それでも魔女は毒を飲む

三文士

アイリとアオ

 アイリは魔女だ。良い魔女か悪い魔女か、僕には分からない。


 僕はアイリと一緒に暮らしている。もしアイリが悪い魔女なら、僕が今よりもっと小さいころに何処からかさらってきたに違いない。


 アイリは僕をこき使う。僕はまだ子供なのに。 


「アオ!アンタまた店の片付けしないでサボってるね!夕飯抜きにするよ!」


 アイリは悪い魔女だ。きっとそうに違いない。朝から晩まで僕をこき使う。


 部屋の掃除をさせたり、買い物に行かせたり、店番をやらせたりする。僕はまだ子供なのに。遊んでる暇もない。


 アイリは店をやっている。キノコや木の実、ハーブやら野菜やらを売っている。怪しい薬の調合を頼まれたりしてる時もある。変な料理やお酒も出してる。でも、ほとんどが怪しいものばかりだ。


 店に来るのもみんな人相の悪い奴や顔色の悪い人ばかり。店は薄暗くって、いつも静か。昼間はほとんどやっていない。だからきっとアイリは悪い魔女だ。もしも良い魔女なら、もっと朝早くからやってるだろうし、お店も明るい顔の人でわいわいしてるはずだ。


 店の名前は「アビシニアの猫舌」。すっごく変な名前だ。


 アイリの歳はよくわからない。ある人はお姉さんって言うし、近所の子供たちからはおばさんて呼ばれてる。確かに「だわさ」だの「そうかい?」だの、なんだかお婆さんみたいな声で言うと、本当にお婆さんみたいだけど、見た目は近所のお母さんたちよりずっと若い。それに、少し美人だ。


「でもよー。それがつまり魔女ってことだろ?」


「そうなの?」


 近所のガキ大将のリクは僕をつかまえてそう言った。その時の僕は、アイリを魔女だと思っていなかったから。


「だってよ、喋りかたとか声がお婆さんってことは本当に生きてる時間はずっとずっと長いってことじゃねえか」


「でもなんで見た目は若いの?」


「魔法でそう見えるようにしてんのさ。じいちゃんが言ってた。魔女は若作りが上手いって」


「へえ」


 リクの話を全部信じたわけじゃない。だからある晩、僕は思い切ってアイリに聞いてみたんだ。


「ねえ、アイリは魔女なの?」


「なんだい急に?」


 店を開ける少し前に僕らは遅めの夕ごはんを食べる。献立のだいたいはその日、店に出す料理だ。味見もかねてる。見た目は変なものばかりだけど、美味しい。アイリは料理が上手い。


