大変なのねぇ、エドワード」と言って彼のこめかみに青筋を浮かせている。
相手にするのが疲れたらしいエドワードがむっつりと黙り込んでしまうと、リリアローズはこれまた突拍子もないことを言いだした。
「エレノアちゃん、フレイ様達が戻って来るまで暇だから、お昼のお祭りを見に行きましょう!」
昼の祭りは、昨夜とは様子が少し違った。
アクセサリーや服など、女性を装うものを扱う店が多く並び、そのせいもあって、女性の姿ばかりが目につく。
リリアローズによれば、今夜恋人と一緒すごすときに身に着けるものを購入する女性が多いため、女性のものを扱う店が多いのだそうだ。
「フレイ様にたくさんおねだりするつもりだったのに、おでかけしちゃうんだもの。ひどいわー」
口を尖らせるリリアローズのうしろでは、荷物持ちに連れ出されたエドワードが眉間に皺を寄せていた。
「ねだる相手がいないなら荷物持ちなど必要ないでしょう!」
「やだ、買わないなんて言ってないわー。ただ、おねだりして買ってもらった方が気分的に嬉しいじゃない。ただそれだけよー」
リリアローズは髪飾りを物色しては、次々に店主に渡していく。
「あれも、これも! その真珠のも! やだー、この形面白い! これもちょうだい!」
豪快に買い物をしていくリリアローズに、エレノアは圧倒されてしまう。
月の宮は妖精たちが無欲と言うか、働いて収入を得る、という考え方をしないため、お金は存在しない。当然エレノアは太陽の宮で使われている貨幣を持っていないし、物欲がある方ではないので、買い物をするつもりはなかったのだが――
「エレノアちゃんにはこれが似合うと思うの!」
エレノアが止める間もなく、リリアローズによってエレノアの装飾品も次々に購入されていき、おろおろするしかなかった。
装飾品の次は服を買い、靴を買い、おなかがすいたと甘いものを買って、エレノアはぐったりとベンチに腰を下ろした。
大量の荷物を抱えたエドワードも疲れたらしく、大きく息をついている。
リリアローズだけがまだまだ元気で、きゃあきゃあはしゃぎながら店と店とをまるで蝶のように飛び回っていた。
「わたしのものをこんなに買っていただいて、よかったんでしょうか……」
買ってもらったというか強引に押し付けられたという感が否めないが、エレノアは荷物の袋を見て眉尻を下げた。
エドワードは先ほど露店で買った冷たいも飲み物に口をつけながら、いいんじゃないですか、と答える。
「リリーが勝手にやることですから。フレイディーベルグ様も怒りはしないでしょうし、リリーの買い物に比べれば全然可愛いものですからね」
確かに、リリアローズはすごい勢いで物を買って行く。
装飾品ほかにも怪しげな壺や絵まで買いあさっているので、それらはまた太陽の宮殿の珍妙な装飾品の一部になることだろう。
「エドワード! これ持ってちょうだいー!」
リリアローズに呼びつけられて、エドワードは嘆息しながら立ち上がった。
「エレノア様、少しここで待っていてくれますか? あの馬鹿の相手をしてきます」
荷物番もお願いしますね、とエドワードに頼まれて、エレノアはぼんやりとエドワードの背中を視線で追った。
エレノアは先ほど買った一口大のカステラを一つ口の中に入れた。蜂蜜と卵がたっぷり使ってあるカステラはしっとりと甘い。美味しくて、二つ、三つと口に入れていると、くすくすと笑い声が聞こえて、エレノアは顔をあげた。
「おいしそうに食べているね」
知らない青年だった。
艶やかな長い黒髪を背中で無造作に束ね、丈の長い上着を着ている。瞳はアメジストのような紫色をしていた。綺麗な人だ。ひんやりとした美貌と言うのだろうか。人形のように整った顔立ちは、どこか血が通っていないようにも見える。それでいて怖いと思わないのは、彼が穏やかに微笑んでいるからだろうか。
彼はエレノアの隣に腰を下ろすと、彼女が手に持っている袋を指さした。
「一つちょうだい?」
「あ、はい。あの……どうぞ」
エレノアがおずおずと袋を差し出せば、青年はカステラをつまみ上げて口に入れた。
「この味懐かしいな。昔よく食べたんだよ」
「この村の方……、ですか?」
「うん? そうだと言えばそうだし、違うと言えば違うかなぁ。ただこの村は、結構気に入っている」
何ともよくわからない答えだった。
エレノアが困惑していると、青年は手を伸ばしてエレノアの頭をよしよしと撫でた。
エレノアは驚いて目を丸くした。
「ごめんねー、この前はちょーっと迷惑をかけちゃったね」
何のことだろう。彼の言うことはよくわからなすぎて、まるでなぞかけをされているようだった。
「そしてまだ迷惑をかけちゃうかもしれないね。僕が何とかして上げられればいいんだけど、残念ながらもう、僕にはそんな力はないんだ」
「えっと、あの……」
「ふふ、君の魂は本当にまっさらだね。あの子が気に入ったのもわかるなー。もう少し早ければ僕が攫って行けたのに、残念」
青年は立ち上がると、「ごちそうさま」と微笑んだ。
「またね」
「え―――」
エレノアは大きく目を見開いた。彼が「またね」と言った瞬間、今まで目の前にいたはずの彼の姿がどこにもいなくなっていたからだ。
「エレノアちゃん、驚いた顔をしてどうしたのー?」
買い物を終えたリリアローズと荷物を抱えたエドワードが戻って来る。
エレノアはもう一度、青年がいたはずの場所に視線をやって、ぎこちなく首を振った。
「いえ……、なんでも、ないです」
夢を見ていたのだろうか。
エレノアはカステラの入った袋をぎゅっと握りしめて、何だったのだろうと首をかしげたのだった。
王子にゴミのように捨てられて失意のあまり命を絶とうとしたら、月の神様に助けられて溺愛されました 狭山ひびき @mimi0604
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