最終話 《審判》と《月》は静かに寄り添う

 最初は嘘だった。

 ブレーデフェルトを陥れるために、あいつの娘に近づけという父の言葉を守るためについた嘘だった。

 相手が弱っているであろうタイミングを狙っての、嘘の告白。他人に依存しがちな彼女は、迷わず手を取るはず。あとは甘やかして、依存させて、必要な情報をゆっくり抜き出していけばいい。

 そう考えて、偽物の笑顔を貼り付けて嘘をついたが、彼女はそれを見抜いたかのように断った。

(どうして断られた?)

 このままでは父の言葉を守れない。

 焦る気持ちのまま、必死に嘘を重ね、友人として彼女の傍にいれるようにした。スタートは友人でも、ずっと傍にいて行動をしていればいつかは異性として意識するようになるはずだと考えて。一度向こうがこちらを意識したら、あとはこっちのものだ。

 そう考えていたはずなのに、気付いたら自分のほうが彼女に惹かれていたのだから笑えない。

(だけど、嫌な気はしないな)

 父の言うことを守ることを考えれば、何らかの方法でフェリシアからブレーデフェルト家についての情報を抜き出すべきだ。けれど、それは彼女を悲しませる選択だ。

 彼女を本当の意味で好きになった今、フェリシアを悲しませるようなことはしたくなかった。


 詫びの気持ちを形にするために用意した茶菓子を持って、シャロンは歩き出す。

 さあ、あのとき流してしまった言葉の返事をしにいこう。





 さらさらと爽やかな風がフェリシアの髪を揺らし、頬を優しく撫でていく。

 晴れ渡っている空から降り注ぐ光が、妙に柔らかく感じられる。感じる風の中にも花の香りが混ざっていて、フェリシアの心を優しく癒してくれた。

 よく晴れた薔薇庭園の奥。つい数日前まで作戦会議の場所として使っていた小屋の近くは、相変わらず静かで落ち着いて過ごす場所としてはぴったりだ。

 

 一連の騒動に決着がついてから、数日。

 あれほど騒がしくて不穏な空気に満ちていたフェリシアの周囲は、すっかり落ち着きを取り戻していた。


 あの後、ジュアニッタはジュリウスと一緒に駆けつけてきた教師によって連行されていった。その後の彼女がどうなったのか、何があったのか教師陣から尋ねられたときに探ってみたが、あまりにも大きな厄介事を起こしたため、謹慎処分となったらしい。

 退学にならなかったのかと驚いたが、トゥール・ドゥ・マギア学園は魔法の力との付き合い方を教えるための場所だ。ジュアニッタは魔法の力を持っている者の一人、退学にするわけにはいかなかったのかもしれない。

「結局、最初の予定とは大きく変わっちゃったな……」

 小屋の壁にもたれた状態で空を見上げ、小さな声で呟いた。

 小さい頃は、傍観令嬢のままでいようと決意していた。シャロンのことを好きにならず、ルクレーシャとシャロンをくっつけて自分は彼の傍からフェードアウトしようと考えていた。ゲームの『フェリシア』と同じ結末を辿らず、平和に生きるにはそれしかないと思って。