「みんな言ってるよ。アイリは魔女だって」


「みんなって?」


「近所の子供たちとか、木こりのおじさんとか洗濯のおばさん」


「みんなじゃないね」


「……まあ、でもとにかくそう言ってるんだよ。ねえ!本当に魔女なの!?」


 アイリはグスコープ鳥の手羽先をもしゃもしゃと食べながら「んんん〜」とはぐらかそうとしていた。手羽先は山椒の実と甘辛く煮付けてあってとっても柔らかい。美味しい。


「ねえ!答えてよ!」


「アオはどう思う?」


「ええ?」


「周りの連中はそうやって言ってたんだろ?だけどそれは連中の意見だわさ。アオ自身は、その胸の内はどう思ってんだい?」


 アイリは骨だけになった手羽先を僕に突きつけた。小さな木のテーブルに向かい合っている僕らの距離は近い。こういう顔の時のアイリは意地悪だ。


「分からないよ。でも……少しだけ。魔女なんじゃないかなって思ってる」


 僕がそう言うと、アイリはお婆さんみたいな声でケラケラと笑った。


「そうかいそうかい。じゃ、それでいいよ」


「ええ!?じゃあ魔女なの?」


「そうだね。そういうことにしようか。ある意味間違いじゃない」


「なにそれ!?」


 アイリはとても楽しそうに紅ハチミツのブドーシュが入ったグラスをかたむけた。僕には絶対にはくれない。


「もうひとつ」


「なんだい?今日は質問が多いね」


「アイリは何歳なの?」


 すると今度は眉をしかめて僕のおでこを小突いた。


「おバカ。なんの脈絡も無しにオンナに歳を聞くもんじゃないよ。そういうのは野暮なオトコのするこった」


「えー、いいじゃん教えてよ」


「嫌だね。悔しかったらもっと上手く聞き出せるように練習しな。話の下手なオトコはダメだよ」


 アイリは青コウタケとチーズのパスタを平らげて、僕にもさっさと食べてしまいなと急かした。


「じゃあさ、それちょっと飲ましてよ」


 僕がブドーシュの瓶を指差すとまたおでこを小突かれた。


「ダーメ。コイツは毒だ。アオにはまだ早い」


「アイリは毎日飲んでるじゃんか」


 アイリは機嫌良さそうにブドーシュを飲み干して微笑んだ。アイリは機嫌のいい時は決まってブドーシュを沢山飲む。自分では毒だって言ってるくせに。


「だから毒なんだよ」


 僕にはさっぱり意味が分からなかった。



 ある時、店に女の人が来た。近所では見かけない顔だった。キレイなお姉さんだったけど、とても悲しそうな顔で目を真っ赤に腫らしていた。


「うーん」


「アイリ、どうしたの?」


「いやねえ……」


 アイリが浮かない顔なのはたぶん、そのキレイなお姉さんのことだった。お姉さんはカウンターに座ってブドーシュを飲み続けている。


「あれはよくないね。あのままだと、身体を悪くしちまうね」


「毒にやられちゃう、ってこと!?」


「ん?毒?まあ、そうだね。おおむねそんなとこだわさ」


「大変だよ!アイリ、止めて!お姉さん死んじゃう!」


「そうは言ってもねえ……」


 とは言ったもののやっぱりアイリも心配だったみたいで、お姉さんのところへ声をかけに行った。お客さんはお姉さんしかいなかったし、僕も一緒に。


「ねえアンタ。なにがあったか知らないけど、もうその辺にしときな。それ以上飲んだら歩けなくなる。ウチには余分なベッドはないよ」


 お姉さんは黙っていた。ただ涙ぐむ目でグラスを見つめてた。僕は胸の奥がギュッと苦しくなる気持ちがして、なんだか嫌だった。


「それにさ。今日は月の位置が悪い。森の近く歩いて帰るなら早くしないと。タチの良くない妖精どもが悪戯を仕掛けてくる。運が悪いと命を落とすよ」


 アイリの顔は冗談を言ってるような感じじゃなかった。時々、アイリは怖いことを言うんだ。やっぱりアイリは魔女だ。精霊や妖精のことをよく知ってる。


 でも、だとしたらアイリは良い魔女なのかな。だって、お姉さんが危なくないように教えてあげてる。


「いいんです。あたしの命なんて。どうせ誰も、あたしが死んでも泣かないんです。こんな命、山羊鬼やぎおににでもくれてやります」


 アイリは顔をしかめてしぃっ、と指を口の前に立てた。僕に静かにしろ、という時と同じ格好だ。


「めったなことで山羊鬼の名前なんて出すんじゃないよ。奴らは耳がいいんだ。人がその名前を一回口にするごとに、奴らは十里こっちに近づいてくるんだよ」


