ロースト・ピグ2号室 事件Fyle2~血塗られたプリンの謎~

秀田ごんぞう

ロースト・ピグ2号室 事件Fyle2~血塗られたプリンの謎~

 レンテリアーヌ通り2番街の路地裏には、くたびれた一軒のビルがある。看板にはロースト・ピグと書いてあるそのビルは、以前小料理屋を営む店主がいたそうだが、今では見る影もない。そんなくたびれたビルの2号室には、これまた変わった人物が住み着いている。


 ――レオン・カイル。優れた頭脳を武器に、事務所を出ることなく、依頼人から聞いた話だけで謎を解いてしまう稀代の名探偵。……なのだが、極度の人見知りのため、ほとんどしゃべれない無口な男。加えて重度の引きこもり体質のため、知る人ぞ知る探偵となっている。


 依頼とあらば、どんな難問・奇問でも立ち所に解決へと導く名探偵、レオン・カイル。

 彼の事務所では今日もまた一波乱起きそうな気配である。



 おはよ…………って、やっぱりか。君はいつもそうやってグータラと椅子の上で眠かけしてるなレオン。いい加減起きろよ。もう11時過ぎるぞ……ったく。


 ――ロイ・リンゼイ。レオンとは旧知の仲であり、相棒としていつも彼の事件捜査に協力している。レオンとは対照的にコミュニケーション能力に優れるが、女性を見かけると口説かずにいられない性格のため、何かと軽薄に見られがち。


「そう、言わないであげてください、ロイさん」


 ――コーリー・テングス。とある事件をきっかけに知り合った女性。聡明な美人だが、実はかなりのドジ。現在は半分住み込みのような形でレオン・カイル探偵事務所で働いている。


 コーリー! 君もいるなら、さっさとこいつを起こしてやってくれよ。見てくれあのよだれ。ひどい顔だ。見るに堪えない。

「まぁまぁロイさんも、そんなに変わらないですから」

 君ってさりげなくひどいこと言うよね。……はぁ。

 まぁいいさ。レオンが起きるまで、僕は新聞でもチェックさせてもらうとするよ。

 ……どれどれ…………。

「レオンさん、たぶん疲れてるんですよ。昨日、あんなに大変だったんですもの」

 大変……? レオンが悩むほどの依頼なんて、よっぽどのものじゃないか。

 僕がいない間に何があったんだ? 説明してくれ、コーリー。

「はい……と、どうやらレオンさん、お目覚めみたいですね」

 ようやく目が覚めたか、相棒。寝起きの所悪いが、君、昨日随分大変な依頼を受けたそうじゃないか。僕に相談の一つもないなんて水くさいなぁ。コーリーの口ぶりだと、随分悩んでたようだが、どんな謎なのか僕にも教えてくれよ。

 ……なに? まだ解けていないから、お前には言いたくないだと?

 友人としてアドバイスさせてもらうなら、人に話してみることで解決の糸口が見つかることだってあると思うぜ。だからさ、そんなに目にクマ作るほど悩んでないで、俺に相談してみろって。

 ……え? 嫌だ? ったく、ホントにこういう時の君は頑固だよなぁ! だからいつまでたっても彼女ができないんだ!

 ……お前もいないだろって? 余計なお世話だよ!

「あのロイさん……。よろしければ私から説明しましょうか?」

 ん……ああ、それじゃ頼むよ。この偏屈男は昨日から一体何に頭を悩ませているんだ?

「実はですね……――」


   ◇ ◇ ◇


 昨日の夕方買い物から帰ってきた私は、事務所の冷蔵庫の真ん中にレオンさんが楽しみに取っておいたプリンを発見しました。蓋の所にマジックで『おれの』って書いてあったので、触らないでおいたんです。きっと事件が解決した後食べようと取っておいたんだろうなって思って。事務所の清掃もひとしきり終わって、私も帰ろうとしている時、冷蔵庫の前でレオンさんがびっくりするような顔で冷蔵庫の前で呆然としていました。目は大きく見開かれていて、顔は青ざめて、まるで今にも死んでしまいそうな恐ろしい形相でしたので、私が慌てて駆け寄ってわけを聞いてみますと、レオンさんはいつものようにポケットからメモ用紙を取り出し、目にもとまらぬ速記で文章を書き記しました。

