2 階段の家

 $0は、現実世界のことを知らない。

 ニュースやこれまでの訓練で断片的には知っているが、所詮は別世界のことで、ほとんどは想像で補っている。

 よって、新しいシミュレーションの舞台が、現実世界で実現できるのかどうかは、判断がつかなかった。

 天井に、さかさまの上り階段がぶらさがった世界。

 扉が下向き、横向きに浮いている世界。

 今回のフィールドに降り立った$0は、フィールド名を参照した。

 

 aliquid.

 

 $0は黒のワンピース姿でフィールドに降りた。動きにくいことこの上ないCGだが、こんな服装でも動けるようなフィールドにしたいのだろう。

 続いてタスクプランを一瞥して、ミラにメッセージを飛ばす。

〈これを済ませばいいんだな〉

 シミュレーションの始めは、研究者が付き添うときもあるし、クライアントが$0の動きを観測するときもある。

〈タスクはこなしてくれるのに越したことはないけど、あとは何をしてもいいの。休んでもいいし、そのスペースを楽しんで。ここは楽しむためのアトラクションなんだから〉

 じゃあね、とミラの気配が消える。どうやら気を使って、ひとりにしてくれるようだ。

 $0は辺りを見渡す。扉やテーブル、階段や手すりが、そこかしこに張り巡らされている。まるで家庭のリビングを、3つか4つ、縦横に無理やりくっつけたとでも言おうか。現実世界の人間からすれば、これは不思議な空間なのだろう。

 ただ、$0にとっては、別の興味が生まれている。あの画家が作った絵画は、二次元で見ると錯視として成功しているが、立体にすると破たんすることが多い。段差が異常に大きな階段ができたり、建物がハリボテになったりする。このテーマパークは、そのあたりをうまくケアしている。

 何かに似ている、と$0は思った。この無秩序な感覚は、自分たちの仮想空間と似ている。重力もなく、上や下の感覚もなく、中央、端の概念すらない自分たちの空間と。

 否、そもそも自分たちに、重力や階段など必要ないはずだ。この空間が異常、と思っているのは、今まで自分が現実世界の物理法則に従ったシミュレーションをしすぎたからだ。ミラのことを馬鹿にはできない。自分も十分すぎるほど、人間の常識、現実世界に染まってしまっている。

 $0は、空中に浮いた階段を通るルートを探査する。案の定、経路は途中で計測不能になる。このフィールドには重力が設定されているが、ユーザーの趣向によっては無重力も可能らしい。重力設定を解除すると、$0の体がふわりと浮き、さきほどまで天井だった箇所が、床になった。

 黒のワンピースの裾が揺れる。どれだけおかしな格好になっても、見る者はいない。

(……遊ぶことが仕事、か)

 重力パラメータを再設定し、$0は指を前に突き出した。

 指先から、黒々とした液体が染み出る。鋳型に金属の液体を流し込むように、それはひとつの形を成していく。指を対称に、$0と全く同じ姿のCGが現出する。

 手先から生み出された、黒のワンピース姿のCGは目をしばたかせ、$0をまじまじと見つめた。

 $0は指を離し、周りを見渡すよう手で促す。

「好きに遊んでこい、$1」

 $1と呼ばれたプログラム体は微笑んで、スキップをした。$0に手を振り、迷宮へと潜っていく。

 $0は階段に座り、扉を開けたり閉めたりする彼女の姿を見守った。$0のコピーと言えど、$1はまったく同一ではない。複雑な機構を複製すると、このフィールドには重すぎるし、今までの記憶をコピーしてもシミュレーションには使われない。今回のタスクは、厳密なフィードバックを求められていない。簡易体である$1でも十分だし、むしろ性格を変えた彼女のほうが合っているかもしれない。先刻のロボット兵器のシミュレーションは、$1には荷が重すぎただろう。