 だが、いざ蓋を開けてみれば、ジュアニッタが起こした事件に盛大に巻き込まれて関わることになった。傍観令嬢のままでいれたかと問われたら、答えはノーだ。

 それに、結局シャロンのことを好きになった。好きになってしまった。

 『フェリシア』の感情に引きずられたわけではない。自分自身の意志で好きになった。

「……そう思うと、結局シャロンからは逃げられなかったのかも」

「おや。フェリシアは僕から逃げようとしていたのですか?」

 苦笑いを浮かべ、呟いた独り言。

 直後、あまりにも聞き覚えがある声が返事をし、フェリシアの肩が大きく跳ねた。驚きのあまり、心臓がどくどくと早鐘を打っている。

 普段よりも早いリズムを刻む心臓を押さえ、フェリシアは声が聞こえた方角へゆっくりと顔を向けた。

 薔薇庭園の小屋に繋がる一本道の前に、シャロンが立っている。

 一体いつからそこにいたのだろう。空を見ていたせいもあるだろうが、全く気付かなかった。

「しゃ……シャロン様。いつからそこに……」

「つい先ほど。あなたを探してここまで来たら、ちょうど聞こえたもので」

 驚かせてしまってすみません、と言いながらシャロンはこちらへ近づいてくる。

 そして、フェリシアの目の前で足を止め、未だに座り込んだままのフェリシアを見下ろした。

 逆光になっている彼の顔には穏やかな笑みが浮かんでいる。柔らかく目を細め、口元に笑みを浮かべた彼はとても優しそうに見えるが、フェリシアには悪魔の笑みに見えた。

「それで、フェリシア。あなたは、僕から逃げるつもりだったんですか?」

 笑顔を浮かべたまま、シャロンはそっと小屋の壁に手をついた。するすると下へ下へと滑らせながら身体を折り、フェリシアの正面で片膝をついて座った。

 逃げ道を求め、視線をゆっくりと動かす。しかし、フェリシアが逃げ出すよりも先にシャロンが空いている片手も勢いよく壁についた。

 残されていた逃げ道も完全に塞がれ、フェリシアの表情がひきつる。

 目と鼻の先にあるシャロンの顔は、心底楽しそうな笑顔を浮かべていた。

「ねぇ? フェリシア」

 いいから答えろ。

 口にははっきりと出さない。しかし、視線にはその一言がはっきりと含まれている。

 右へ左へ、視線をしきりにさまよわせていたフェリシアだったが、やがて観念して口を開いた。

「……昔のお話です。正直に申し上げますと、あの頃はシャロン様からの好意を信じられなかったので」

 視線をそらしたまま、白状する。

 嘘ではない。あの頃は、シャロンからの好意を素直に受け取れなかった。信じることができなかった。

 笑顔を浮かべたまま、シャロンはじっとフェリシアを見つめ――一言、口にした。

「嘘だとわかっていたからですか?」

 一瞬、フェリシアの呼吸が詰まる。

 覚えていた。フェリシアがシャロンにかかっていた魔法を解く際に、フェリシアが口にした言葉を、彼はしっかりと覚えていた。

 壁についていたシャロンの左手がゆっくりと動き、フェリシアの頬を優しく撫でる。

「全く……そんなに早くから気付かれていたとは。どうりで、素っ気ないと思いました」

 ああ、もう駄目かもしれない。

 ここまでなんとか頑張ってきたけれど、やはりシャロンを好きになった時点で道は決まってしまっていたのかもしれない。

 ああ、でも――最後にシャロンを、好きな人を正気に戻せたのはよかった。

 諦めに似た感情を抱えたまま、フェリシアはそらしていた視線を彼へと向けた。


 とろりと、愛おしそうに――大切そうに細められたブルーグレーが、こちらを見つめていた。


(え――?)

 てっきり、冷たい恐怖を感じる笑みを浮かべていると思っていた。

 口元だけは笑って、けれど目は全く笑っていない、相手へ強い恐怖を与える顔をしていると思っていた。

 だが、フェリシアの予想とは正反対に、シャロンは甘く優しい顔をしている。愛おしいという感情を隠しもしない、優しい顔。

(これは、一体……)

 フェリシアがシャロンを好きになっても、シャロンはフェリシアを好きにならない――はず。

 では、彼が今、こんなにも優しい顔をしているのは――何故だ?

「最初は、あなたの言うとおり。僕は父に言われて、あなたに近づこうとしました」

 改めて彼の口から告げられた真実。

 フェリシアはずっと前から知っていた真実。

 ずっとわかっていたのに、改めてシャロン本人の口から聞かされると胸が痛む。

「信用させて、依存させるのなんて簡単だと思っていました。ですが、僕の予想に反して、あなたはうんと警戒心が強くて他者に依存せず、一人で立っていける強い方でした」

 シャロンは話しながら、幼い頃のフェリシアを思い出す。

 知り合ったばかりの頃は、父親や母親の影に隠れてばかりで普通に会話できるようになるだけでも時間がかかった。弱々しくて、控えめで、父親や母親にもなかなか素直に甘えられないような不器用な少女。

 しかし、彼女の母親が亡くなったあの日から、その印象は一変した。

 シャロンが差し伸べた手を取らず、苦しいだろうに、不安だろうに、一人で立つことを選んだ。大丈夫だと口にして、背筋を伸ばしてしゃんと前を見据え、自分の足で歩いていた。

 雪に負けず、凛と咲き誇る冬の花のように。

 ――父の言うことは絶対だからと思考停止して、父に命じられたことを実行しようとしていた自分とは対照的だった。

「なんとかこちらに依存させようと頑張ってみた時期もありましたが……ふふ。一定の距離を保ったまま、踏み込ませないようにしていましたね。本当に、警戒心が強い方だ」

「あ、の、シャロン様」

「……そんなあなただからこそ」

 自分一人で歩いていけるくらいに強い少女だったからこそ。

「いつのまにか、惹かれたのかもしれません」

 人は、自分が持っていないものを持っている相手に惹かれる。

 シャロンの場合、幼い頃から父親の言うことが絶対で自分の意志といえるものはほとんどなかった。

 対するフェリシアは、幼少期こそは両親にべったりくっついて、べったり依存した弱々しい少女だった。しかし、母の死という悲しい体験をした途端、彼女は何かに依存することをやめて自分の意志で歩きはじめた。

