第3話

▼柴又 呉服屋「坂本屋」


【ここは、調子のすぐれないというお蓮が寝込むお屋敷であります。春の終わり、夏の初めの颯爽とした外の気候とは違い、お屋敷中がなんとも辛気な雰囲気に覆われております。その陰気はお屋敷から、さらに呉服屋の店先にまでにじみ出ているようで、商売の様子も繁盛とはほど遠いありさま。そこへ八五郎がまたもや飛び込んで参ります】


八五郎 <「白象散」を買ってきたぞー。どけどけどけ、「白象散」のお通りでえ>

医者  <こら、お静かに。うるさいと、とれる脈もとれなくなってしまいます。肺腑の音も聞こえない>

八五郎 <どけ、やぶ医者。これがありゃあ、お前なんざいらねえ>

医者  <ちょっと、あれ、あれー>

女中  <八っつぁん、おやめになってくださいな。お蓮さんの胸のつかえに差し障りがあったらどうするのですか?>

八五郎 <そ、そうか。悪かったな、やぶ医者。でもな、この「白象散」が来たからには大丈夫だ。待ってろ、いま、いますぐにやるからな>

医者  <・・・>

女中  <・・・どうなさいました?>

八五郎 <・・・え、と、まあ、これ、どうやって摂るんだっけか?>

女中  <えっ、薬屋さんは何と言っておいでです?>

八五郎 <それが、お蓮が知ってると思って聞いてこなかったよ>

女中  <馬鹿だね、患者自身がなかなかしゃべれない身空だったら、意味ないじゃないか>

医者  <わたしもこの薬種については、ちと・・・>

八五郎 <まずいな。待ってろ、もう一回戻っておやじに聞いてくる>

女中  <馬鹿だね。急いで行ってきな>

お蓮  <待ってちょうだい>

女中  <ああ、お蓮さん、大丈夫ですか?無理せず>

八五郎 <本当に、無理すんな>

お蓮  <大丈夫。少しおさまったの。八さん、ありがとうねえ>

医者  <あまりしゃべらず>

お蓮  <お医者様。大丈夫です>

八五郎 <薬のおつかいなんざ、大したこたねえや。ただ、薬の飲み方がわからねえ次第で、めんぼくねえ。今すぐ行ってきてやるからな>

お蓮  <大丈夫。それなら、わたしが分かるから>

八五郎 <でも、患いでしゃべれないんだろ>

お蓮  <馬鹿だね。今もこうしてしゃべってるじゃないか>

女中  <はは。あら、やだ、すみません>

八五郎 <女中は黙ってろ>

女中  <ふん>

お蓮  <とにかく、その「白象散」をこちらへ>

医者  <ささ、早く>

八五郎 <お、おう。ほら。医者、わかってるのか?>

医者  <・・・>

お蓮  <それと、こないだ帝釈天様へ詣でた時に買った、くず餅と黒蜜を持ってきておくれ>

女中  <はい、え、くず餅ですか?>

お蓮  <そうだよ、苦しくなってきた、早く>

八五郎 <急げ>

女中  <は、はい、ただいま>


【薬種にくず餅・黒蜜とはよくわからないまま、女中は屋敷の奥へひた走ってゆきます。八五郎にも真意はよくわからない様子。その時、徐々に苦しみ始めていたお蓮のつかえがまたぶり返したと見え、たちまち苦悶の表情に息も絶え絶えになります。とうてい、しゃべることもできず、肝心の薬も服用できるような状態ではなくなります】


お蓮  <ああ、苦し、ああ・・・>

八五郎 <おうおうおう、しっかりしろ。大丈夫か?>

お蓮  <ううう>

八五郎 <女中ー、まだか?おい、やぶ医者、どうなってる?>

医者  <うむむ、脈をとりまする>

八五郎 <なんだ、そりゃ>

医者  <お静かに。とれる脈もとれなく>

八五郎 <んなもん、かまってられるか>

女中  <くず餅と黒蜜を持って参りました。あら、お蓮さん、大丈夫ですか?>

八五郎 <だめだ、だめだ。こうなりゃ、さっき言ったように、もう一度薬屋のおやじに聞いてくる。らちがあかなきゃ張り倒して連れてくらあ>

女中  <もうそうするしかないね、八っつぁん、行ってきて>

八五郎 <合点>


【こう言うが早いか、八五郎ははやてのように飛び出してゆきます。残った女中と医者は、身悶えするお蓮をそろって介抱いたします】


医者  <それにしても、さっきのお人、何を聞いてくるかは大丈夫ですかな?>

女中  <え?まさか、大丈夫でしょう。最後は薬屋さんごと連れてきますよ>

医者  <ならいいですが。さ、お蓮さん、脈をとらせてくださいな>

女中  <それにしても、この手元のくず餅と黒蜜はいったいどうしましょう?さっきから何か足りないと思っていたら、そう、きな粉はいいのかしら>

医者  <お静かに。とれる脈もとれなくなってしまいます>

女中  <・・・>


【お蓮の患いも心配ですが、取って返した八五郎の足取りもたいそう心配。二人は果たして事なきを得るのか、続きは次回のお話にて】

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る