オパルの涙とチューベローズの花冠

藤和

オパルの涙とチューベローズの花冠

 ここは人里離れた高原にある学校。

 この学校の生徒は女子ばかりで、彼女たちは寄宿舎で生活をしている。寄宿舎への持ち込みが許されているのは、着替えと眼鏡などの医療品、学校での勉強で使う筆記用具。それと、幼い頃から一緒に暮らしている鉱物を食べて育つ自律式の人形だけだ。

 この学校に入学するときに、専用の馬車でやってくる者も多少はいるけれども、多くの生徒たちは徒歩三十分ほど学校から離れた駅に汽車でやってきて、人形と一緒に歩いてここへと到る。

 この学校に入れば卒業までは街へと出ることが禁じられるけれども、生活には不自由しないように配慮されているし、そもそもこの学校に来る生徒の大半が、賑やかな街の喧騒には馴染めないでいるのだ。

 生徒たちが連れてきた人形は、昼間は生徒たちとお揃いの制服を着て、夜も生徒たちとお揃いの寝間着を着て過ごす。その様はまるで、人間と人形の境が無いかのようだった。


 朝、寄宿舎に鐘が鳴り響く。すぐ側に有る学校の鐘が朝を告げたのだ。

 この寄宿舎で暮らす少女に、隣で寝ていた人形が声を掛ける。

「起きて。朝だよ」

 少女はもぞりとベッドの中で蠢いてから、うっすらと瞼を開く。真っ先に目に入ってきたのは、ゆらりと何色もの光を照り返す、オパルのような瞳。それを見て少女は安心するとともに、朝が来たのだと実感する。

「おはよう。ごはんに行く準備しようか」

 そう言って少女が起き上がる。人形もベッドから降りた。立ち上がると、寝ている間に膝までめくれ上がっていたモスリンの寝間着の裾がふわりとふくらはぎの辺りまで降りてくる。少女は人形にブラシを渡し、自分は窓辺に置かれたたらいで布巾を濡らして固く絞り、顔を拭いた。

 一通り手入れをした後は、少女も人形も学校の制服に着替える。スカートがふわりと広がり、ぴったりとしたカフスの付いたボルドーのワンピースだ。白いセーラーカラーとカフスがアクセントになっている。

 すっかり着替えた後、ふたりは食堂へと向かう。道中、同じ宿舎に住んでいる同級生と顔を合わせると、おはよう。と軽く挨拶だけを交わした。

 宿舎と同じように煉瓦造りの食堂では、皆座る席が決まっている。人間は朝食のパンと、ベーコンと青菜を炒めたものと蛍石の蜂蜜がたっぷりかかった柑橘が乗った皿と、洛神花のお茶の入ったマグカップを受け取ってから、人形は朝食分の鉱物、何か好きな物をふた欠片受け取って人間と一緒に席に着く。テーブルの上には翡翠の花の柄が折り込まれた、オフホワイトの布がかけられている。

 全員が席に着いてから、寄宿舎の管理人が声を掛け、みなで食べ始める。

 これが、この寄宿舎の毎日の風景だった。


 朝食が終わり、少女は学校で授業を受ける。好きな教科はあるけれども、特段勉強が好きなわけでもないし、特に今受けている苦手な授業の時などはどうしてもうんざりしてしまう。

 ノートを取りながらぼんやりと人形のことを考える。この学校に来たいと言ったのは自分だけれども、こういう時はどうしても、授業を受けなくていい人形が羨ましくなってしまうのだ。

 でもそれも、もうすぐ卒業だと思うとなんだか愛着の湧いてしまう時間だった。


 人間たちが授業を受けている間、人形たちは寄宿舎の中庭で遊んでいる。煉瓦の上に白漆喰が塗られた寄宿舎の中庭は、壁が光を反射して明るく、鉱物が生る樹だけでなく、色々な草が花を咲かせている。

 この庭にある樹に生る翡翠や柘榴石、オパル、その他様々な鉱物は人形たちが好きなように食べていい事になっているけれども、今はまだ花の時期だ。だから人形たちは、地面に咲く色とりどりの花を摘んで、花冠を作ったり指輪を作ったり、草笛を吹いたりそれに合わせて踊ったりして遊んで過ごしていた。