『プリンを食べたのはお前か』

 荒々しい字でそう記されたメモを見て、私は青い顔になって否定しました。

 だって私が買い物から帰ってきたときには冷蔵庫にプリンがあったし、それからずっと事務所の掃除をしたり、下の階の女将さんに用事を頼まれたりして、忙しく働いていましたもの。プリンを優雅に食べる時間などどこにありましょうか。それなのにレオンさんは私を犯人と決めつけてるみたいに鬼のような形相で私を睨んでいるし。

 ほんと災難です……。

 レオンさんの筆談による追求はとっ…………ってもしつこかったんですが、私がプリンを食べていないことにようやく納得したレオンさんは、震える手でメモに速記し、私に手渡しました。

『……ない。俺が楽しみに取っておいた特別セールのプレミアムプリンがない……っ!

 一体どういうことだ? 誰の仕業だ? 冷蔵庫に入れ直して冷やしていたのに! 犯人は俺がこのプリンを楽しみにしていたことを知っていた……? だが、何故!? 犯人の目的は何なんだ? わからない……わからない……うわあああぁぁぁっっ!!』

 ――最後の方はペンの筆圧も弱くなっていてよく分かりませんでした。

 冷蔵庫の中にはあったはずのプリンが確かに無くなっていました。

 それ以外のものは手つかずの状態で、『おれの』と書いてあったレオンさんのプリンだけが綺麗に無くなっていたのです。

 それからレオンさんはいつものように肘掛け椅子に座って、黙りこくってしまいました。

 目を四方八方に動かしていて、彼の頭の中では私なんかには想像も付かない激しい捜査が行われている……そんなふうに感じました。

 ほら、ロイさんもわかるでしょう? レオンさん、無口だから事件の時もいつもそんなふうに推理するじゃないですか。あの癖が出てたわけです。いつもはそうなるとほとんど事件解決……! って感じなのに、今回はちょっと毛色が違いました。

 というのも、それから一時間……二時間……時間が経っても一向にレオンさんの様子が変わらないのです。椅子に腰掛けてからというもの、ぼんやりした目で宙を見つめたままで……。顔色もどんどん悪くなる一方だし、私もなんだか心配になってきて……。

 私も何か役に立てばと思って事務所の中を探していたのですけど、プリンの手がかりは見当たらず。レオンさんの頭脳を持ってしても解決の見えない、ひょっとしたレオン・カイル探偵事務所始まって以来の迷宮入りの事件になりますよ、このままだと。

 レオンさんは夜遅くまで考えを巡らしてたみたいですが、ヒントの欠片も見えてこないみたいで、今朝からあのように抜け殻みたいになってしまいました。


   ◇ ◇ ◇


「――と、こういうわけなんです。正直、私にはもうお手上げ状態でどうしたら良いのか……ロイさん、助けてください。このままじゃこの事務所は崩壊してしまいますよ!」

 あ、はは……なーんだ。そういうこと。プリン一つくらいで頭を悩ませるなんて、君らしくじゃないかレオン。……まぁそう睨むなって。事件という程難しい話じゃないさ。

 ん……ああ、いつもの速記か。どれ……。

『この俺が一晩考え込んでも解決できない事件を前に、偉い自信じゃないかロイ。貴様にこの事件の犯人がわかるはずがない』

 …………。随分僕を舐めているようだが、レオン。仮にも僕は名探偵レオン・カイルの助手としてこれまでやってきたんだ。あんまり見くびってもらっては困るね。

「え……じゃあ! ロイさんには消えたプリンの謎が分かるって言うんですか!?」

 ああ。わかるとも。コーリーの話を聞いただけで、謎は解けた。

 はは、嘘じゃないって。むしろ、僕は何故君がこんな簡単な謎解きに時間がかかったのかがわからないね。名探偵にも休息は必要ということなのかな?

 冷蔵庫のプリンが消えた。どこに……?

