第9話 あの方と見た、夢の続きを

(『火の魔将』-レイズ-目線)

 第7大陸の南部に位置する『彷徨える亡者の森』に、冷たい風が吹く。

 ここは『魔王軍』の残党が暮らす、数少ない場所だ。


 15年前、この世界の半分以上は魔王リーベン様の物であった。

 そこに突如として現れた、勇者と名乗る無法者とその仲間たちにより、魔物のほとんどが惨殺された。リーベン様の居城があったこの第7大陸でさえ、勇者らの暴挙を食い止めることが出来ず、主を失ったばかりか、魔物はその数を1割にまで減らした。

 魔物たちは大陸の端へと追いやられ、今は少数で村を作り、ひっそりと息を潜めて生きている。

『火の魔将』と呼ばれた私も例外ではない。常に勇者の影に怯えながら、この森で魔法を使う事もなく、かつての部下達と細々と暮らしている。


 ―――せめてリーベン様が生きておられれば……


 そう思い、大陸中を探索したこともあった。

 だが、主の魔力はどこにもなく、否応なしに我々が希望を失ったことを痛感させられた。


 ―――あの方は、もういないのだ。


 目を閉じると、かつての光景が胸に広がる。


 今では考えられないことだが、ほんの200年程前まで、人間と魔物は常にこの世界の覇権争いを続けていた。魔物は人を喰う。人も魔物を狩り、武器や食料にする。

 血で血を洗う争いが、何千年、何万年と続いていたのだ。


 それを変えたのが、あの方だ。 

 あの方は、魔物の事を第一に考え、全力を尽くしてくれた。


 あの方が魔王となってから、人間との無益な争いが目に見えて激減した。

 魔物の多くは知能が低く、自由に人間を襲えない不満を募らせていたが、そういう愚かな者たちほど、簡単に人間の手にかかって死んでしまう。リーベン様はそれを憂い、魔物と人間の住み分けを行ったのだ。


