第7話 吾輩に弟ができたのである

村の西の端にある、古い枯れ井戸にやって来た。


 ……いるな。


 吾輩はコロと頷き合った。近くに来るほど、魔物の気配が濃くなった。怪我をしているのか、魔力に乱れがある。しかし、魔力全体の出力量は大きく、ランクを付けるとすればBランク程度の実力があるのではないだろうか。


 この世界には、人間にも、魔物にも実力を示す「ランク」というものがある。

 一番低いのがFランクで、魔法の使えない子供がそれにあたる。Eランクは、魔法も使えず、身体も鍛えていない者……要するに、普通の人、が該当する。人間の8割はFかEランクに分類されるだろう。その後は、魔力の強さや肉体的な強さによって、DからSSまでランク分けされる。一般的な冒険者はDからBランクである。Aランク以上となると、騎士団長や冒険者ギルドの長を任されるほどの猛者となり、ほんの一握りしか存在しない。


 吾輩は前世はSSランク、現在はEランク程度と自己分析しておる。弱い魔法は使えるが、何せ、3歳児だ。凡人の父上と戦っても簡単に負ける。

 余談だが、吾輩が魔法を使えるのは天使のミスではなく、単純に吾輩の努力の結晶である。だが、下手に使うとあの気のいい天使が怒られてしまうばかりか、最悪、この力を奪われる可能性がある。それだけは避けたい。静かな生活をおくるためには、ある程度の力は必要不可欠なのだ。10歳になるまでは極力魔法を使わず、か弱い子供で通し、それ以降はBランクを目指す予定だ。


 ちなみに、コロは魔物の状態であればSランク、今はCからBランク程度であろう。


 村人達は、この村に魔物が寄り付かなくなったのはコロのおかげだと思っているが、吾輩はそうではないと知っている。確かに、コロの気配を嫌ってCランク以下の弱い魔物が近づかないのは事実であるが、ある程度の実力のある魔物なら、たかが犬一匹を恐れることはない。


 魔物達が恐れているのは、吾輩が生まれてすぐにやってきた新しい領主である。


 ユージンという魔法使いのジジイで、吾輩の記憶によると……勇者のパーティに居た男だ。

 吾輩、ジジイの爆撃魔法で髪がクルクルになったからよく覚えておる。それに、その時の戦いで、コロの母親が勇者の手にかかって死んだのだ。

 殺るか、殺られるかの関係だった故、恨んではおらぬ。だが、あの後何日も食べ物を拒否し続けたコロの姿が、生まれ変わった今でも瞼に焼き付いて離れない。

 それ故、吾輩はあのジジイが苦手なのである。


 何故あのジジイがこの村の領主となったのかは知らぬが、正体がバレるのではないかと会うたびに胃が痛くなる。

 コロはジジイに対しては恨みはないらしく、『お勤め、ご苦労さんです』と、むしろ村を守る同志のように扱っているので心配はしていなが、正体がバレれば吾輩もコロも処刑されるだろう。おそらく、家族ごと。


『魔王様。何か考え事ですか?』


 むむむ。コロに睨まれた。

 魔物がいるのだ。集中しろということだろう。


 吾輩は井戸を覗き込んだ。

 井戸は8メートル程下に底があり、小さな横穴が開いている。

 魔物が潜んでいるのは、その奥であろう。


 さて、どうするか。 


 今の吾輩たちに、このレベルの魔物を倒すのは無理である。かといって、村の脅威になるものを放っておくわけにもいかない。


『どうなさいますか。魔王様』


 コロも迷っておるようだ。

 ところでコロ。他の魔物に魔王であったことは知られたくない。吾輩のことはウォレスと呼ぶように。


『承知しました。ウォレス様』


 とりあえず、どんな魔物か分からなければ対処のしようがない。会ってみよう。吾輩の知り合いかもしれんしな。

 危険はあるが、いざとなったらコロを魔人転換でフェンリルに戻すつもりだ。天使にはバレるだろうが、死ぬよりましであろう。


『分かりました。では、私から離れませんように』


 一度だけ目を閉じて顎を引き、礼をするような仕草をした後、コロは華麗に井戸の底へと飛び降りた。

 え? 飛び降りるの? 吾輩、普通の幼児なんだけど。


『大丈夫です。受け止めます』


 おおう。最近のコロは礼儀も覚えて、できる執事みたいでなんだかカッコいいのである。


 吾輩が覚悟を決めて飛び降りると、底に激突する直前で「ふわっ」と体が浮き上がった。コロが風魔法を使ったのだろう。

 優しい! 丁寧! ……吾輩、ちょっとキュンとなったぞ!


