第2話

▼亀戸清水町、薬種問屋「駿河屋」


【亀戸天神の市から走ってきた八五郎が駆け込んだのは薬種問屋であります。店の中では、幾人かのお客を相手におやじが商売をしているよう。八五郎、着くやいなや引き戸を力いっぱい開け放ちまして】


八五郎    <おーい、いるかー?薬屋ー>

薬屋の客   <うわっ>

薬屋のおやじ <へいへい、おりますよ。いらっしゃいませ>

薬屋の客   <なんだい、急に。さわがしい人だね>

八五郎    <お、いたいた。いやね、今日は他でもねえ、薬を売ってほしいんだ>

薬屋のおやじ <うちに来たということは、そうなんでしょうな>

薬屋の客   <薬屋に来て魚がほしい奴もいやしないだろ>

八五郎    <うるせいやい。畜生め。細けえところはこれから言おうと思ってたんだ>

薬屋の客   <畜生ならももんじやにでも行ったらいい>

八五郎    <うるせえ。ししの肉なんざ入り用じゃあねえ>

薬屋のおやじ <ご用を承りますよ>

八五郎    <おやじ、その薬っつうのがな、ほら店先の立て看板にも書いてある「白象散」。あれだ、あれ>

薬屋のおやじ <かしこまりました。どれくらい、ご所望ですかな?>

八五郎    <おう、この小袋いっぱいにくれ>

薬屋のおやじ <へい、かしこまりました。お代はここに>

八五郎    <あいよ>

薬屋のおやじ <お客さん、「白象散」の効果効用、用いかたは大丈夫ですかな?>

八五郎    <大丈夫だ、わかってら。お蓮が>

薬屋のおやじ <それなら。この「白象散」、遠く震旦の国でかの帝釈天・普賢菩薩もその背中に乗ったことがあるという白い象が>

薬屋の客   <始まった、始まった。いつもの口上だよ。誰も頼んじゃいないのに>

薬屋のおやじ <尊きお方を乗せること五劫もの長きあいだ>

八五郎    <ある日ぽっくりくたばって>

薬屋のおやじ <お釈迦様の功徳はあまねきかな、白き象の肝までも宿る神通力>

八五郎    <それを薬師如来が>

薬屋のおやじ <衆生を救うため、煎じて煮詰めて幾星霜>

薬屋の客   <なんだ、なんだ。でたらめな説話でもこうはなりゃしない>

薬屋のおやじ <胃臓、肺臓、心の臓、気つけ、つかえ、万病に効く薬種のできあがり。それを名づけて白き象の万病を退散せしむ「白象散」と言う>

八五郎    <いよっ、駿河屋>

薬屋のおやじ <この「白象散」、いできはじめの震旦でも貴重な妙薬、時をくだってモロコシの玄宗皇帝・楊貴妃も求めたと史書にあり。我が朝には聖徳太子の御世、百済の王より献上され至ったという>

八五郎    <待ってました>

薬屋の客   <まったく馬鹿らしい。おやじもおやじだ。外郎売にでも感化されたのかね。にしても、さっき、お前さん、お蓮とか言ったかね?>

八五郎    <おう>

薬屋の客   <お蓮ちゃんたぁ、あの柴又の呉服屋「坂本屋」の娘さんかい?>

八五郎    <そうだよ。知ってるのかい?>

薬屋の客   <いや、あそこのおやじさんには昔世話になってね。その時はまだ小さい娘さんだったが。そうか、もう年月も経つ。さぞや器量よしになっているだろうね>

八五郎    <なんでえ、気色の悪い>

薬屋の客   <お前さんとの仲は野暮だ、聞くまい。そのお蓮ちゃんが、どこか悪いのかい?>

八五郎    <ん?ああ、このところどうも胸のつかえが取れないっつうんだ>

薬屋の客   <そうかい、お大事にしてほしいね。お前さんも、気をつかいよ>

八五郎    <おうよ。今日もこうして薬を届けようってんだ。おい、おやじ、お代は置いたぞ。ありがとよ。用は済んだ。こうしちゃいられねえ。じゃあな>


【でたらめなドタバタがありましたものの、八五郎はお目当ての薬を買うことができました。またまた急いでどこかへ向かいます。まったくせわしないこの男、いったいどこへ向かうのやら。次回のお話にて。ちなみに、残された薬屋のおやじは】


薬屋のおやじ <はい、ありがとうございました。あれ、あ、おーい、お客さーん、お代が足りませんよー>

薬屋の客   <もう行っちまったよ。騒々しい>

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