 簡単な話さ。場所は一つ。……僕の腹の中だ。

「プリンはロイさんが食べた……!? でもでも! 昨日は依頼人も来なかったし、夕方からずっと私とレオンさんの二人しかいなかったんですよ! ロイさんが来たら事務所のドアベルが鳴るし、いくら私でも気がつきます。それに、百歩譲って私が気づかなかったとしても、レオンさんに気づかずに事務所に入るなんて、大怪盗でも至難の業だと思いますけれど……」

 コーリー。確かに君の言う通り、そんな芸当は普通の人間にはできっこないだろう。

 なにも難しく考えることはない。そもそも、あの場に僕はいたんだ。

「え~っ!? そんなはずないですよ!」

 いや、いたんだ。ただ、ずっとトイレに籠っていただけで。

 君も、そんな目で見るなよレオン。本当なんだってば。

 ……わかったよ。順を追って話すからちゃんと聞いてくれ。

 昨日は午前中に依頼人が来ることになっていたから、僕も事務所で君とコーリーと話を聞いていた。……そう、銀行に届いた盗みの予告状についての事件だよ。あの時、間違いなく僕は君たちと一緒にいただろう?

「はい。依頼人の話を聞いただけで、レオンさんが予告状から犯人の手口をすぐに推理してしまって、依頼の事件は午前中あっという間に解決してしまいましたものね」

 ああ。君の推理力には恐れ入るよレオン。

 そしてその後、事件が解決して君はいつものように机に積まれた資料を読み始めた。特にすることもなくなった僕は、軽くランチを食べに出かけた。一時間もしないで戻ってきたかな。

 事務所に戻ってくると、レオンは相変わらず資料を読みふけっていた。何やら興味を引く記事でもあったようで、僕が帰ってきたことにもまるで気づいていないようだった。……その様子だと集中しすぎるあまり僕がいたことに気づいていなかったな?

 ああ、コーリーの姿も見かけなかったな。買い物にでも出かけていたんだろう?

「ええ。私は物品の買い出しに出かけてましたもの。事務所に帰ってきたのは夕方ですね」

 レオンは資料からずっと目を離さないし、暇でね。

 なんとなく小腹が空いて冷蔵庫を開けると、うまそうなプリンが入っていた。汚い字で何やらメモ書きが貼ってあったが、気にせず食べた。まさか大の大人がプリン一つでいちゃもんつけるとは思わなかったからね。

「それでロイさんはレオンさんが取っておいたプリンを食べてしまったと……。でもおかしくないですか? 夕方、私が買い物から帰ってきたときには確かに『おれの』って書いてあるプリンが冷蔵庫に入っていました。ロイさんが食べてしまったとするなら、私が帰って来たときに冷蔵庫に残っていたプリンはなんだったのか説明がつかないですよ」

 話は最後まで聞くものだよコーリー。僕はプリンを食べたが、正確には口を付けただけだ。一口食べた後、ふたをして置いておいた。おそらくその後、レオンがもう一度プリンを冷蔵庫に閉まったんだろうな。コーリーが夕方、買い物から帰ってきた時に冷蔵庫に入っていたプリンは僕が一口だけ食べたものだったはずだよ。

「……ロイさんはどうしてそんな面倒なことを? 私にはロイさんの行動が意味不明すぎて……ほら、レオンさんの目を見てください。たぶん私とおんなじ気持ちですよ」

 まぁそういう反応になるだろうことは予想してたよ。かくいう僕自身も驚いたんだよ。

 プリンを一口食べた瞬間、口の中に淡泊な甘みと共に不気味な酸味が飛び込んできたんだ。酸っぱいプリンだよ!? 誰が想像できる!?

 一瞬で僕の味覚はエラーを引き起こし、スプーン一かけ分食べただけで、胃の中身が逆流しそうになった。平たく言えば猛烈にゲロを吐きそうになった。

「も、もうストレートすぎますよ!」

 知るか。本当にゲロみたいな味だったんだよ、あのプリン。僕はそれはもう一目散にトイレに駆け込んだよ。……それからどれだけの時間がたったんだろう。気づけば窓の外は夕焼け色に染まっていたね。

 ん……レオン。その顔、どうやら何か心当たりがあるみたいだな。

 ……なになに…………。

『そういえば思考が一瞬中断した時間があったな。新聞記事を隅から隅まで調べていた時、バタンと大きな音がした。何か落ちたかと思って台所へいくと、俺のプリンが冷蔵庫から出てたから、コーリーが出しっぱなしにして出かけたんだなと思って。冷やし直しのために冷蔵庫に入れて、また新聞記事の調査に戻ったのだが……。ロイの説明を聞くと、あの時の音はお前がトイレに駆け込むときの音だったのか』

「レオンさんはロイさんがトイレにいたのに気づかなかったんですか? 普通、そんな大きい音したら気づくと思いますけど……」

 甘いなコーリー。レオンは普通じゃない。付き合いは短いが、ここで働いてるなら君にもわかるだろ?

