第8話 吾輩は魔法の修行を始めるのである

 ラギが吾輩の弟になって、7年が過ぎた。

 吾輩、10歳である。


 ラギは魔物だった時の記憶が普通にあるらしく、最初の3年は人間としての常識を覚えさせるのに必死だった。幸い、見た目が幼子だったことや、ジジイが「目の前で魔物に親を殺された不憫な子供」と設定をくれたおかげで、ラギは村の大人達から同情と愛情を受けて、すくすくと成長した。


 驚いたことに、成長するほどラギは吾輩によく似た外見になっていった。吾輩の魔力を受けて人化した影響だろうか。

 今では、吾輩とラギは本当は双子なのではないかと、噂されるくらいだ。


「お兄ちゃーん」

 吾輩がラギと庭で剣の稽古をしていると、家の中から可愛らしい声に呼ばれた。

 妹のユリアである。

 ユリアはどちらかと言うと父上似だが、なかなかの美少女だ。性格はちょっぴりおしゃまで甘えん坊だ。吾輩、可愛くて仕方がないのである。

「お兄ちゃん。エミーおばさんの家にパイを届けに行くの。一緒に行こう?」

 ユリアが大きなバスケットを持って、家から出てきた。エミーおばさんは隣の家のご婦人で、吾輩たちを可愛がってくれている。

「いいよ」

 吾輩は木刀を木に預けて、ユリアに向かって歩き出した。

 だが、すぐにラギに行く手を阻まれる。

「駄目です! 兄さんは、僕と剣術の稽古があるんです。ユリアは一人で行きなさい」

「むう! ラギお兄ちゃんばっかりずるい! 朝からずっとウォレスお兄ちゃんと遊んでもらってたじゃない! ユリアもウォレスお兄ちゃんと遊びたいの!」

「駄目です」

「もー! お兄ちゃんのいじわる!」

「何とでも言うがいい」

 ラギは誰に対しても物腰が低く丁寧に接するのだが、妹のユリアにだけは尊大だ。ラギとユリアの吾輩を巡るバトルは日常茶飯事であり、それを仲裁するのが吾輩の役目である。ちなみに、吾輩、喋り口調では「吾輩」ではなく庶民に合わせて「俺」とか「僕」を使っている。郷に入れば郷に従うのが吾輩のモットーなのだ。

「ラギも一緒に行けばいいじゃないか」

「「嫌です!!」」

 吾輩の提案に、二人が声を揃えて反発した。

 息ぴったりであるな。仲良きことは良いことだ。


 吾輩が和んでいると、ユリアが左腕に、ラギが右腕にしがみついて引っ張り出した。

 うわ。何これ、二人とも可愛い……! 

 ついでに、コロまで服の裾を引っ張りだした。

 身体が千切れそうであるが、吾輩、ウハウハである。


 そう。これこそ吾輩が求めていた幸福なのだ。


 血と汗に塗れた前世では考えられないほどの幸せに、吾輩の頬が緩む。静かな暮らしの中の小さな温もり。最高であるな。

 多少の痛みはウエルカム……あ、やっぱりちょっと待って、痛い。


「あら。またラギとユリアは喧嘩しているの? 二人ともお兄ちゃんが大好きね」

「はい!」

「うん!」

「助かりました。母上」

 吾輩の体が千切れる寸前で、母上が止めに入ってくれた。吾輩はそんな母上が大好きである。

「ウォレス。悪いけど、コロと狩りに行ってきてくれる? 父さん、コミットさんのとこの畑の手伝いに行っちゃったの」

「分かりました」

「え!? 僕も行きます!」

「私も!」

 ラギとユリアが元気よく手を挙げた。


 コロとラギとジジイのおかげで、最近では近隣の山々からめっきり魔物の気配が減ったとはいえ、まだまだ子供だけで森に入るのは危険である。当然の様に母上は顔をしかめた。

「ラギはともかく、ユリアは駄目よ。ちゃんとお使いに行かないと、お兄ちゃんと一緒に寝るの禁止しますからね!」

「えええ!?」

 がーん、と効果音が付きそうな顔で、ユリアがその場に崩れ落ちた。吾輩としても、可愛い妹の寝顔が見られなくなるのは残念なので、妥協案を提示することにした。

「ユリア。三人でおばさんの所に行こう。帰りは、一人で帰るんだよ」

「えええ!?」

「その代わり、行きはお兄ちゃんがおぶってあげるから」

「え!? やったあ! じゃあ、それで我慢する!」

 吾輩が笑顔に、ユリアも満面の笑みで飛び上がった。

 ラギが「ちっ」と舌打ちしたが、そこはスルーである。


 吾輩達は三人と一匹でお使いに行き、エミーおばさんの家の前でふくれっ面のユリアと別れた後、森へと向かった。


 家から森までは、歩いて20分程の距離である。

 いつもなら、村が見える範囲でしか狩りをしないのだが、今日は天気も良く、まだ陽が高いため、行ったことのない奥まで行ってみることにした。


 父上たちが「ここから先は入ってはいけない」という目印のために木に括り付けた黄色い紐をくぐって、吾輩たちは森の奥へと歩を進める。


 吾輩は、10歳になった。

 魔法を自由に使える歳である。

 前世では、指先一つで山を消し去ることが出来たが、正直な所、今の吾輩がどれ程の魔力を使えるのか想像がつかない。人間の子供である吾輩の力など、たかが知れているとは思うが、万が一を考え、本格的な魔法の修行をするには、人目につかず多少の破壊行為をしても被害の出ない場所を探す必要がある。


