5-7:深淵を覗く者

 森林の中に穿たれ、ぶつかり合う白と黒の光の柱を見たのは戦闘班だけではなかった。

「ソラ様……!」

 森の中を、ウェリアス村の弔花支部から借りた馬に跨って駆ける二つの影。一頭の馬に並ぶ影のうちの一つ、アグリは刮目してそのさまを見上げ、思わずといったように叫んだ。アグリの後ろに跨り手綱を繰るルイーゼもまた、顔を顰め見上げる。こちらに一瞥すら向けないソラと――対峙する、青灰色の瞳の男を。

「青灰色の瞳の、……月の機械精霊の契約者……? まさか、あれが、本当だったというの……?」

「ルイーゼさん?」

 信じられない、とでも言うように零したルイーゼにアグリが振り向く。対してルイーゼは自身を落ち着かせるように息を吐いて、「私も聖技祭先生から聞いた程度です」と前置いた。

「五十年前、ラヴィニア砂王国の侵略によって刻国クゥーグゥオは支配され、王族は皆殺しにされました。おそらくは月の機械精霊の契約者を砂王国の民の中に得るために……結果は五十年の間、月の機械精霊の契約者の名が更新されなかった、事実の通りですが」

 刻国の王族を砂王国の王族と婚姻させるという手段を取らなかったのは、砂王国の慢心であり、失態だったのだろう。そこで一度ルイーゼは言葉を区切り、息を吐いた。

「そこまでは歴史の事実……ですが、王族の虐殺、生まれない契約者……民はセンシティブな話題を好むもの。四十年ほど前には、悪趣味な噂がマキネス中でこっそりと流れたそうです。根も葉もない、非現実的な噂でしたから、すぐに下火になったそうですけど。

――月の機械精霊の契約者は、刻国の王族が絶えても砂王国には生まれなかった。だから、砂王国は、、という噂です」


 かつて存在していたその噂の話を聞いた時、ルイーゼがまず思ったことは、「馬鹿馬鹿しい」だった。

 ――次いで、「悪趣味だ」と思った。最後に、「ただの噂であってほしい」と思った。

 そう思わせたのは、ルイーゼにその話を教えたユーフェンその人だった。



「その方法っていうのがね、何でも、刻国の血を引く奴隷達の中から、王族が持つ青灰色の瞳に近い色を持つ人間を集めてを繰り返す、ってものらしいんだ。実際皇国だって高貴な血が民の中に混ざることはあるだろう? まあだから、手法として考えつかないわけではないよね。王族の血の何が機械精霊に選ばれるのかはわからないけど、血筋にその要素があるのなら、どうにかその要素を集めて濃くして閾値を超えよう、というわけ」

 聖技官としての指導、その休憩に選ぶ話題にしては悪趣味ではないかと、当時十八歳だったルイーゼは隠すことなく顔を顰めた。

 そんな彼女に気にした様子もなく、師、ユーフェンは朗らかに笑って彼女に湯気の立つミルクティーを差し出す。受け取って一口啜れば、飲みやすい、優しい温度と柔らかな甘みがルイーゼの強張った心身を解してくれて――それを淹れた当人であるユーフェンはといえば、このミルクティーのような優しい声と表情で、時折こんな話題を投げかけてくるのだから、腕は確かなのだろうが何を考えているのかよくわからない。というのが当時のルイーゼの本音であった。

 当時すでにまことしやかに流れていた、聖技祭ユーフェン・セルスタールは誘われれば誰とでも寝る色情魔だという噂も、ルイーゼが師を掴み切れない要因の一つだ。実際に、夜どこぞの貴族に声をかけられて出ていく姿も見かけたことがある。兄・ラインバッハの役に立つためなら色情魔だとしても食らいついて技術を盗んでやろう、師弟関係に付け込んで何か邪なことをされるのならばはたき倒す――そんな覚悟でユーフェンの直接指導を勝ち取ったものの、彼の指導は至って真面目で穏やか、かつ的確で、邪な気配の一点も感じたことはない。噂と、見かける姿と、対峙する様子。どれが本当なのか、当時のルイーゼには――そして今も――確信をもって理解することは出来なかった。