「……ええ。確かにレオンさんは普通じゃないですね。そ、そんな怖い目しないでくださいよ!」

 ともかく……普通じゃない君は僕がトイレに駆け込んだことにも気づかずにいたわけだ。

 体中の毒素を出し切った僕はトイレから出ると台所へ向かった。奥の廊下の方からコーリーの鼻歌が聞こえてきた。多分、廊下に掃除機をかけていたんだろう。うちの事務所の掃除機は年代物で音がうるさい上に、掃除に集中していたようで僕に気がつかなかったんじゃないかな。

「声くらいかけてくれてもいいじゃないですかぁ!」

 突然の腹痛だったから、プリンを捨てる暇が無かったんだ。あの兵器的な味のプリンを放置しておくのは人命に関わると思ったし。

 出したはずのプリンは冷蔵庫の中に入っていた。あの時の僕には誰かが食べるつもりでいたなんて考える余裕はなかった。プリンをすぐにゴミ箱に捨てたよ。

 まだ体は不調の状態だったから、その後すぐに帰宅した。君たちに挨拶する元気は無かった。

「…………。それで、その後レオンさんが冷蔵庫で冷やしたプリンを食べようとして」

 ああ。あとは君が話したとおりだよ。証拠は……昨日のゴミはもう捨てちゃったから、無いか。

 ま、証拠は無いから、信じてくれとしか僕には言えないけど……これが君の頭の中を占拠していたプリンに関する顛末さ。どうだい納得しただろ、レオン?

 ……これを読めってか? どれ…………。

『なるほど。あの場に君がいたと仮定するならば、確かに話の辻褄は合う。確たる証拠こそないものの、君の話を納得するほかあるまい。やるじゃないかロイ。さすがは私の相棒じゃないか。……惜しむらくはプリンを口にすることが叶わなかったことだな。全く残念でならない』

 …………ふ。…………ふ……ふ。ふははははっ!

「ロイさん!? 急に笑いだしてどうしちゃったんですか?」

 レオン。君は一つ勘違いしているようだが、このデス・プリン事件はまだ終わっていない。いや、正確に言うならば終わらせるつもりだったが、気が変わった。コーリーも、そうキョトンとした顔をするな。

 あのプリンは一体何だ!? 一口食べただけで走馬灯を見るなんて、あれは断じて食べ物じゃない! 人を死に至らしめる可能性を持つ凶器だ!

「ろ、ロイさん落ち着いてくださいよ! レオンさんも、自分のプリンのせいでおなか壊したんだから謝らないと」

 謝罪の言葉は必要ない。あの毒物はなんなんだレオン? 僕に分かるように説明してくれよ。

 気をつけろよ、説明次第では……僕は君を血祭りに上げることも辞さないつもりだ。

 いつもの速記はどうした? 君にも動揺という感情はあるらしいな。

 ふん。こういう時くらい自分の口で話せば良いものを。どれ……。

『…………あれは特別セールのプレミアムプリン。近所のケーキ屋で月に一度だけ売りに出される、それはもう素晴らしいプリンなんだ。ロイ。君が腹痛になったのは、きっと何かの偶然だ。運が悪かったと思って諦めてくれ』

 …………血祭りだ!!

「ちょちょちょ、待ってください! 一旦落ち着きましょう! ね? 近所のケーキ屋さんのプリンだったら私も知ってます。おなかを壊すなんてとんでもない。とっても美味しいプリンなんですよ」

 なるほど……。コーリー、君もレオンの味方をするというわけか。それでも僕は構わないが。

「ち、違いますっ! 一応聞きますけどレオンさん……プリン買ったのっていつごろなんでしょうか……?」

 ……なんだその手は。1……?

「一週間前ってことですか? ……ん? ああ、メモですね……うわぁ」

 なんだ、僕にも見せてくれ。なになに……随分小さい字だな。

『…………一年前』


 ――下の階に住む大家の話によれば、その日、ロースト・ピグ2号室に血の雨が降り注いだとか魔獣が暴れ出すような騒音が響いたとかで『血塗られたプリン事件』と噂されているそうです。。信じるか信じないかは……あなた次第。

 それはともかくとして、ロイはこの事件以来、プリンが食べられなくなったそうです。

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