5-8:繋がる裏と弾ける表
ふ、と、目を開けた。
ぼんやりと、ソラは辺りを見渡す。はて、自分は今何をしていたのだったか。
だが、そこからの記憶が曖昧だ。周りはどうやら、無機質な土づくりの壁である。どこかの建物の中にいるらしい。熱く、乾燥した空気がソラの頬を撫ぜた。
「
返事はない。だが、ソラの意識が前に向いたとき、まるで世界が広がるかのように、先の光景が今この瞬間に開かれたかのように、ひとつの景色が目に映った。
薄暗い部屋。蝋燭の明かりだけが照らしていて、それも酷く覚束ない。空気はじっとりと重く――否、そう感じるのはこの記憶の持ち主だったのかもしれなかった。
「素晴らしい」
「成功だ!」
部屋の隅に集っていた年寄り達が、しゃがれた声で歓喜している。部屋の中央に座り込む、襤褸切れを纏う一人の青年を置き去りにして。青年が握っていた双剣はやがて黒い光となって霧散して、青年の胸部へと吸い込まれていく。青年の前にはまだ新しい血だまりが広がっていた。
青年の首輪に繋がる鎖を、年寄りの一人が引っ張って、青年はそのまま地面に引き倒される。
「喜びなさい、
そう笑う年寄りの手には、未だ硝煙の臭いが残る銃が握られていた。青年――宵は、ぼんやりとそれを見上げる。青灰色の瞳は、それでも美しく、その薄暗い部屋でほのかな灯を反射していた。
視界にノイズが走る。
轟音が走る。
次に目を開いた時、見えたのは皮肉な程に青い空だった。
その場所で、宵は目を見開いて立ち尽くしている。そこは石造りの牢のような部屋だった。だが、天井と壁に大きく穴が空いて、青空まで吹き抜けているのだ。
宵の前に誰かが立っている。
その顔は分からない。暗い部屋に突如差し込んだ光が眩しくて、逆光に立つ人間の姿は、この記憶の持ち主――宵には判別がつかなかったのだろう。
その誰かが、笑う。
「御覧」
声質も、酷く曖昧に聞こえて印象に残らない。ただ、男の声だ、とは、この記憶も認識していた。その男が壁に空いた大穴を手で示す。そこから見える青空に、黒い煙が立っていた。有機化合物が不完全燃焼して発生するそれが、随分と濃厚に。
悲鳴が響いている。咆哮が鳴り響く。その咆哮が何たるか、それは宵にも理解出来たらしい。だから、どうしてだか彼の記憶を掠め見ているだけのソラにも、その正体が伝わった。
それは、災骸の咆哮だ。一つや二つではない。大量の、声。
男が笑う。
「いつか、この光景がマキネス全てに広がるだろう」
楽しみにしておいで、と。
男は、宵を通した誰かに笑いかけている。そんな気がした。
――宵が、ふらりと立ち上がる。大穴に歩み寄る。男を視界に入れないまま、男の隣を通り過ぎて、眼下の景色を見下ろした。
ラヴィニア砂王国の、城下なのだろう。だった、のだろうそこは、地獄と化していた。
一瞬、大地が全て黒くなったのだと見紛うた。
すぐに、その黒の全てが災骸なのだと気が付いた。ぞわりと、ソラの背筋に悪寒が走る。一体どれほどの生命体が災骸化すればあの量になるというのだろうか。
宵の体が傾いた。彼の心臓から黒い狼が飛び出て、それは一対の双剣となって彼の両手に握られた。
宵はそのまま、黒が蠢く壊れた街に飛び降りた。
――視界にノイズが走る。景色が掻き消える。掻き消えて、宵とソラだけがその空間に残る。宵は、首輪と襤褸切れを身にまとった――恐らく、
そこで、ソラは、自身が八歳の頃の姿をしていることに気がついた。理解する。その姿は、父の死体を喰らったあの夜の姿だと。理解する。自分が宵の記憶を見たように、宵は自分の記憶を見たのだと。
「――
思わず、そう問いかけていた。
月蝕事件、他国の軍がラヴィニア砂王国に到着した時、既に国民も災骸も誰一人残っていなかったと聞いている。記憶の中で、最後、宵は災骸の中に飛び込んでいた。月の機械精霊の精霊器を携えて。