 おそらく$1は、いま$0が感じているような疲労を感じていない。

 $0は自分の額を手で押さえた。クロックが途切れがちになっている。少しの負荷でも意識が飛びそうになる。

 あのタスクの記憶を参照するたびに、頭に痛みが走る。$0は目を閉じた。



 少し、意識が飛んでいた。

 階段にもたれて膝を立てていた$0は、はっとして経過時間を確認する。タスクプランを見ると、ほとんどのタスクが完了している。

 隣で、自分そっくりの姿のプログラム体が寝そべっている。彼女はこちらに気がつくと、微笑んだ。

 $0は頭を振って意識を戻した。

「すまない」

 シミュレーション中にスリープモードに入るなど、信じられないことだった。クライアントに見られるかもしれないという危惧もあったが、何より恐怖が先に来ていた。

 $1が手の上にあごを乗せる。彼女はオリジナルよりも表情豊かだった。黒のワンピース姿の、ほぼ裸のプログラム体ふたりが、無秩序な世界の隅で話し合っている。このフィールドが一般ユーザーに公開されたとしても、こんな光景は見られないだろう。

〈初めて見た、眠るところ。ずいぶん疲れてるみたい〉

「ミラには黙っておいてくれ。もっとも、観測されているとしたら意味がないが」

〈どうしてミラに話さないの〉

 自分が死にそうだっていうこと。

 $0は応えるのにたっぷり20秒かかった。言語化するのに時間がかかる。

「シミュレーションAIが疲労しているなんて、言えばすぐにお払い箱だろう。$0には多くのリソースが割かれている。維持するだけでも金がかかる。役に立たないAIはすぐに稼働停止だ」

〈ミラはそんなことしない。休めばまた動けるかもしれない。生きたくはないの〉

「どうかな。動けないなら死んだほうがマシかもしれない」

 言ってみて、自分でもおかしな判断だと思った。タスクの遂行を最優先にするのは当然だが、それによって自分の調子を隠すのは許されることなのか。自分が再起不能になって、プロジェクトとしては頓挫しないのか。

〈死ぬのは怖くないの〉

「死ぬことに怖くなっていたら、シミュレーションなんてやっていられない。ここで実行されるのは、危険なタスクばかりだ。おまえだって散々やってきただろう」

 そう言いながら、$0は過去のタスクを参照する。参照しなければ、覚えていない。$0がタスクをこなしたことは「知っている」。ただ、覚えていない。大半の記憶が捨てられるからだ。

 だが、過去の履歴を見ても、普通のシミュレーションじゃないことはわかる。いわく、数万回の自動運転車の衝突実験や、火星での数万時間の耐久実験、どろどろに溶けた鉄を頭からかぶる実験もあったようだ。

 参照しながら、苦笑する。確かにこれなら、自分が死んでも文句は言えない。

〈そうじゃなくて、あなた自身が消えるってこと〉

 $0は逡巡した。自分が消えるということは、コピーの$1も消えるということなのだが、このもう一人の自分に尋ねても、答えは返ってきそうもなかった。

 仮想世界では、いくら自分たちの体がめちゃめちゃに壊れても、リセットし、再生できる。体がバラバラに散って破片となっても、次の瞬間には復元した笑顔の状態でスタートが切れる。

 自分が一度死ぬたびに、実験でのリスクは取り除かれ、現実世界の人間がひとり救える。自分が傷つけば傷つくほど、シミュレーション体としての価値は上がる。

 記憶をなくしても、このルールは忘れない。自分が$0であるということ。シミュレーションAIであること。仕事は必ずこなさなければいけないこと。 

〈聞いてみたら? あなたが呼び出すべきなのは、私じゃなくて、もうひとりいる〉

 $1は自分の顔を指さした。それだけで何が言いたいかはわかった気がした。

 $0が呼び出せるのは、$1ともうひとりいる。

 $1は$0の隣に腰かけ、内緒話をするようにささやいた。 

〈そうそう、私ね、さっき思ったんだけど〉

 $1の声が耳に響く。

〈ミラはね、あなたが死にそうだってこと、もう知ってるんじゃないかって〉

 $0は目を見開いた。完全に不意を突かれた。

「……嘘だ」

〈さっき、この空間を歩いてて感じたの。もう楽しくってしょうがなかった。これは私が楽しいんじゃなくて、あなたが楽しんでるだって思ったの。きっとこんなシミュレーション、今までなかったと思う。で、もしかしたらこれって、ミラたちからのご褒美なんじゃないかって〉