 ふと、オパルのような瞳をした人形が、柘榴色の髪の人形に話し掛けた。

「私たち、今年の夏で卒業だね」

 それを聞いた柘榴色の人形は少しだけ寂しそうにして返す。

「そうだね。おめでたいことなのはわかるんだけど、離ればなれになっちゃうの、寂しいね」

 このふたりの出身地は遠く離れていて、そうそう会うことは出来ない距離だ。だからきっと、この寄宿舎を出たらもう会うことは出来ないと思ってしまったのだろう。

 オパルの人形がにっと笑って言う。

「たまにお手紙送るから」

 それを聞いて、柘榴色の人形は少しだけ微笑んだ。


 人形たちが中庭で遊んでいるうちに、学校の放課を告げる鐘が鳴る。それが聞こえると、人形たちはみな嬉しそうな笑顔を浮かべて、自分の主人であり友人である少女を出迎えるために、寄宿舎の門へと移動する。

 学校で静かに勉強をして疲れた少女達も、寄宿舎の門の前で待つ人形を見つけると、笑顔になって駆け寄っていく。少女達にとっても人形にとっても、お互いはどうしようもなく大切なものなのだ。


 学校から帰ってきた少女は、夕食前に濡らした布巾で体を清め、人形と一緒に机に向かう。

「今日授業でやったのはこんな感じ」

「あーん、難しい。私にわかるかなぁ」

 少女とオパルの人形が言葉を交わしながらノートを見る。少女が通うこの学校では、毎日の宿題兼復習として、その日の授業で教わったことを人形に教えると言うことを生徒たちにやらせている。人形に勉強を教えるというのは、確かに効果のある学習法なのだとこの学校の学長は言っている。運悪く、この学校に来てから卒業する前に人形が寿命を迎えてしまった生徒は自分で復習するだけに留まるけれども。

 少女と人形で賑やかに勉強をして、そうしている内に夕食の時間を告げる鐘が鳴り響いた。ふたりは制服と同じボルドーのゆったりした部屋着のまま部屋を出る。ひらひらとすそをなびかせながら、ランプで照らされた煉瓦造りの廊下を歩く。同じ宿舎で暮らす他の生徒と合流しながら食堂に向かうと、美味しそうな香りが漂ってきた。


 夕食が終わり、白いモスリンの寝間着に着替えて寝支度を整える。少女と人形は交互にお互いの長い髪をブラシで梳いて、少女がブラシに絡まった髪を取ってゴミ箱に捨てる。そうしていると、人形は既にベッドの中に入って、少女が一緒に寝てくれるのを待っていた。

「早く寝よう? 明日も早いよ」

「うん。今行く」

 人形の言葉に、少女はランプの灯を消してからベッドへと潜り込む。布団の中で少女がそっと人形の手に触れると、ひんやりとしている。暑くなってきたこの時期に、その冷感は心地よかった。


 寄宿舎で暮らす少女と人形たちの時間は、穏やかに流れていく。外部からやってこようとする悪意ある人間から守られたこの閉ざされた園で、輝かしい数年間を過ごしていくのだ。

 そんな輝かしい日々にも、突然悲しみはやってくる。それは大人達の手によってでも、完全には取り除けないものなのだ。

 それは鉱物の樹が花を落とし、それぞれに硬質な実を付けはじめる頃、最年長の生徒たちが卒業を控えた、暑い夏の日のことだった。

「大変! 急いで来て!」

 静かに授業が行われる教室にその声は響いた。教師が厳しい目つきで扉の方を向くと、そこにいたのはオパルの人形だった。

 普段、人形はたったひとつの例外的な場合を除いて学校の中へは入ってはいけないことになっている。だから、この人形が教室に来たということは、その例外が起こった証明だった。

 教師はすっと扉の方を指さして、厳粛な声で言う。

「あの子のご友人は、直ちに向かいなさい」

 少女がひとり立ち上がり、制服の裾を乱しながら人形に駆け寄る。

「案内して」

 少女がそう言うと、人形はこくりと頷いて校内の廊下を歩き始めた。昇降口へと向かう間、同じように人形が呼びに来たのであろう生徒何人かと顔を合わせる。みな戸惑った様な顔をしていた。

 昇降口を出ると、人形たちが走り出す。少女達もそれに続いた。

 今は一刻を争うときなのだ。


 寄宿舎についた人形と少女達は、みなひとつの部屋に集まっていた。その部屋の主である少女がベッドに駆け寄る。ベッドの中では、柘榴色の髪の人形がぼんやりと横たわっていた。主の少女が、柘榴色の人形が着ている制服の胸元をはだける。すると、服で隠されていた、人形の核となる鉱物が光を強めたり弱めたりしながら明滅していた。