『います』


 確かに。

 浮かれている場合ではない。

 近付いてみると、はっきりと気配が分かる。どうやら、元配下ではなさそうである。おそらく、向こうもこちらの気配に気が付いているはずだ。


「ライト」


 吾輩は、足のつま先に小さく揺れる程度の光を灯した。このくらいの魔法は大目にみてほしい。


 コロを先頭に、吾輩がギリギリ立って通れるほどの小さな洞窟を進むと、道が二手に分かれていた。その右手から、例の気配がする。


 ごくり、と唾を呑み込む。


 よく考えなくても、危険な状況だと分かる。正義感と興味本位で来てみたが、吾輩、何気にピンチである。


「誰だ」

「「!?」」


 意外に幼く、可愛らしい声が洞窟に響いた。

 念話ではなく、直接発声できるとなると人型の魔物だろう。話が通じる相手であれば、説得してこの村から出て行ってもらうことができるかもしれない。少し、希望が見えた。


「僕、お話したい(吾輩、そなたと話がしたいのである)」

「近づくな」


 吾輩とコロが右の通路に足を踏み入れると、ゴウッ、と唸るような音と共に突風が吹き荒れた。


『ウォレス様!』


 とっさにコロが風魔法をぶつけ威力を相殺する。コロに感謝である。


「よしよし。大丈夫(まあ、落ち着け。吾輩らは敵ではないぞ?)」

「近づくなと言ったはず……っつ!」

「どうしたの!?」


 急に魔物が呻き声をあげたことに驚き、吾輩は魔物へと駆け寄った。魔物は体よりも大きな羽で全身を隠す様にしてうずくまっている。


「来るな!」


 バッ、と羽を広げ、魔物が立ち上がって臨戦態勢をとった。

 翼の生えた人型の上半身に、鳥の下半身を持つ魔物の姿が露わになる。吾輩と同じくらいの大きさだ。


「……ハーピー? 雄の……?」

「人間の……子供……と、犬?」


 吾輩と魔物は、お互いの姿を見て目を丸くした。

 こんなところに人間の子供と犬が来るとは思っていなかったのだろう。


 吾輩が驚いた理由は、相手が少年だったからだ。ハーピーという種族に男性型は滅多にいないのである。


 暗くてはっきりと見えないが、ハーピー少年は肩から胸にかけて大きな怪我を負っているようだ。もあっとした血の匂いが、辺りに立ち込める。


「う……」

 どさ、とハーピー少年が倒れた。吾輩が子供だったことで緊張の糸が切れたのだろう。

「ねえ! しっかりして!」

「触るな……人間……ううっ」

「ひどい怪我……!」

 ハーピーの羽に触れた吾輩の手に、ぬるっ、と嫌な感触があった。かなりの出血だ。


『ウォレス様。これは、助かりません』


 コロに言われるまでもなく、ハーピーの命が尽きかけていることは一目瞭然だった。

 吾輩は上着を脱ぐと、ハーピーの傷口を押さえた。

「ヒール!」

 吾輩は迷わず治癒魔法を唱える。

 駄目だとは思っている。だが、元魔王として、傷付いた魔物を見捨てることなど、吾輩には出来ないのだ……!


「や……やめろ、人間……!」

「離れろ! ウォレス!」


 突然、身体が強引に宙に浮いた。

「はなして!」

 吾輩は、ゴツゴツしたジジイの腕の中に捕らわれていた。


「馬鹿者! 手負いの魔物に近付くなど、自殺行為だぞ!?」

 吾輩を片腕に抱え直しながら、ジジイ……魔法使いユージンはもう片方の腕を伸ばし、ハーピーにとどめを刺そうと魔力を放った。


「はなして……じぃじ!」

「がうっ!」

「!?」


 コロがジジイに飛び掛かったことで、魔力はハーピーを逸れた。ジジイの腕から零れ落ちた吾輩は、無我夢中でハーピーに覆いかぶさる。ハーピーは命を諦めたのか、ピクリとも抵抗しない。

 吾輩とて、この者を苦しめたくはない。ジジイの魔法で一瞬で死なせるのも慈悲であろう。だが、名前も、傷付いた理由も知らないまま、こんな枯れ井戸の中で死なせるのは、酷く哀しいことに思えた。


「お名前は?」

「…………」

「ウォレス! 魔物に情けをかけてはいかん!」


 コロに服を引っ張られ、ジジイは思う様に攻撃が出来ない様子である。

 その隙に、吾輩は治癒魔法を唱える。せめて、名を聞いて弔ってやりたかった。


「ヒール!」

「無駄じゃ、ウォレス! 人間の治癒魔法は人間にしか効かぬ!」

「じぃじ、うるさい!」


 思わず、ポロリと涙が零れた。

 自分でも、何故これほどムキになっておるのか分からない。

 だが、この身体に生まれ変わってコロ以外で初めて出会った魔物を見て、魔王であった時の想いが蘇ったことは確かだ。

 かつての吾輩にとって、全ての魔物は護るべき対象だった。


 こんな風に、惨めに死なせたくはない。


 この程度の怪我、かつての吾輩であれば一瞬で治せたはずだ。

 吾輩は初めて、人間である我が身を恨めしく思った。


 ……ん? 人間の治癒魔法では人間しか治せない……だと? ならば……!!