 無論、戦争を終わらすためには多くの犠牲を払わなければならなかった。

 リーベン様は『終末の魔王』と呼ばれ、魔物からも人間からも疎まれた。


 リーベン様は、ただの一度も私たちに辛い顔を見せてはくださらなかったが、私は知っている。

 あの方は、誰よりも……そう、人間などよりも遥かに純粋で、お優しい方だった。平気なはずはなかっただろう。


 あの方のそばにいると、私は理由もなく泣きたくなった。

 あの方が我々魔物を守ってくださったように、私もあの方を守りたかった。『争いのない静かな生活』というあの方の夢を、一緒に叶えたかった。


 ―――死んでしまいたい。


 あの方を失ってから、何度そう願ったことだろう。

 だが、あの方が守ってくれたこの命、そして数少ない同胞達を守るために、私は生きなければならなかった。

 勇者の『魔物狩り』は、この10年程はほとんど行われなくなったとはいえ、油断はできない。 

 勇者が居る限り、安息の地などないのだ。

 我々は、息を潜めているから見逃されているだけだという事を、忘れてはならない。

 あの方の復活を恐れ、人間の赤子をことごとく抹殺したくらいの男だ。

 もし今、この大陸で大きな魔力の動きがあれば、奴は何の躊躇もなく我々を消し去るだろう。


 ―――せめてリーベン様が生きておられれば……


 考えても仕方のないことだと分かっていても、そう願わずにはいられない。

 私の時間は、あの日から止まってしまったままだった。


「妙な気配がするな」


 突然、隣から声をかけられて、私はハッと顔を上げた。どうやら、歩きながら眠りかけていたようだ。

 油断してはいけないと分かっているのに、先の見えない生活に疲れてしまったのだろうか。

 こんなことではいけない、と、私は自分の頬を両手で打った。


「大丈夫か?」

「問題ない」

「腫れているぞ? 冷やそうか?」

「いい。氷は苦手だ」

「そうか」


 私がそっけなく断ると、300年来の付き合いになる同僚はあっさりと引き下がった。

 同僚……『水の魔将』ルベルは私と共にこの地の魔物を守る男だ。男といっても、水龍が存在を誤魔化すためにリザードマンの姿になっただけなので、異性という感覚はない。

 ルベルは火龍と鬼の間に生まれた私を、何かと気にかけてくれる変わり者だ。

 龍族の生き残りは少ない。

 それだけに、私のことを妹のように思ってくれているのだろう。


「分かるか、レイズ。岩場の方から、人間の匂いがする」

「……確かに……?」


 ルベルに言われてクンクンと鼻に意識を集中させると、確かに人間らしき匂いがした。

 だが、何かがおかしい。


 もう何年も人間の匂いを嗅いでいなかったせいで、感覚が鈍ったのだろうか。


 この森を抜けると広い岩場があり、更にその先には小高い森に囲まれた人間の集落がある。10年程前に、勇者の仲間の魔法使いが領主となってから急に栄え始めた村だ。人間達が村の周りの森で狩りをしていることは知っていたが、岩場まで人の気配がするのは初めてのことだ。


「冒険者か何かだろう。様子を見て、追い返すか?」

「出来れば、会わずに済ませたいな……」


 この辺りの魔物は、血に飢えている。

 愚かな同胞が人間を襲う前に、引き返してもらいたい。


 そう、私が思ったその時だった。


 ずぅぅぅぅん


 と、大地が哭いた。

 そして、激しい振動。


 直ぐ近くで、凄まじい魔力が放たれたのが分かった。

 ドクン、と心臓が高鳴る。


「まずいぞ……! これ程の魔力、勇者に気付かれる……!」


 ルベルが村の方へ駆け出した。魔物を集め、別の地へ移動するためだろう。村長として即座に適切な行動がとれるところが、ルベルの長所だ。


 ―――私も行かなくては。


「!? おい、レイズ、何処へ行く!?」


 行かなくては。

 あの魔力の源へ。


 胸の高鳴りを抑えながら、私は飛ぶように走る。


 違うと分かっている。あの方が生きているはずはないと、分かっている。

 だが、確かめずにはいられない。

 これ程の魔力を持つ者の正体を。


「!?」


 森を抜け、岩場の見える所まで来て、目を見張った。


 巨大な岩の柱があったはずの場所は、直径100メートルほどが半球状に抉られていた。

 そして、その中心に人間の子供が横たわっている。


 子供からは、先ほど感じたものと同質の魔力が感じられる。大魔法を放ち、魔力切れをおこしたのだろう。


『待て!』


 少年の元へと向かう私の前に、一匹の犬が割り込んできた。どこか懐かしい匂いのする犬を前に、鼓動が一層激しくなる。


 そんなはずはない。

 あの方は、死んだのだ。

 私の目の前で。私に強制的に転移魔法をかけながら。勇者の剣を胸に受けて。


 なのに……!


『そのお方はただの人間ではない。……レイズ様』


「……コロなのか?」

 見た目も声も変わっていたが、その犬から放たれる気配は、間違いなくあの方のペットであったフェンリルのものだ。


 ―――ああ。生きていて欲しいと、どれだけ願ったことだろう。


 ふらふらと、力なく足が動く。気が付けば、倒れた少年の横に跪いていた。


 ―――ああ。やはりあの方は亡くなっていたのだ。


 そして、こうして戻ってきてくれた。

 胸の鼓動が熱となり、瞼を濡らし、零れていく。溜め込んだ感情が、嗚咽と共に口を突く。


「お帰りなさいませ。リーベン様……!」


 ―――今度こそ、お守りする。


 熱く疼く胸に、強く決意を刻み込む。

 止まっていた時間が、ようやく動き出した感覚がした。


 やっと、見ることが出来る。


 あの方と見た、夢の続きを。

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