第11話 元部下達をほっとけないのである
「……兄さん。兄さん!」
耳元でラギの声がする。酷い頭痛を堪えながら瞼を上げると、心配そうに見下ろすラギとコロの顔があった。
そして、知らない天井。窓から差し込む光は、うっすらとオレンジ色をしている。
「……ここ、どこだ?」
吾輩が問いかけると、涙目のラギが抱きついて来た。
「兄さん! 心配したんですよ? ここは『彷徨える亡者の森』というそうです。あちらの方が運んでくださいました」
「あちらの方?」
ラギの手の平が指す方に目を向けると、そこには……よく知った顔があった。
「ぶはっ!」
「兄さん!?」
「大丈夫だ! 何でもないっ!」
何でもないはずがない。そこに居たのは、吾輩が魔王だった時の部下だったのだから。
『火の魔将レイズ』と『水の魔将ルベル』。
レイズは魔物としては若い部類に入る娘で、火炎系魔法を得意としている。鬼の血が混ざっていたことから、幼少期に龍族の里を追われて野垂れ死にしかけていたところを、吾輩が拾って育てた。そのせいか、吾輩の事を父親の様に慕っていた……と思う。少なくとも、吾輩は娘の様に想っていた。沢山いた子供の一人ではあったが。
ルベルは純粋な水龍で、水と氷の扱いに関して右に出る者はいない。かつて吾輩はルベルと戦い、辛勝した。その時、ルベルの強さと仲間を想う気持ちに感銘を受け、部下になってくれと頼み込んだ記憶がある。「お前が勝ったのだから、好きにしろ」と言われ、どれほど嬉しかったか。
二人とも、生きていてくれたのだな。
「兄さん、どこか痛みますか!?」
「大丈夫だ。リザードマンが普通に居たからビックリしただけ」
思わず涙腺の緩んだ吾輩を心配したのか、ラギが慌てている。ラギの頭を撫でてから、動揺を隠す様に目を閉じた。
何が起こったのか、自分の状況がよく分からない。
いじけて自暴自棄になった気がするが、その後どういう経緯でここに居るのか、どれほど元部下達は吾輩について知っているのか、把握する必要がある。
『コロ。どういう状況だ?』
目を閉じたまま、念話でコロに問いかける。
『は。ウォレス様は大魔法を発動した後、魔力切れで意識を失いました。あの岩場は、レイズ様達が隠れ住む森の近くだったらしく、様子を見に来たレイズ様が隠れ里まで運んでくれました。ウォレス様は5時間ほどお休みになっていました』
『5時間!? ……レイズ達は、どれくらい吾輩のことに気が付いているのだ?』
『……』
『……え? まさか、バラしちゃったの?』
何となく、そんな予感はしていた。
ちらっと見えたレイズとルベルの顔が、紅潮し、思い切り涙目だったから。
『申し訳ないことを! ですが、既にレイズ様は気が付いておいでのようでした』
コロが激しく動揺しているのが伝わってくる。
あ、うん、すまんな。コロが悪い訳ではないのだ。
ただ、吾輩の静かな生活のためには、できるだけ部下達と距離を置きたかったのだ。今の吾輩は、力の弱いただの人間だ。何をしてやれる訳でもないのに、あやつらの顔を見たら、何かしてやりたくなるに決まっている。
無駄な期待をさせるだけだと分かっているのに、お互い酷ではないか。
ここは無関係を装うのが、お互いのためだろう。
「あの……リー……ウォレス様」
おずおずと、レイズが口を開いた。
ああ、懐かしい声だ。少し元気がない。
リーベンと言いかけて言い直したところをみると、レイズ達も吾輩を頼るつもりはないらしい。まあ、魔物達を守り切れずにあっさり死んだ魔王など、頼る気にもならないか。その上、敵である人間に生まれ変わったなど、裏切り行為と思われても仕方ない。……それはそれで、かなり寂しい。
顔を横に向けて目を開くと、レイズが震えながら微笑んでいた。涙を堪えているのだろう。
「魔力切れのようでしたので、少し魔力を補充させていただきました。僭越ながら、人間の体には、あれ程の魔法は負担が大きいので、あまりお使いにならない方が良いと存じます」
あれ程の魔法、がどれ程なのか気になるが、魔力切れを起こして倒れたことは間違いない。
心配をかけてしまった。
「助けていただいて、ありがとうございます。ええっと……お姉さんと、お、お兄さん……?」
レイズは人間に見えなくもないが、リザードマンの姿をしているルベルを何と呼んでいいのか悩みどころだ。普通の少年を装うのであれば、目の前に見知らぬリザードマンがいたら、恐怖のあまり気を失うか、発狂するくらいの演技をせねばならないところだろうが……それはそれで恥ずかしい。
