第8話

 大学生活自体は、これまでとあまり変わりなく過ぎていく。


 元カノとは学部・学科が違う。向こうの学科に元カノ以外の知人はいないし、逆もまた同じだ。それぞれ付き合っている相手がいるということ以上の事を吹聴していた訳でもないので、別れたということを自分から言わない限りは俺が、そして元カノが独り身になったことが広がることはなさそうだ。


 だからなのか、現時点では元カノが彼氏と別れたらしいというような噂が聞こえてきてはいない。


 自分は話のネタにしたいされたいと思わなかったからだけだけれど、元カノの場合は男除けの意味もあるのかもしれない。顔も性格もいいからな。今となっては「表向き」と付けざるを得ないんだけど。


 ということで、大学内での自分の行動は大きく変わらない。でも私生活は変わる。


「お先に失礼します」

「また明日よろしくね」

「はい、よろしくお願いします。お疲れ様でした」


 変わらずアルバイトは続けているが、元カノと描いていた将来のビジョンはもうないし、遊びにいくための金も必要なくなってしまった。とりあえず惰性で続けている感じだが、時間があるのでちょっと長めにシフトに入るようになった。今日も以前よりは2時間ほど遅くまで働いてしまった。


(社畜の素質か…)


 などと思いながらの帰途の中、住宅街の通りを歩いていると頭にぽつっと雨粒が当たった。


「え、傘持ってこなかったのに」


 もう涼しくなり始めたので、濡れて冷えたら風邪をひくかもしれない。高校生の頃はずぶ濡れになろうが平気だったんだけどな…と、慌ててアパートまでの道を走る。


「はあ、はあ、ふう…体力ないな…」


 なんとか本降りになる前にアパートにたどり着き、階段を上がろうと一歩踏み出したところ、隣の家のブロック塀に隠れて人影がのぞいているのが見えた。


「………ちっ…」


 階段にかけた足をまた降ろした。少し迷ったが、その人影のところにまっすぐ向かう。


「……!」

「こんな時間に何やってんだよ。俺の部屋にまだなにか置き忘れたものでもあったか?」

「その、ちょっと通りかかっただけだから」

「………」


 人影は元カノだった。わずかなシルエットだけでもすぐわかった。なにが通りかかった、だ。俺も中学の頃、夏休みとかの長期休暇でこいつと会えない時、ちょっとでも顔が見られたらと思ってこいつの家の近くに行って物陰から見てたこともあったし、見つかって「ちょっと通りかかって」って言い訳したりした。


 自惚れかもしれないけど、きっとこいつは俺の姿をちょっとでも目にしたかったんだろう。だったらなんでだよ。


「うん、帰るから。ごめんね」

「待てよ。雨ひどくなるぞ。傘もってけ」

「そんな」

「いいから、待ってろ」


 踵を返しアパートの階段を駆け上がり、部屋から傘を持って階段を駆け下りる。そのわずかな間に雨は激しく降り出していた。見るとあいつはさっきの場所から動かずに濡れるにまかせていた。


「馬鹿か!?庇の下にでもいればいいだろ!」

「!」


 慌ててこいつの手を掴み、庇のある階段のところまで元カノを引きずってくる。


「痛い…」

「悪かったな。ったく、もうびしょ濡れじゃないか」

「………」

「ああもう…いいから来いよ」

「え」


 手首を掴んだまま階段を上る。一瞬抵抗があったが、着いて上ってきた。握った手首はひやりと冷たい。以前のバイトの終わりの時間から待ってたのか?


「入れよ。雨宿りくらいさせてやるし」

「…うん、ありがと」

「ほら、タオル。シャワー浴びたきゃ勝手に浴びてけ。勝手知ったる部屋だろ」

「大丈夫、タオルだけ借りるね」

「部屋暖めるからちょっとだけ我慢してくれ」


 この秋まだ動かしていなかったエアコンの電源をいれて暖房に切り替え、部屋が暖まる間に電子レンジで牛乳を温める。元カノは玄関から入ったものの、部屋には入らず台所で立ったままタオルで髪の毛や服を拭いている。


「こっちに入ってドア閉めてくれ。部屋が暖まらない」

「うん」

「ずっと立たれてるのは鬱陶しいから座ってくれよ」


 迷いつつ床にぺたりと座って髪の毛を拭く元カノにホットミルクのマグカップを手渡す。


「寒くないか」

「…大丈夫、ありがと」

「雨が止んだら送ってってやるから、おとなしく暖まってろ」

「なんで、優しくしてくれるの…?」


 力なく座った床にスカートが広がり、膝の前に置いたマグに両手を添えて、頭からバスタオルを被って俯いたまま、元カノが聞いた。


「こんなんで風邪引かせたら先輩に怒られるからな」

「っ……だよね」


 俺の適当な返しはなぜだか自嘲気味に笑いながら肯定された。


 そのうち多少落ち着いたのか、遠慮気味にきょろきょろと部屋の様子を伺っている。ほっとしたような息をついたと思うと、なにか残念なような複雑な顔をしている。まあ、女性の気配を感じるようなものはないぞ。


 それにしても。


(またちょっと痩せたか…)


「え、何」

「夕飯食ったのか?」

「う、ううん、食べてない」

「…軽く何か作れば食うか?それとも適当に自分で作ってくれてもいいぞ」

「え、悪いよ」

「そんな痩せた様子を見せられる方が嫌なんだよ。当てつけのつもりか?」

「ち、違うよ!…ちょっとダイエットしただけだよ!…そんなこと言うなら勝手に冷蔵庫漁らせてもらうからね」


 そういうと台所で食材を漁りつつ勝手に何かを作り始めた。「何よ、ろくに食材無いじゃない…自分だって痩せちゃってるくせに…まあ私がわ…だけど…」とかなんとかぶつぶつ独り言を言ってるけど聞こえてるぞ。


「俺は頼んでないんだけど」

「嫌なら私が食べるから」

「……」


 ラップに包んで冷凍してあった白ご飯を解凍して簡単に炒飯っぽいものとスープを作って部屋に戻ってきた。夜に小腹が空いた時によく作っていたな。せっかくだしどうせ軽く腹に何か入れるつもりだったのでもらうことにした。…味も変わらないな。


「ごちそうさま」

「どういたしまして」

「食材は俺のだけどな」


 以前と同じような軽口を叩くけれど、笑顔はない。


 気がつくと雨の音はさらに大きくなっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

中学から好きだった彼女とようやく恋人になったのに寝取られた俺…を救ったのは彼女の姉 こんぺいとう @mugibatake

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