砂王国の生き残りの老婆が語ったことには、突如国民の一部が災骸化したという。
変性したばかりの災骸はまだ脆く――と言っても通常の武器では歯が立たないが――動きも鈍い。皇都帰還前夜、レスティアの飛行艇にいた災骸もまた、数人もの人間を喰らっていたと言えど変性したばかりで成長しきるどころか弱体状態であったからこそソラ一人で二体を相手取ることが出来た。
そうとはいっても、城下を黒く染めるほどのあの量を相手取るには生半可な実力と覚悟では叶わない。しかも、単独でとあれば、その戦いの苛烈さは想像を絶する。
宵が首を傾げる。
「よく覚えていない。無我夢中だった。気付けば静かになった地面に転がっていて、三人の手当てを受けていた」
「三人?」
「紅花、垓、ラムラス。最初の俺の家族。今はカリムとラルスも増えた。嬉しいことだ、一人は寂しい」
淡々と語る彼は、ソラには無邪気な子供のように映った。あの月夜のダンスホールの時と、変わらぬ印象だった。
「……何故、戦おうと思った。貴方には砂王国のために戦う理由などなかった」
だからこそ、疑問に思った。記憶で見た、あのような扱いを受けてなお、どうして、と。
宵がソラを見返した。
「それは、ソラリス、君も」
「私?」
「俺も、君の記憶を見た。君が望んだ力ではないだろう。どうしてその旗を背負う?」
真っ直ぐな青灰色の瞳が、赤を見る。
「――私は」
ソラの唇が、少し震えた。
「兄さん!」
馬の蹄が氷を割って、その音と声に、森の中の高台に待機していたラインバッハが振り向いた。
「ルイーゼ、アグリ! 来たか」
「兄さん、状況は?」
彼の近くまで駆け寄って、手綱は握ったまま馬からルイーゼが飛び降りる。次いで、未だ背中にへばり付いたままだったアグリに手を貸して降ろした。そうして向き直った妹に、ラインバッハは顔を顰めて返した。
「進展なし、悪化してんのかどうかも分かんねぇな。ソラ様も
ルイーゼとアグリが、ラインバッハに倣って高台から臨む森林地帯上空へと目を向ける。
――そこでは、未だ、黒と白の光柱が二つ、幾度もぶつかり合っていた。
「森林地帯一帯には作戦の最初から霊技器で、視界を遮る結界式の障壁を張ってる。村の方には見えねえだろう。正解だったな、こんなもん何も知らねぇ村人に見せられねぇよ」
ラインバッハがぐっと顔を顰めてその戦いを見据える。
光に包まれて剣と剣を噛み合わせる二人の表情は、逆光になってよく見えない。赤と青灰色の瞳だけが爛々と、光の中でなお目立っていた。そして、その二人の周囲を飛び回る影がいる。
白い龍と黒い狼。太陽と月の機械精霊が、再会を喜ぶように、契約者達の戦いを囃し立てるように、無邪気に、無垢に、ころころと鳴きながら空中で戯れあっている。狼が空を蹴って跳ね回り、その周囲を龍はくるくると取り囲むように踊り回る。その戯れの真下で契約者達は、ソラの肩当てが飛び、青灰の瞳の男の靴が弾け、ソラの腿から血が噴き出して、男の脇腹が抉れても、その動きを鈍らせることなくぶつかり続けている。
「……俺ァよ、
ラインバッハが呟いた。その声に振り向いて顔を見上げれば、顰めた眉間に汗が伝うのが見える。森林地帯の気温は零度を下回っていた。
「けど、違うんだ。これを見てようやくわかった、機械精霊様は、人間の道理なんかで動いてる訳じゃない、俺達と次元の違う存在なんだって――、俺は」
ラインバッハが吐いた息が、寒さに凍って白く濁る。
「俺は初めて、機械精霊様を畏ろしいと思ったよ」
グラジオラスは終焉に咲く ミカヅキ @mikadukicomic
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