 森の中は、瘴気が濃い。

 ラギとコロがいるので滅多に魔物に会うことはないはずだが、用心のため吾輩は剣を抜いたままにしている。剣は吾輩の得意武器である。今はまだ未熟だが、前世で慣れ親しんだ武器なだけに、筋が良い。

 ラギは毎日吾輩と剣の稽古をしているが、一番の得意武器は弓である。元々鳥系の魔物であるハーピーだったラギは、風の流れをよむのが上手い。子供の細い腕ながら、弓の腕前は村一番である。


 ラギは目ざとく獲物を見付けると、一撃で撃ち落としていく。あっという間に雉のような鳥が3羽も手に入った。これ以上は子供の我々には重たくて運べないため、狩りはここまでとし、手頃な広場を探す。


 森へ入って2時間が経過した頃、山を一つ越えた先で岩場を見付けた。

 吾輩たちの住む村がそのまま入ってしまいそうなほどの広さがあり、魔法の練習場所としては申し分ない。近くに川も流れており、休憩するのにもちょうど良い。


「いい場所ですね、兄さん」

 ラギも気に入ったらしい。


 吾輩たちは川辺で捕った獲物の血抜きを済ませ、母上お手製のサンドウィッチを食べた後、魔法の訓練をすることにした。


 久々の魔法である。


 天使との約束もあり、吾輩は10歳までは魔法を使うのを我慢していたが、その代わりに魔力容量を増やすことに専念してきた。


 魔力容量とは、魔力を貯めておける器の大きさのことである。器と言っても目に見えるものではない。魔力を使うには、体内に流れる『魔脈』に大気中の魔素を取り込み循環させる必要があるが、この魔脈の太さ、長さ、質がその者の持つ器となる。器が小さいと、威力のある魔法は使えない。


 魔法が使えるかどうかは、魔脈を持って生まれるかどうかにかかっている。魔脈は遺伝するが、吾輩のように突然変異で……というか、吾輩の場合は天使からの贈り物であるが……持つ者も稀にいる。

 魔物は例外なく魔脈を持っており、普通の獣との違いはそこであろう。

 ラギとコロは元が魔物であるため、人間や犬になった今でも魔脈を持っている。

 ラギの話によると、以前よりも細く、流れも悪いらしい。人間の体は魔力を使うには効率が悪いのだ。

 だからこそ、吾輩はこの『魔脈』を太く、長くし、魔素を効率よく循環させるトレーニングを赤子の頃から続けてきた。

 一番効率の良いやり方は、一度体内の魔力を限界まで使い切って魔力切れを起こさせることであるが、大っぴらに魔法を使うことが出来なかった吾輩に、その方法は使えない。魔力切れを起こしたのは、ラギを助けたあの時だけだ。


 そのため、吾輩は別の方法を試した。

 どれ程の効果があるかは分からないが、吾輩は常に薄く、弱く魔力を放出させ続けている。寝ている時も、食事の時も、剣の稽古の時も、常に同じ強さで魔力を放出できるようになるまで、10年かかった。

 魔力切れを起こさせる方法は、魔脈を強く、太くさせるのに効果的であるが、それが出来ない吾輩は長さを伸ばすことに専念したのだ。吾輩の考えが間違っていなければ、吾輩の魔脈は毛細血管の様に体の隅々まで行き渡り、かなりの容量になっているに違いない。