 山羊鬼は僕も怖い。見たことはないけれど。


 お姉さんはそれで黙りはしたんだけど、またグラスを見つめる作業に戻っちゃったんだ。


「それにさアンタ。嘘はよくないよ。死んでも誰も泣かないなんて大嘘だわさ。誰にでも泣いてくれる人はいるんだよ」


「いいえ嘘じゃないわ。あたしなんて、誰も愛してくれない」


 そういうとお姉さんはまたしくしくと泣き始めた。僕はまた胸が苦しくなってアイリの顔を見た。アイリは仕方ない、っていう顔をした。


「そんなに言うなら調べてやるよ。アンタが嘘つきかどうかね」


 アイリは面倒臭そうに奥に行くと、裏の倉庫から小ぶりな瓶を一本持ってきた。紅ハチブドーシュの瓶よりずっと小さな瓶だ。


「コイツをひと口飲んでみな」


「なあに?これ?」


 お姉さんは小瓶を受け取ると洋燈ランプの灯りに透かして見ていた。中は全く見えなかった。


「コイツは『ヘソマガリワニの涙』さ。飲み易いように青リンゴのビネガーを混ぜてある。ちょいと辛いけど、ひと口飲んでみな」


「これが……なんだっていうんです?」


「ヘソマガリ鰐はね、一生を独り身で過ごすのさ。唯一、子供を残す時だけ、つがいの相手と一晩を共にする。そして次の日にはまた別々になる。その時に流す涙がこれさね」


「泣くならずっと一緒にいればいいのに」


 僕が横入りするとアイリはケラケラと笑った。


「だからヘソマガリ鰐なんだよ」


 お姉さんはいよいよ分からない、という顔をしていた。


「その鰐の涙を飲むのとあたしが嘘つきかどうか、どんな関係があるんです?」


「コイツを飲むとね、自分の為に泣いてくれる人の数が分かるのさ」


「そんな馬鹿な」


「まあ論より証拠さね。さあ、飲んだ飲んだ」


 アイリはなんだか心配そうなお姉さんをよそに蓋を開けた。小瓶からは、なんだか少し生臭いのと青リンゴの香りがした。


「これ、飲んで平気なの?」


「しのごのいいなさんな!」


 そう言ってアイリは無理矢理お姉さんに小瓶の中身を飲ませた。やっぱりアイリは悪い魔女なのかもしれない。


 お姉さんは苦い顔で飲み干した後、ちょっとして椅子から立ち上がって変な踊りを踊りはじめた。


「ちょっとアイリ!どうしたの!?」


「ありゃ、ちと辛すぎたかね」


 お姉さんは顔を真っ赤にしてジタバタしてたけど、アイリはへーきへーきとか言いながら水すら持って来なかった。僕は心配でオロオロしてたんだけど、そのうちに不思議なことが起きた。


「アレ?お姉さん、泣いてる」


「そら。始まった」


 お姉さんは床に膝をついたまま泣いてたんだけど、その涙が床に落ちるたびに「コロン、コロン」って音がするんだ。


「アイリ!真珠だ!涙が真珠になってる」


「おうともさ」


 お姉さんは自分の目から真珠が出ることにビックリしてた。でも涙は止めどなくて、お姉さんが泣き止む頃には真珠が床にたくさん転がっていたんだ。


「そら。見なよ。この真珠の数が、アンタの為に泣いてくる人の数だ。やっぱり美人は得だよね」


「これが……あたしの……」


 お姉さんはそれを見てまた泣き出しそうだったけど涙は出なかった。なにしろ、もう涙はすっかり真珠になっちゃったから。


「この真珠ひとつひとつにアンタを思う人の心がある。数も大事だけど、ひとつひとつの重みも大事だよ。それを忘れちゃダメだ。いいね」


「はい」


「よし。もういいから帰んな。早くね。気を付けて」


「あの……お代は……」


「いいよ。早く帰んな」


 お姉さんは頭を下げてお店を出て行った。外はもうすっかり夜だったけど、お姉さんはもう酔っていなかった。


「ねえアイリ。なんでお金、貰わなかったの?」


「んん?なんでさ。そういう時もあるだろ」


「おかしいや。だって、アイリいつもお金が命の次に大事だって言ってるじゃないか」


 僕は知ってる。アイリは近所の人からシュセンド、って言われてるんだ。意味はよく知らないけど、お金が大好きってことらしい。


「ふふん。まあねえ。実はこの真珠、アドゥール山のドワーフどもに高く売れるんだぁ!」


「おおう」


「だってさあ、当たり前だろう?ヘソマガリ鰐の涙は貴重なんだよ。ソレを無料で、しかも見ず知らずの奴になんの見返りも無しに渡せるものか。アオ、覚えときな。働かざるもの食うべからずだ」