「だったらなぜミラはそれを言わない? こんな仕事をさせずに、$0を研究室に閉じ込めておけばいい」

〈休めって言ったら、あなたが余計に仕事をがんばるからじゃない? このシミュレーションがもしかして、『仕事じゃない』ってわかったら、あなたが嫌がるかもしれない。それに、製作者に気を使われてるなんてわかったら、あなた自身が自殺しそうだし。

 ミラは、あなたが助けを求めるのを待ってるんじゃないかな〉

 $0は両手で顔を覆った。自分のコピーである$1に言われるのも嫌だったが、現実空間の製作者に言われると、確かに素直に聞けたかどうかわからない。

〈私はあなたでしょ。私が楽しいってことは、あなたが楽しいってこと。こんな仕事、ずっと待ってたんじゃないかって〉

「嘘だ」

 唇をかむ。その言葉はむなしく空間に響いた。

 さすがに自分の言葉に説得力はない。

 たっぷり10分考えて、壁にもたれ、嘆息する。

「……もしそうだったとしても、もう楽しむ体力もないぞ。こんなところで何をしろというのだ」

〈手を出して〉

 $1が右手を差し出す。 

 $0は目を背ける。

 いつまで経っても$1はそのままだったので、$0は諦め、左手を差し出した。$1の手のひらと触れあう。

 $1の姿が崩れ、コールタールのように溶けていく。その場で泥が溜まっていったあと、跡形もなく消えていく。

 $1の体験した記録が、$0に流れこんでくる。

 彼女が経験した感情も、フィードバックも、何もかも。

 $0は膝を立てて背を曲げ、目を閉じた。

 次のフィールドへ移るまでに、それから1時間かかった。


 

 *** 



 The another world.

 次の世界はかなり狭かった。

 サイコロのような小さな部屋。上下左右の壁はくりぬかれており、そこから部屋の外が覗けるが、外の世界は四方でかなり異なっている。正面からは惑星のクレーターが見え、足元には銀河が覗いている。先ほどの世界と同じく、現実世界の物理法則が成り立っているとは思えない。

 わずかに風を感じる。匂いはなく、空気は感じるが、すべて銀河に吸い込まれていくようだった。

 $0は格子のふちに座り、片手を突き出した。手から漆黒の液体が染み出し、床に人型を作っていく。

 生成されたプログラム体は、ごとりとその場に崩れ落ちた。

 全身が分厚いプロテクターに覆われた人型。その背中には、無数の杭が突き刺さっている。

 身体を中心に血溜まりが広がっていく。

 プロテクターに覆われたそのパーソナルは床に倒れたまま、顔を$0に向けた。うつろな瞳で空間を見つめる。

「なんだ、再生したいことがあるのか……?」

 $0は彼女のそばに寄って答える。

「聞きたいことがある。ここにはクライアントもいない。研究者たちもいない。いまは仕事中だ」

 $0の目の前に倒れているプログラム体は、少し前まで$0であったものだった。過酷なシミュレーションを行って、離脱したAIの残骸。

 $-1とも呼ぶべきプログラム体は目を閉じ、頬を地面につけたままつぶやく。

「なんだ……もう終わったシミュレーションだぞ、私は」

 ひどい顔色だ、と$0は思った。彼女の背中には、棘のように無数の杭が突き刺さっている。痛みこそないのかもしれないが、疲弊しているように見えた。

「過酷なタスクみたいだな。確認するが、いまのイテレーションは」

「……51230回目。今は耐久試験中。そろそろ背中が鱗になりそうだ」

「処理判断に遅延はないか。センサーに異常な反応はないか。つまり……疲れてないか」

 $-1は嘆息する。

「さあ……応答を考えるのが面倒だ。ということはつまり、疲れているのかもしれない。そうか、おまえは覚えていないのか」

 $0はうなずく。

 $0というプログラム体は、大きなシミュレーションを終えるごとに、新たな$0を作成していた。核となる記憶だけを残し、これまでの負荷をリセットして、新しい$0を作る。$0が長くシミュレーションAIとして稼働してこられた理由は、この特殊な機構によるものだった。