 他者の意志に依存し、それに踊らされる気配のないフェリシアの姿は、とても美しいものに見えた。

「気付いた頃には、本当の意味であなたを好きになっていたんですよ」

 そのことに気付いたのは、ずいぶんと後になってからだったけれど。

 至近距離にいるフェリシアはぽかんとした顔をしていたが、じわじわと頬に赤みが増していった。

(ああ――)

 その様子すら愛おしいと思うくらいには、彼女の存在は大きなものになっている。

 内に秘める感情を改めて自覚し、シャロンは愛おしさを隠しもしない、とろけた笑みを浮かべる。

 彼女の頬に触れた手からは、見た目どおりの熱が伝わってきていた。

「あ、の……シャロン様。それは、一体、どういう……」

「……わかっているくせに」

 勘がいい彼女のことだ。シャロンが何を言いたいのか、本当はもうわかっているはずだ。それでも知らないふりをして、逃げ道を残そうとする姿にはいじらしさを感じる。

 逃げ道を一つ、また一つと優しく塞いで追い詰めたくもなってくるが。

「あなたが好きですよ、フェリシア。今度は嘘ではなく、本当の意味で」

 耳元に優しく唇を寄せて、今度は嘘を交えていない想いを告げる。あの日、流してしまったフェリシアの言葉の返事を。

 フェリシアが目を大きく見開いた。

 薄氷色の瞳の奥に恋情と歓喜の色が混じる。

 しかし、彼女はすぐにそれらを隠すかのように目を伏せて視線を下げた。

「……私を好きだと言ってくれるのは嬉しいです。が……シャロン様は、何らかの目的で嘘をついたのでしょう? その目的はどうするんですか?」

 シャロンの脳内に、きっかけになった父の言葉が蘇る。

 もし、父の言葉に従わなかったら――わずかな恐怖が心の奥底に芽生えるが、今ならそれを飲み込んで新たな道を選ぶことができる。

「正直に言うと、僕があなたに近づいたのは父の言いつけを守るためです」

 それがある限り、フェリシアはシャロンの手を取ってはくれない。

 どれだけ一緒の道を歩きたいと叫んでも、寄り添うことすら許してくれない。

 ならば、シャロンが選ぶべき道は一つだけだ。

「でも。自由に生きるあなたの姿を見ているうちに、考えが変わりました。父の言いつけを守るだけの生き方なんて、くだらない」

 フェリシアに出会うまでは、父がシャロンの世界の中心だった。父の言うことは絶対で、父の言うことに従っていればいいと思っていた。だが、それはただの思考停止なのだとフェリシアに気付かされた。