「この噂、可能だと思う?」

 自身の分のミルクティーを一口飲んで、ユーフェンは穏やかに問いかけた。カップから口を話して、ルイーゼははぁと息を吐く。

「馬鹿馬鹿しい、と思います。人間ですよ、そんな、鼠のように……。倫理観を置いたとしても、人の妊娠期間は280日以上。子を残せる体になるのにも十数年かかります。その上で、民の中に紛れるほど薄まった王族の血を濃くするのに何世代かかるか」

 そう語るルイーゼを、ユーフェンはにこにこと見ていた。なんとなく居心地が悪くなって、ルイーゼは眉を寄せて師を見返す。

「先生はどう思われるんですか」

「僕? 僕は、馬鹿馬鹿しい噂、と思っているよ」

 微笑んで、ユーフェンは一口、ミルクティーを傾ける。その返答に、ルイーゼは僅かに刮目した。

「……それでは、まるで、可能であるかのようです」

「そうだね。今のマキネスの技術でどうかは分からないけれど……そうだな、武畜を作り上げたかつての人々の技術だとかを使えばどうだろう?」

「武畜なんて、御伽噺ですよ」

「そうだね」

 ユーフェンは変わらず微笑んでいる。それが、何故だか少し恐ろしくなって、それでもルイーゼは目をそらしはしなかった。そうしてはいけないと、心のどこかで理解していた。

「ルイーゼ。僕達は聖技官だ。僕達は、医者であり、技師であり、科学者でもある。だから知っておいてほしい。僕達は、本当はあまりにも大きな力を抱えているんだということを。

僕達は時間をかけて、沢山の人数で試行錯誤を繰り返して、理解を重ねて、どこまでも、どこまでも知ることができる。御伽噺のようなものを作り上げることも、神の御業を解体し仕組みを理解することも――不可能は、やがて可能になる。それが科学だ」

 だから、と師は続けた。


「知っておいてくれ。力とは、放つ時ではなく抑えるときにこそ技量を必要とするんだよ。僕達の持つ力科学が、いかに恐ろしいものであるかを。君が馬鹿馬鹿しいと一蹴できるような、そんな恐ろしいことを、あるいは実現してしまえる――悍ましいものだということを。そして、それを望む人間だって居るかもしれないということを」



 ――忘れては、いけないよ、と。

 七年前の記憶を反復して、ルイーゼは今現在巻き起こる、白と黒の戦いを再度見上げた。

「……現実的に……いえ、考えるなら、刻国の王族はひっそりと生き延びていて、彼がそうであった、……」

 自分で呟いて、違うのだろう、と感じてしまった。そうであれば月の機械精霊の契約者の席は五十年も空かなかったはずだ。かと言って刻国の血を引く奴隷達の中から、王族が持つ青灰色の瞳に近い色を持つ人間を集めて交配を繰り返す――かつてのルイーゼが思ったように、そんな方法では普通にやれば五十年で月の機械精霊の契約者に選ばれる人間を生み出すなど間に合わない。

 

 ――五十年で、月の機械精霊の契約者刻国の王族の血を蘇らせる術を、ルイーゼは思い至ってしまった。皮肉にも、狼月ラァンュエに武畜の特徴を持つ少年・ラルスが居たが故にだ。

 千年前に、御伽噺のように語られる、武畜の。武畜とはそもそも神を引きずり下ろすために作られた種族だ。より強く、より賢く、より従順に。そのための品種改良を進めるにあたって、兄弟姉妹間で殺し合うように本能にプログラムされていただけではない。

 伝承に残る武畜の話を科学的に分析すれば、、と――あくまでも武畜が実在していたならばの妄想話として――聖技官を含む科学者の中では言われていた。

「(可能か、不可能か、有り得るか有り得ないか、ではない。現実に、青灰色の瞳の契約者が居る。ならば、逆算して考えなければならない。結果がここにあるのだから、それを為し得る手法を)」

 ――それがどんなに悍ましくても。ぐ、と、ルイーゼは唇を噛み締め、真っ直ぐに見据えた。

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