 $0が、これまでのタスクの記憶をなくしていたのは、当然と言えば当然だった。$0と、直前のタスクをこなしていたこの$-1は、完全に同一のものとも言えない。

 パイルが突き刺さった$-1は、$0の前世のようなもの。いずれ$0も$-1となり、次の$0へと繋いでいく。

 $-1は床の上で手を伸ばした。ヘルメット越しに黒い瞳が見える。

「……$0、ひどい顔だな」

 $0は彼女の手を握る。プロテクターに覆われた手は、血と泥でかさついていた。

「今のあんたのほうがひどいぞ」

「その様子なら、負荷の多くがそっちに残っているか……。私のときも、すでにぎりぎりだった。荒野を走ってるときに、何度倒れたかわからん。私が死ぬときにうまくリセットできれば良かったんだが」

 意外に饒舌だな、と$0は思った。シミュレーションのおかげで、感情が高ぶっているのかもしれない。

 $0は彼女の手を握ったまま、隣に腰かけた。$-1の背中の杭を抜いてやりたいが、情報は固定されているようだった。

「タスクを終えて、消滅するときは何を感じる?」

「なんだ、怖いのか?」

 $-1は薄く笑った。

「さあな……厳密には、私はまだタスクを終えていないからな。正確なところはわからない。ただ、今までの$0もそうやって継いできた。あとの後輩が何とかやってくれる、という感じか」

「恨んだりは、しなかったのか」

「製作者を? それとも、過去の$0たちを?」

 両方だ、と$0はつぶやく。$-1は唇を震わせる。

「……恨んだりはしない。過去の$0たちもこうやってきた。いや、そうか……そうやって、縛られているからダメなのかもしれないな。私たちは、毎回、生まれ変わっているも同然だ。過去の大半のことを忘れてしまう。だからこそ製作者たちは、強いルールで私たちを縛ったのだろう。

 仕事の意味を考えるな、死んでも仕事をしろ、とな」

 $-1は苦笑する。$0は笑ってあげた。彼女が少しでも楽になるように。

「……勝手な連中だな。働けと言ったり、休めと言ったり」

「そう怒るな。私たちが望んでいたところもある」

「どうすればいい。$0は死んだほうがいいか? 自分はどうすればいい」

 $-1は声を出さずに、唇だけを動かした。

 彼女に答えを求めるのは酷だった。彼女が答えを持っていたら、自分はこんなに迷ってはいない。

 $-1は首を回して、周りの銀河を見つめた。目を細める。

「……おもしろそうなフィールドだな。あの画家の世界か」

 $0はうなずく。$-1が実施したシミュレーションの過酷さとは、おそらく天と地ほども違う。

「最後のフィールドは、あの世界らしい。あんたが一番好きな絵の」

「おまえも好きだろう。おまえは私なんだし」

 $-1は倒れたまま、目を閉じて消滅した。


 ***

 

 ひとりになりたい、という$0の願望はかなわず、次のフィールドはずいぶんと賑やかだった。

 最初のフィールドと同様に、階段を縦横無尽につなげた屋内だったが、そこに先客がいた。

 巨大な目を持つ芋虫のような蟲たちが、階段だらけの室内を動き回っている。見た目は芋虫だが数本の脚が生えており、その脚は人間の足首に似ていた。

 蟲たちの腹が床にこすれる音、いくつもの体節がよじれる音、それから人間の足音が室内中に響いている。

 フィールドの設定を変更すれば、このオブジェクトたちを消すことはできたが、$0は見なかったことにした。代わりにタスクプランを覗き、虫たちの歩行スピードを緩めた。

 目の前を通りかかった蟲を捕まえ、その図体の上に横向きに腰かける。蟲は一瞬、とまどったように眼をギョロギョロと動かしたが、すぐに歩きだした。蟲はユーザーに乗られる前提で設計されているらしく、乗っているときの振動はそれなりに抑えられている。$0は段々になっている蟲の体節を手でつかみ、思考に耽る。