 それを見て、集まった人形と少女達はベッドを取り囲み、人形は自らの核の上に、少女達は右胸に手を当てて静かにベッドの上を見守る。そうしている内に明滅を繰り返していた人形の核の光が強くなり、一呼吸置いてから眩しく輝いて砕け散った。

 主の少女が何かを言いかけたその時、人形の枕元に黄色いマントを羽織った人影が現れた。

 その人影は言う。

「君はここに居た。そしてここに居る」

 それだけを残して、人影はすぐさまに消え去った。主の少女が涙を零す。

「ああ、良かった。ちゃんと神様が迎えに来てくれた……」

 そうしてそのまま、動かなくなった人形に縋り付いて泣き崩れた。

 立ち会った他の少女達も、目に涙を滲ませている。人形たちは、泣くという機能が備わっていないので泣くことはできない。けれども、オパルの人形はじっと友であった動かない人形を見つめたまま、自分の主人である少女の手をぎゅうと握った。

「お花で囲みましょう」

 誰かがそう言った。それを言ったのは少女なのか人形なのか、わからない。けれども、動かなくなった人形の主人も含めて、少女と人形たちは中庭へと向かった。

 中庭では、夏の花が色とりどりに咲いていた。それを、人形と少女達が両手いっぱいに摘んでいく。小さなその花々を残してきた人形の元へと持ち寄り、一輪ずつ丁寧にベッドを彩っていく。

「もうすぐで一緒に卒業出来たのに」

 人形の命を失った少女が、泣きながらそう呟く。

 卒業までの時間が僅かなのは酷なことなのか、それとも救いなのか、それはその場にいる誰にもわからなかった。


 それから数日後、少女達は卒業式の日を迎えた。式は学校ではなく、宿舎のホールで行われた。卒業式には人形も参加するので、学校の方のホールでは手狭なのだ。

 名前を呼ばれた少女と人形が、ひとりずつ卒業証書とチューベローズの花冠を授けられる。白い花の花冠を頂いた少女と人形たちは、みな誇らしげだ。

 卒業式が終わった後は、それぞれに別れを惜しんだ後、各自の部屋に戻って荷物をまとめる。卒業した後、いつまでもはこの宿舎にいられないのだ。

 あの、卒業式を迎えられなかった柘榴色の人形は、専門の業者を使って一足先に家へと送り返したと聞いている。その事を思い出しながら、使い慣れた部屋の中で制服を着たまま、少女はトランクに荷物を詰め込んでいく。この学校に来たときよりも、教科書とノート分だけ荷物が増えていた。

 荷物をまとめ終わった少女に、オパルの人形が話し掛ける。

「あのね」

「ん? どうしたの?」

「私、卒業して家に帰ったらあの子に手紙を書くって約束したの」

「うん」

 あの子というのは、もうここにはいない柘榴色の人形のことだろう。

「送る相手、いなくなっちゃった」

「……そうだね」

 少女は、人形にどんな言葉をかければ良いのかわからなかった。それを人形もわかっているのだろう、部屋の扉を開けて荷物を持った少女にこう言った。

「もう行かなきゃ。チューベローズが枯れちゃう」

 卒業式で授けられたチューベローズの花が枯れるまでに家へと帰るのが、この学校でのしきたりだ。頂いた花冠から漂う甘い香りは未練を感じさせたけれども、少女はそれを振り切って部屋を出た。


 宿舎を出ると、白い花冠を頂いた少女と人形たちが、何人も何人も、駅に向かう道を歩いていた。この寄宿舎に入ったばかりの頃は、少女と人形の人数が同じであったのに、数年経った今では、ほんの少しだけ少女の人数の方が多かった。その多い分の少女は、在学中に人形が寿命を迎えてしまった者達だ。

 惜しむようにゆっくりと歩き、駅に辿り着く。駅のホームは、あの学校の入学式と卒業式のためだけに広く作られている。なので、今日卒業した少女と人形たちが全員入れるほどだった。

 しばらく待っていると、煙を上げて汽車がやって来た。数年ぶりに見る黒い車体。それを見て、人形は少女の手を握る。

 ホームについて扉が開かれた汽車に、卒業生と人形が乗り込んでいく。けれども、少女は何故だか汽車に乗ることがためらわれた。

 このまま汽車に乗れないと困るのは自分なのに。そう思っていたら、手を握っていた人形がぐっと手を引き、汽車に乗り込む。

「行こう。ここはもう私たちの居場所じゃないんだ」

 そう言ったオパルの人形は、泣きそうな顔をしていた。

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