 ……そう信じておるが、自己流なので自信がない。吾輩の10年間の努力が報われたかどうかは、今から行う試し打ちで判明する。


「兄さんは、何系の魔法が得意なんですか?」

 吾輩が呼吸を整えていると、ラギが質問してきた。ラギは前世の吾輩が死んだ後に生まれたらしく、吾輩の勇姿を知らないのである。


 魔法には、7つの属性がある。

 基本となる火・水・風・土に加え、光・闇、そして無属性だ。

 吾輩、前世では全て使えたが、一番燃費が良かったのは闇魔法である。魔王にぴったりで、ちょっとかっこいい。

 配下には『火の魔将』『水の魔将』といった具合に、属性ごとに7人の将軍がいた。懐かしいのである。あやつら、今頃どうしているであろうか。


「俺は、たぶん闇だと思う」

「え!? 兄さんに闇は似合いませんよ? どちらかと言えば光とか、水でしょう?」

「そう? とりあえず、一つずつ試してみよう」

「はい。お手伝いします」

『私も手伝います』


 ラギは風魔法で近くの岩を均等な大きさに切り分けると、その一つを吾輩の目の前に置いた。スイカほどの大きさである。これを破壊しろという事だろう。

 コロが吾輩と岩を覆う形で結界を張った。周りへの被害を出さないための配慮だ。流石コロ。出来るワンコである。


「さて、と」

 久々の魔法にテンションが上がって来た。

 高鳴る胸を抑えながら、右手を前に差し出す。


 まずは、昔得意だった闇魔法を試そう。

 闇魔法は、基本的に物質の破壊には向かない。

 精神に作用する術が多く、対人、対魔物の魔法なのである。

 闇魔法で物を壊すには、毒などを産生して溶かす、自分の代わりに戦う闇の兵士を作る、闇で対象を包み込み空間を圧縮させて潰す、などの方法がある。

 吾輩は闇の兵士を作り出すことにした。

「シャドウ」

 あまり魔力を消費しないように注意しながら、闇を操り兵を練り上げていく。

「おお!」

『おお!』

 ラギとコロが目を輝かせた。

 その反応に益々テンションが上がる。が。

「「「……」」」

 出来上がったのは膝丈くらいの小さな人型の何かであった。母上がよく作ってくれるクッキーに似ている。

「……は、初めてならこんなもんですよ、兄さん!」

『ドンマイ、ウォレス様』

 慰められた。

 見た目はアレでも、力は強いかもしれないと、試しに岩を叩いてもらったが、案の定、岩には傷一つ付かなかった。むしろ殴ったクッキーの方が痛そうな仕草をし、あえなく霧散した。

 ……どうやら、今の吾輩には闇魔法の才能は無い様である。


 だが、属性はあと6つある!

 吾輩の10年間の地味な努力が無駄ではなかったと信じたい。

「よし! 次だ!」

 気を取り直して、次々に属性魔法を試した。


「ファイアーボール!」

 ぽあ。

「ウォーターボール!」

 ちょろ。

「ウィンドカッター!」

 そよ。

「ストーンバレット!」

 ころ。


「「「……」」」


「ドンマイ、兄さん!」

「うわあああああああああ!!」

 吾輩は両手を地面に突いた。ラギの慰めが巨大な杭のように心に刺さる。


『ウォレス様! まだ、光魔法と無属性魔法が残っています!』

 何故か、コロが必死の形相で擦り寄ってくる。コロは途中から、結界を張るのを止めていた。無意味だと悟ったのだろう。


 うん。慰めてくれるのは嬉しいけど、今とってもナーバスなので、そっとしておいて欲しい。


「俺、魔法向いてないのかも……おおお」

 なんだか、涙が込み上げてきた。火・水・風・土の四属性は基本中の基本であり、魔法使いなら誰でもそこそこ使えるはずなのだ。それなのに、あの体たらくだ。

「そそそそんなことはないはずです! 小さい頃から、光魔法の『ライト』と『ヒール』はこっそり使っていたじゃないですか! 光魔法はいけるはずです!」

『そうです! それに、もしかしたらあの岩が特別に硬いのかもしれません! 私でも砕けないかも! えいっ』

 パアン!

「粉々! ちょっ、余計なことしないで下さい、コロ! そもそも僕の風魔法で簡単に切り出せる程度の岩で……あっ」

「うわあああああああああああ!!」

「すみません! 兄さん!」

『申し訳ありません! ウォレス様っ……ウォレス様!!』

 吾輩は泣きながら駆け出した。

 悔しさと情けなさと恥ずかしさで頭が真っ白になっていた。

「兄さん、落ち着いてください!」

 吾輩の行く手をラギが遮る。

「離すのである!」

「である!?」

「だいたい、光魔法に攻撃魔法はないではないか! 無理である! 吾輩の努力は無駄だったのだ! そもそも魔法なんて使えなくても、魔人転換で仲間を増やせばいいのである! 悲しくなんて、ないのであるから!」

「いじけた!? 兄さん、しっかりして下さい! 喋り方もおかしいし! ほら、もう一度闇魔法を試しましょう? あれが一番可能性がありました! ね? あの岩を丸ごと闇で包んで、腐食させましょう?」

「もういいのである! あんな……あんな岩……」

 ラギの指さす先には、ちょっとした城ほどの大きさがある、巨大な岩の柱がそびえ立っていた。

 ラギは何を考えているのだ。あんな大きな岩を包み込むだけの闇を、今の吾輩に生み出せる訳がない。

 クッキー何匹分だと思っておるのだ……!?


 吾輩の心に、ほんの少しだけ怒りの感情が芽生えた。


 修行なんて、やらなければよかった。

 こんな岩場なんて、見付けなければよかった。

 こんな嫌な思いをする場所なんて。


「消えてしまえばいい……!!」


 その刹那。

 ぞわり、と鳥肌が立つと同時に、魔力がごっそり無くなる感覚に襲われた。


「兄さん!」

『ウォレス様!』


 悲鳴を上げるラギとコロの声を、どこか遠くに感じながら、吾輩は意識を失った。


 ーーー人生で2度目の魔力切れである。

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