第10話 勇者の箱入り娘は現実を知る

(第7大陸王女—エリカ目線—)

 豪奢な部屋の窓際で小鳥に餌を与えていた私は、ふと奇妙な予感に顔を上げた。


 突然、世界が揺れた。


 この第7大陸では、地震は珍しくはない。

 そのためか、周りの者達は平然としている。


「今、揺れたわよね?」

 念のため、近くにいた騎士に確認する。

「はっ。震度2か3くらいかと。御心配には及びません」

「そう……良かったわ」

 騎士は私が怯えていると思ったのか、笑顔で白い歯を見せている。

(使えないわね。こいつ)

 にっこりと微笑み返しながら、私はマントを羽織った。

「お嬢様? お出かけですか?」

 慌てて侍女が駆け寄ってくるが、今の『揺れの意味』を理解せぬ者など不要だ。

「お爺様と約束があるの。夜には戻るわ」

「ユージン様と? お見送りします」

「結構よ。お爺様の屋敷はすぐそこだし、飛んで行くわ」

「ですが」

 何か言いかけている侍女や騎士を無視して、私は宙に浮いた。浮遊魔法を使える者は、この世界では珍しいらしい。世界一強いと言われるお父様でさえ、空は飛べない。浮遊魔法はお母様譲りだ。

「行ってくるわね」

 そう言い残し、私は城を後にした。


 ◇


「お爺様」

「おお。姫様」


 大魔法使いユージンの屋敷は、王城から南に1キロほど離れた所にある。

 私が着いた時、お爺様はちょうど竜車に乗り込もうとしているところだった。


「お爺様」と呼んではいるが、血が繋がっている訳ではない。お父様が父の様に慕っているから、そう呼んでいるだけだ。だが、実の祖父よりもずっと優しく、面倒見の良いこの老魔法使いのことを、私は赤ん坊の頃から大好きだった。


 先程の揺れは、ただの地震ではない。

 明らかな魔素の揺らぎがあった。残念ながら、あの城の中でそのことに気が付いたのは私だけだったようだ。今、お父様とお母様は他の大陸へ魔物討伐のため遠征中なのだ。


 あの揺らぎの原因がどこで起きたかまでは、私の能力では分からない。ここへ来たのは、世界一の魔法使いと呼ばれたお爺様ならば、何か分かるかもしれないと思ったからだ。


「お爺様、先程揺れましたわよね?」

「うむ。やはり姫様も感じたか。……王と王妃が留守で良かったわい」

「?」

 どういう意味だろう。魔素の揺らぎがあったという事は、何処かで誰かが大きな魔法を使ったに違いない。この大陸でそれほどの魔法を使える者は限られている。もしかしたら、お父様達の留守を狙って、魔王軍の残党が反乱を起こしたのかもしれない。

 だとすれば、お父様達が居ない事は「良いこと」ではないはずだ。


「姫様、ワシは原因を探りに行くので、城に帰ってお待ちくだされ」

「嫌ですわ! 国の一大事かもしれませんのに、王女がのんびりなどしていられません!」

 私はまだ10歳だが、魔力には自信がある。

 お爺様の下で修業を積んだこともあり、その辺の魔法使いには負けないつもりだ。魔物と戦ったことはないけれど、足手まといにはならないはず。

 なのに、お爺様は心底困ったような顔をした。

「姫様。姫様に何かあれば、それこそ国の一大事です。今、この国の要は姫様です。姫様は城をお守りください」

「うう……!」

 城を守れ、と正論を言われてしまっては、ぐうの音も出ない。

 ギュッとドレスのスカートを握りしめる私の頭を撫でて、お爺様は旅立って行った。


 城に戻るか、お爺様の後を追うか。

 逡巡の末、私はお爺様の後を追うことにした。


 ……城の者には、夜までに帰ると言っておいた。まだ陽は高い。なら、もう少しお出かけしてもいいわよね……?


 自分に言い訳をして、私は空を飛ぶ。


 だって、国を揺るがすほどの魔法を使う魔物なんて、滅多にいないのですもの。


 ……自分の目で確かめたいの。勇者の娘として。


 ◇


 お爺様を追って空を飛んだはいいが、途中で魔力が尽き、竜車の屋根の上にしがみついて移動すること約4時間。


 竜車が止まったのは、小さな村の入り口だった。

 粗末な木製の柵で囲われた、のどかな村だ。

 家の数は30ほどだろうか。どの家も納屋の様に小さく、ボロボロだ。畑の作物はまばらで、決して豊かとはいえない。村を横断する細い川は陸地と高低差がほとんどなく、雨が降れば簡単に氾濫しそうだった。

 ちらほら見える村人達も、家畜らしき動物達も皆、お世辞にも体格が良いとは言えない。

 来ている服も、城の奴隷達の方がまだだ。


 ほとんど王都を出たことのない私にとって、こんな辺鄙なところに人が住んでいることさえ驚きなのに、王都とのあまりの違いにショックを受けた。


 同じ大陸の中なのに。

 同じ、私の国民なのに。


 ずん、と、胸が重たくなった。


「これが、この国の現実ですよ。姫様」

「お爺様!」


 声に気付いて見下ろすと、お爺様が笑顔で見上げていた。どうやら、屋根の上に居たことに気が付いていたらしい。分かっていたなら、中に入れて欲しかった。


 お爺様の手を借りて地面に降り立った私は、自分の足がガクガクと震えていることに驚いた。初めて見る光景に、心が落ち着かないのだ。そんな私を、お爺様が優しく抱き上げてくれた。


「ここは、私の領地で『ソイジョル村』といいます。姫様。これから村を突っ切って森に入ります。しっかり、掴まっていてくだされ」


 私がコクンと頷くと、お爺様は風の様に駆け出した。身体強化魔法と、風魔法を同時に使っているのだろう。

 何人か村人とすれ違ったが、誰もお爺様と私に気が付いてはいない様だった。風が通り過ぎた、くらいにしか認識できなかったのかもしれない。


 お爺様は何の躊躇もなく村を抜け、森に入り、山を越えた先で足を止めた。


「何なの……あれ」


 私は、目の前に広がる異様な光景に目を見張った。

 お爺様も、無言で見つめている。


 目の前には、広大な岩場が広がっていた。その先にはまた森が続いているが、森までの間には直径100メートルほどの半球状の穴が開いていた。

 そして、ほのかに残る魔力の匂い。

 何者かがここで魔法を使い、穴を開けたのだ。


 ゾクリ、と背筋が凍る。


 これほどの魔法、並みの魔法使いでは扱えない。私でさえ、全力で魔力をぶつけても、精々5メートルの窪みを作れる程度なのだ。

 規模が、違う。


「お爺様……まさか、魔王が」

「しっ! 静かに」


 お爺様は私を地面に降ろすと、庇う様に前に出た。

 何かが、大穴の反対側の森の中から近づいてくる。


「ひっ!」


 思わず、喉が引きつった。今まで感じたことのない恐怖が、腹の底から湧き上がってくる。


 そこには、少年達を連れた最強の魔物……龍の姿があったのだ。

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