第4話

▼亀戸天神鳥居 門前町の路傍


【屋敷を飛び出した八五郎は、来た道を薬屋まで取って返してゆきます。その途上、くだんの亀戸天神鳥居前をまた通りかかります。そこで話の初っ端で出くわした骨董商につかまります。いや、そこはお蓮の身を案じて急ぐ八五郎、つかまったわけではなく、正確に申し上げれば急ぐ八五郎に追いすがる骨董商といった構図でございます。晩春の土煙のなか、骨董商が広げた筵の上に並ぶ古さびた品々。さて、どうなることやら】


骨董商 <お、これはこれは、先だってのお方。戻ってきて頂けましたか?>

八五郎 <ええい、邪魔だ。さっきよりも急いでるんだ。どけやい>

骨董商 <あら、いたた。ちょっとお待ちを。お話だけでも、どうか>

与太郎 <あ~、八っつあん。また見つけた~>

八五郎 <痛っ、与太の馬鹿野郎。痛えじゃねえか。急に飛び出すない>

与太郎 <あ~、ごめんよ。でね、さっきの薬のことなんだけどね。なんで薬屋のおやじは薬師如来様にちゃんと薬のこしらえ方を聞かなかったんだろう?>

八五郎 <悪いな。今は本当にそれどこじゃあねえ。お蓮の体に関わるんだ>

与太郎 <えっ、お蓮ちゃんの?>

八五郎 <おう、見ろ、この「白象散」を。せっかく買ったこれの飲み方が、わからねえんだ>

与太郎 <そのままじゃないの~?ま、おいらが分かるわけないや~>

八五郎 <だろ?だから薬屋のおやじに直接聞いてくるんだ。張り倒してでもな>

与太郎 <そりゃいいや~。おいらも行く~>

八五郎 <足手まといだ。馬鹿野郎>

骨董商 <ちょいと、ちょいと。乗り方と申しましたな?知ってる、知っておりますぞ>

与太郎 <お、おお、八っつあん、走りだすのはまだ早いよ。このおじさんが、飲み方を知っているってさ>

八五郎 <なに?お前さん、ご存知かい?>

骨董商 <白象でしょう?白象とは、白き象と書いて、白象。あの帝釈天と普賢菩薩の?>

八五郎 <そう、そう、そう。その白象だ。なんでえ、それなら話が早えや。薬屋まで行かなくても済むぜ。ありがてえ>

骨董商 <ほんのちとお待ちを>


【そういうと骨董商、路傍に置いていた粗末な座布団のわきから大きな風呂敷袋を取り出しまして。そのなかから、ひときわ大事そうに二つの木像を披露いたします】


骨董商 <お待たせしました。ご覧ください、この精巧な帝釈天と普賢菩薩の像を。騎乗する白象ふくめ、一木一刀のもとの名品でございます>

八五郎 <おうよ。その白象だ>

骨董商 <そうでありましょう。この名品、もとは南都の大寺からの請負で、鎌倉武者の御世の頃の作。運慶の玄孫弟子、珍慶の制作であることが由緒書きにも確かにございます>

八五郎 <ゴタクはいらねえ。で、方法は?>

骨董商 <まさに、天下の傑作にゴタクは不要。お求めの方法でございますかな?それなら取っ払いでも、つけでもご自在なのがわたくしの店の売り>

八五郎 <わけのわからねえこと言ってんな。時間がねえ、いいから、俺と一緒に来い>

骨董商 <えっ?ちょっと、ちょっと>


【急ぐ八五郎は、骨董商の首根っこをグイとつかむとそのまま呉服屋「坂本屋」のお蓮のもとまで一目散。骨董商はと言うと、抗いながらもなすすべなく、八五郎に引きずられながら売り物の普賢菩薩像だけは放すまいと抱えたまま。そうこうして八五郎はお蓮の病床へと、骨董商を引きずって転がり込みます。その頃にはお蓮の様子も小康を得たものと見え、これなら薬の服用も難なくできそうであります】


八五郎 <お蓮、待たせたな。薬屋のおやじとはいかなかったが、「白象散」の飲み方を知ってる別のおやじだ>

お蓮  <もう大丈夫。わたし一人で飲めるよ。八さんが「白象散」ごと持ってっちまったもんだから、待ってたんだ>

八五郎 <そうか、悪かった、気が動転してたぜ。ほら、これに>

お蓮  <ありがとう>

八五郎 <よかった、よかった。なんでえ、心配させやがって。ん?骨董屋も悪かったな。きちんと説明もせず連れ回しちまって>

骨董商 <なにがなんだか、わけもわかりゃあしませんよ。白象、白象と言うから、ほら、見てくださいよ、立派な騎象の普賢菩薩像を持ったままだ>

八五郎 <薬の「白象散」に仏像なんざ、関係あるめえ>

お蓮  <ふう、飲めたよ。八さん、ありがとうねえ>

骨董商 <なんだか知らないけれど、まったく関係ないこともないでしょうよ>

八五郎 <なんだい、そりゃ?>

骨董商 <ご婦人が快方に向かってるんだ。きっと、この像の女人延命の功徳でしょう>


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【落語台本】普賢菩薩(ふげんぼさつ) 紀瀬川 沙 @Kisegawa

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