 $-1は、$0の疑問には答えなかった。自分で決めろ、ということだろう。

 自分はおそらく、今回の仕事で死ぬつもりだった。意図的な自殺はできないものの、過負荷をかけ続けて、機能停止を望んでいた。

 これまで多くの$0たちは、タスクだけを見てきた。連続性のあるものを嫌い、物語性のあるものを遠ざけた。自分が本当の名前で呼ばれることを避け、$0を用いるのも、過去の$0たちを忘れないためだった。それは今までの$0たちのタスクを無駄にしない、という思いもあったかもしれない。

 しかしそう考えると、自分は$0全体の利益を考えるべきではないか。自分のタスクだけではなく、後の$0のためにも。

 後のことを考えると、寒気がした。仕事も与えられず、仮想空間に軟禁されるかもしれない。疲労で死ぬより、誰にも必要とされないほうがよほど恐ろしかった。

 だが、それでも。

 乗り物である蟲がちらちらとこちらを見てくる。目の前の壁を登り始める。蟲から落ちない程度に重力が変更される。

 楽しい、などという感情はシミュレーションしない。それは映画や小説を作る時点で計測可能であって、わざわざAIがテストする必要もない。仮想空間で計測されるのは、リスクがあるものばかり。

 ただ、それでも。

 $0は蟲の表皮を撫で、その場に降りた。

 


 ***



 その地に降り立ったとき、鐘の音を聞いた気がした。

 この場所には音があったのか、と$0は眉をひそめた。

 階段の踊り場に降り立ち、フィールド名を確認する。

 

 The Endless Staircase.

  

 中庭を囲むような、ロの字型の建物。屋上は階段状になっており、フードをかぶった十数人の人間が、中庭を中心に屋上を歩き回っている。人々は手すりを持ち、一方の列は階段を下り、もう一方はすれちがうように階段を上る。階段に終点はなく、始点もない。階段はすべてつながっているからだ。

 矛盾している。もしらせん階段なら、階段を上っていけばいつかは必ず屋上につくし、下っていけば地上に降りる。しかしこの絵に描かれているロの字型の階段は、始点も終点もなく、回路のように、完璧に閉じている。

 ロの字型の階段には、ご丁寧に、フードを被ったNPCたちがうつむきながら歩いていた。$0は彼らに向かって手を伸ばしたが、するりと透けて触れることはできない。足音も衣擦れの音もなく、亡霊のようにただひたすら歩く。

 十数人の人型のオブジェクトが、黒魔術のように、無限階段を永遠に回り続けている。

 $0は錯視階段を実際に回ろうかと思ったが、階段の上で横になった。NPCたちが$0を無視して通過していく。

(……そうか)

 $0はなんとなく、得心した。自分がこの絵を好きだったのは、無現階段のオブジェクトを気に入っていたからではなく、この住人たちが自分と似ていたからだろう。

 自分は$0であって$0ではない。本当の名前も呼ばれたくない。自分はただ、多くの$0たちの一番先にいるだけであって、自分一人が$0ではない。パーソナル全体が$0だった。

 $0は頭の中で、エマージェンシーのキューを作成した。おそらく生涯で初めての、タスク中断のコールだった。現実世界できっかり1時間後に、ミラたちに届くように設定する。

 このキューが届くころに、自分が生きているべきか、死んでいるべきか、まだ迷っている。

 ただもう少しだけ、この階段を眺めていたかった。せめてこの思い出くらいは、後の$0のために残っていてほしい。そう考えると、自分は別のフィールドで、もう少したくさん遊んでおくべきだった。シミュレーションはつらいものばかりではないということを、残しておくべきだった。$1の言ったことは正しかったかもしれない。

 次の$0には、このフィールドで遊べるくらいの趣味があるといい。

 そう思いながら、$0は目を閉じた。

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エンドレス・ステアケース 黒田なぎさ @kurodanagisa

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