少年ウォレスは、魔物に偏見のない良い子という設定で行こう。
「おじさん、の方が良かったかな……」
「そんなことよりも」
と、ルベルが口を開いた。目元は赤いが、表情は険しい。
「目を覚まされたのでしたら、すぐにここから逃げていただかなくては」
「逃げる?」
吾輩が首を傾げたその時だった。
バタン、と寝室の扉が開き、タヌキの様な魔物が転がり込んできた。
「大変です! 岩場に、大魔法使いが来ています!」
「ユージンか!」
タヌキの報告に、ルベルが牙を剝いた。
ユージンといえば、吾輩の村の領主で、元勇者パーティの魔法使いのジジイだ。あの岩場は、吾輩の村とは森を挟んで反対側に位置している。領主であるジジイが来ていても、何ら不思議ではない気がするが……。
「荷物はまとめたな!? 全員集まっているか?」
「はい! 偵察に向かった者以外は、庭に揃っています」
「よし。海沿いを迂回して、東に向かう。……やっと落ち着いて暮らせると思ったのだが……」
「ルベル!」
「ああ。すまない」
いやいやいやいや。
何だか深刻そうなので黙って聞いていたが、どうやら里の一大事らしい。
「あの! 逃げるってどういうことですか? ユージンって、ソイジョル村の領主様ですよね? ここは村から近いから、現れてもおかしくないのではないですか?」
「リー……ウォレス様。我々は勇者の目から逃れ、この森で息を殺して生きておりました。ところが、あなた様の魔法で、この辺りに魔物か魔法使いが居ることがバレてしまったのです。勇者たちは、今でも魔物の残党狩りを行っています。逃げなければ、我々は全滅します」
「えええ!?」
何ソレ。
察するに、吾輩はルベル達にとんでもない迷惑をかけてしまったようだ。吾輩は5時間も気を失っていたと言っていた。本当なら、5時間前に旅立ちたかったに違いない。わざわざ吾輩の目覚めを待っていた理由は分からないが、今はそんなことを考えている時間はない。
吾輩のせいで、こやつらが死ぬ。
それだけは、絶対に、絶対に、あってはならないことだ。
「レイズ。私はこの方を送ってくる。先に仲間を連れて行け」
「!? ルベル、まさかお前……」
「早くしろ。幸い、この方たちとユージンは顔見知りのようだ。近くまで連れて行って、解放する。魔物に捕まっていたと言えば、怪しまれはしまい」
「ならばその役目は私が」
「早くいけ!」
ルベルが牙を剝いて吼える。
怒鳴られたレイズは何か言おうと口を開いたが、すぐに諦めて下を向いた。唇を噛みしめる姿が幼い少女のようで、吾輩の胸を締め付ける。
『ウォレス様。ルベル様は皆を逃がすために犠牲になるおつもりなのでは……?』
『分かっておる』
ルベルが仲間想いなのは、誰より吾輩が一番よく知っている。おそらくルベルは、魔法を行使した犯人として、ジジイに討たれるつもりなのだ。吾輩と、仲間を庇うために。
「ルベル、必ず、追いかけてきて……!」
「……ああ」
「待ってください!」
泣きそうな顔で部屋を出ようとしていたレイズを呼び止めた。
吾輩はベッドを降り、ラギに支えられながらゆっくりとレイズとルベルに近付く。
近くで見ると、二人ともあちこち傷だらけだった。吾輩が死んでから、15年もの月日を仲間のために生きてくれたのだ。誇り高い龍族の二人にとって、息を殺して生きることがどれほど苦痛だったか、この傷からも感じ取れる。
すまなかった。
魔王の人生は15年前に終わった。
だから、もう全てを忘れて静かに暮らそうと思っていた。
無関係を装うつもりだった。
だが、この者達にとっては今も続く現実なのだ。
なんと吾輩は愚かなのだ。どうしようもないクズだ。無責任な主で、本当にすまなかった。
「ルベルさん、レイズさん、僕を皆さんに会わせてください」
「……! それは、もちろん……!」
「皆、喜びます!」
「それから」
と、吾輩は言葉を切った。
吾輩だけの静かな生活など、もう望まぬ。吾輩は強欲なのだ。どうせなら、皆が笑える未来がいい。
「僕を信じて、付き合っていただけませんか?」
魔人転換 ー転生魔王は静かに暮らしたいー じゅごん @ky062865
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