『魔人転換』


 吾輩はハーピーを抱きしめながら、心の中で術を唱えた。


 10歳までは使わないと約束した術だが、今使わずして、いつ使えというのだ。

 例え、全ての魔力を奪われることになったとしても、吾輩は目の前の命を諦めたくはない。


 吾輩は静かに暮らしたい。

 だが、その平穏は、他の命の上に成り立つものであってはならない。

 吾輩の静かな暮らしは、吾輩が護りたいものの安寧な生活があってこそ、訪れるのだから。


「…………ぅ……うわあああああああ!」

「しっかりして!」


 体の急激な変化にハーピーだった少年が悲鳴を上げる。魔物の体以上に、人間の体には致命傷なのだろう。


「ヒール!!」


 頑張れ、頑張るのだ! 

 吾輩は想いの丈を込めて、魔力を放った。今の吾輩の魔力では気休めにしかならないかもしれん。だが、吾輩は全力を尽くしたい……!


「エクストラ・ヒール」

「!?」


 急に、ふわっと温かい魔力で包まれた。見上げると、ジジイの顔が間近にあった。ジジイは吾輩を包み込む様に後ろから両腕を伸ばし、少年の体に触れている。

 少年の体が淡い光に包まれ、見る見る傷口が塞がっていく。しばらくすると、少年から穏やかな寝息が聞こえ始め、光は消えた。


「じぃじ……どうして?」

 吾輩はジジイに尋ねた。勇者の右腕とも呼ぶべき男がハーピーを助けたことに、驚きを隠せなかった。

「どうしてじゃと? ワシが訊きたいわ」

 ジジイは苦笑しながら、ぐしゃっと吾輩の頭を撫でた。

「魔物の気配が急に人間に変わったんじゃ。人間なら……助けん訳にはいかんじゃろ」

「じぃじ……」

 自分でも理由は分からぬが、思わず吾輩はジジイの首に抱き着いていた。ゴツゴツした温かい大きな手が、吾輩の背を撫でる。またも、ポロリ、と涙が零れた。

「全く、無茶をしおって。いつの間に魔法が使えるようになったんじゃ? ……まあよい。疲れたじゃろ。ウォレス。お前は眠りなさい。この子供はワシが責任を持つ」

「殺さない?」

「殺さないよ」

「……うん……」

 ありがとう、と言いながら、吾輩の意識は急激に薄れた。幼子の体で魔力を駆使したせいだろう。生まれて初めての、魔力切れだった。


 ◇◇◇◇


「………レス。……ウォレス?」

 どれくらい眠っていたのだろうか。目を覚ますと、憔悴しきった両親に抱きしめられた。

「ウォレス!? エディ! ウォレスが目を覚ましたわ!」

「ウォレス! この野郎、心配したんだぞ!? 父ちゃん、禿げたからな!?」

「……ごめんなさい……」

「「ウォレスゥゥゥゥ!!」」


 状況を把握するのに手間取ったが、両親の話やコロからの情報によると、あれから3日間眠り続けていたらしい。

 あの日、突然、死にかけの少年と、ぐったりしたウォレスをジジイが連れ帰ったことで、村が騒然となったそうだ。

 そして、たった3日で父上に1コイン禿げができたことを知った。


 それはさておき……


「母上……この子は、誰ですか?」


 吾輩は、横で眠り続ける吾輩よりも小さな少年に目を向けた。目が覚めた時から気になっていたのだが、両親の抱きしめ攻撃のせいで聞くに聞けなかったのだ。……まあ、予想は付くのだが。


「ウォレスのお友達じゃないの!?」

「うん」

「「ええええ!?」」


 母上の話によると、血まみれで裸の状態で運ばれてきたこの少年は、目を覚ました後も一言も話さず、ずっと吾輩のそばから離れなかったのだという。

 吾輩、どうやら懐かれてしまったようだ。


 その後、吾輩が目を覚ましたことを知ったジジイの計らいで、人間になったハーピーの少年は我が家で育てることになった。


「お名前は?」

 吾輩は、改めて名を問うた。

 ハーピーだった少年は少し気恥ずかしそうに顔を赤らめた後、

「ラギ」

 と小さく呟いた。


 こうして、吾輩に弟ができたのである。

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