「はいはい」


 アイリはやっぱり悪い魔女なのかもしれない。だって人を騙してお金を儲けて喜んでいる。


「やはは〜。やっぱり美人のナミダ真珠はいいねえ。綺麗だ綺麗だ。これなら高値がつくよお。へへへ。これなら大釜と包丁を新調できそうだよぉ」


 アイリがあんま嬉しそうにしていたけど、僕はふと変だな、って思ったことがあった。


「ねえアイリ。その真珠、美人だったら値段が高いの?」


「そうさ。身も心も美しい人間の真珠はドワーフたちの間で人気があるんだよ」


「だったらアイリ、自分で飲んで真珠を出せばよかったじゃない。なんで今まで使わなかったの?」


 先月なんて売り上げが悪い悪いってすごく機嫌が悪かった。何回夕飯抜きになったことやら。


 僕が質問すると、なんでかアイリはちょっと悲しそうな顔をしたんだ。


「さっきも言ったろうアオ。コイツは飲んだ人間のために泣いてくれる人の分だけナミダ真珠が出る。あたしはね、こんなだから。きっとひと粒も真珠は出ないさね」


「なんでさ?!」


「魔女だからだよ。あたしが死んで泣く人は近所にはいないんだわさ」


 僕は驚いた。アイリもこんなこと言うんだって、はじめて知った。アイリはとっても賢くてズルい魔女だと思ってたけど、どうやら違うみたいだ。


「アイリもお馬鹿なこと言うんだね」


「なんだってアオ!もっかい言ってごらん!」


「だって、それは違うよ。アイリが死んだら、きっと僕は泣いちゃうと思うよ」


「アオ……」


 僕は嘘はつかない。アイリが悪い魔女かいい魔女かまだ分からないけど、僕はアイリが大好きだから。アイリが死んだらきっと僕は泣いちゃう。


「あとさっきのお姉さんも。きっとそう思ってるよ。だから二つは出るよ。ナミダ真珠」


「そっか……」


 アイリはしばらくなんともいえない目で遠くを見てた。その時のアイリがどんなことを思っていたか僕には分からなかった。僕は子供だから。


 でもその後に、低くしわがれたお婆さんみたいな声でがははと笑った顔は、僕の大好きないつものアイリだった。


「よし、店閉めるか。今日は早仕舞い。儲かったからね。アオ、パンケーキ焼いてやろうか?」


「え!?もしかして虹ヘビイチゴのパンケーキ!?」


「おうともさ」


「えええ!なんでなんで!いいの!?」


「アンタが食べたいならね。色男さん」


「うわーい!」


 アイリは魔女だ。いい魔女か悪い魔女か、まだ僕には分からない。


「美味いかい、色男さん」


「美味しいよ!でもちょっと飲み物が欲しいな。ねえ、僕にも紅ハチミツブドーシュちょうだいよ」


 僕はアイリと一緒に暮らしている。仮にアイリが悪い魔女なら、きっと僕をさらってきたに違いない。


「だーめ。すぐ調子にのるんだから。油断も隙もないわさ」


「なんでだよ!ケチー」


「これは毒なの。アオにはまだ早い」


 だけど僕は幸せだ。もしもアイリが悪い魔女でも、僕はアイリが大好きだから。


「なんでだよケチ!アイリは毎日飲んでるくせに!」


「だから毒なんだよ」


 アイリは機嫌の良い時は決まってブドーシュをたくさん飲む。今日は特にたくさん飲んでいる。身体に悪いと言いながら。僕にはダメだと言いながら。


 それでも魔女は毒を飲む。


 了

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