 一度そのことに気付いてしまえば、父の言いつけを思考停止で守るのがどんなに馬鹿らしいことかわかってしまった。

 フェリシアを両親へ依存している扱いやすそうな少女だと思っていたが、両親に依存していたのは彼女ではなくシャロン自身のほうだった。

「僕は、あなたと一緒の道を歩みたい。そのためだったら、笑顔で父に反抗してみせましょう」

 嘘偽りのない言葉を並べるのは、なんだか気恥ずかしい。

 けれど、思ってもいない言葉を並べるよりは気持ちが少し軽かった。

「――……」

 フェリシアは、伏せていた目を緩やかな動きで開いた。

 口を開いて、閉じて、また開いて――一連の動作を何度か繰り返したのちに両手で顔を覆った。

 唯一隠されていない耳は赤く染まっていて、彼女の手を剥がさなくても真っ赤になっているのが予想できる。

「あなたのためなら、リズレイの名を捨てることすら覚悟しているんですよ。そう考えるくらいには本気ですし、あなたに夢中です」

「……よ、よくそんな恥ずかしい言葉をさらさらと……」

「おや、これくらい恥ずかしくもなんともないと思いますが……あなたがお望みなら、僕が恥ずかしいと思う言葉をたくさん紡いでもいいんですよ?」

「結構です望んでませんお手柔らかにお願いします」

 顔を両手で覆ったまま、フェリシアは早口に返事をした。

 今でも十分恥ずかしいのに、シャロンが思う恥ずかしい言葉を聞かされたら再起不能になる自信がある。

 もしかしたら、からかって楽しんでいるのかもしれない。

 心に芽吹いた思いに従い、フェリシアは指の間からシャロンの顔を見る。狭められた視界の中、見えたのは甘くとろけた視線でこちらを見つめるシャロンの目だ。

 顔だけでなく、全身に熱が集まってくる。

 ただフェリシアをからかっているだけの可能性も考えたが、違う。

 シャロンは彼が口にしているとおり――本気だ。

「……本気なんですか?」

「本気ですよ」

 呟くように言葉を紡げば、それに対する返事が即座に返ってくる。

 大きく深呼吸をし、まだ顔に集まったままの熱を少しでも冷まそうとしながら、フェリシアはずっと顔を覆っていた手を下ろした。

「信じても、いいんですか。シャロン様の手をとっても、不幸にならないと」

「ええ。最初は嘘から始まりましたから、素直に信じられないかもしれません。……ですが、今の僕は嘘をついていません」

 そういって、シャロンは壁についていた手を離した。フェリシアの頬に触れていた手で、優しくフェリシアの片手を握った。

 壊れ物に扱うかのように。

 めいっぱいの愛おしさを指に絡めて。

「――フェリシア」

 唇で優しく紡ぐのは、全てが始まった『あの日』の再現だ。

「今度は嘘ではなく、本当の意味で言わせてください。――あなたの中の特別を。あなたのもっとも傍にいられる権利を、僕にくれませんか」

 真っ直ぐで、真剣な目がフェリシアの心を射抜く。

 姿勢といい、紡がれた言葉といい、シャロンに偽りの告白をされたあの日のようだ。

 あの日と異なるのは、お互いに成長していることと――お互いに、お互いを恋い慕う想いがあること。

 彼の手をとって不幸になる未来など、今はもうないはずだ。

「……シャロン様」

 深く深呼吸をし、自分の中でぐるぐると渦巻いている嬉しさや恥ずかしさ、そして未だに微かに残る恐怖を一度飲み込んだ。

 もう目の前にいるシャロンのことを恐れなくてもいい、彼の手によって不幸の道に叩き落される理由はもうない――頭では理解しているつもりだが、九歳に経験した母の葬儀のときから今に至るまで、心の奥底にずっと根付いていた恐怖は簡単に振り払えそうにない。

 だが、これからのフェリシアには必要のない感情だ。

 頭の中で散らばっている言いたい言葉を一つずつ丁寧に拾い上げ、言葉として組み上げていく。好きな人に真っ直ぐな返事をすることが難しいことであることを、こんなところで思い知るなんてあの頃のフェリシアは予想しなかっただろう。

「シャロン様が正直に教えてくれたので、私も正直に言います」

「……ええ」

 ほんの微かな変化。

 ほとんどの人は気付かないだろう微弱な変化だったが、シャロンの表情が強張った。

 彼のように堂々としていて、何事にも恐れない余裕のある振る舞いをする人物でも、告白の返事には身構えてしまうものらしい。

 そういうところは年相応の子供だなと感じ、思わずフェリシアの表情が緩んだ。

「私は、九つのときのあの日から、シャロン様を怖いと思っていました。私が弱っているタイミングにこんなことを言いだすなんて、裏で何かを考えているのではないか……と」

 本当は、それまでの『フェリシア』が今のフェリシアになって、自分の未来に気付いたからだけれど――素直にそれを伝えたところで、理解されないのはわかりきっている。

 故に、フェリシアは一部をぼかして話し始めた。伝えないだけだから、嘘をついているわけではないはずだ。

「だから、最初はあなたから離れるつもりでした。良い友人のまま、最後には離れてしまおう……と」

「……ずいぶんと寂しいことを考えていたのですね、あなたは」

 小さな声で呟いたシャロンは、どこか寂しそうだ。

 そんな彼を見つめたのち、フェリシアは緩く首を振って申し訳なさそうに笑った。

「ですが、あなたと一緒に過ごすうちに、私はあなたに惹かれていました。そのことに気付いたのは、ポップルウェル様の騒動の途中ですが……」

 恐る恐るフェリシアはシャロンの手を握り返す。

「……幼い頃から根付いていた恐怖を完全に取り除くのは、時間がかかると思います。それでも、あなたと一緒の道を……私も、望んでいいですか?」

 シャロンの瞳が大きく見開かれた。

 もしかしたら、心のどこかで拒絶されると思っていたのかもしれない。

 確かに、シャロンが以前のシャロンのままだったら、フェリシアは自分の心に嘘をついて彼を拒絶した。そうするくらいに、シャロンはフェリシアの中で脅威だった。

 けれど、彼を拒絶する理由はなくなった。まだ彼に対する恐怖は根付いているため、すぐに拭い去ることはできないけれど――シャロンが自分にとっての脅威であることを理由に、彼とともに歩む未来を捨てる道はもうない。

「……ええ、もちろん」

 目を見開いたままだったシャロンが噛みしめるように答え、嬉しそうに表情を緩めた。

 愛おしそうに、幸せそうに――嘘偽りのない幸せを最大限に表す顔で、シャロンは手を握り返す。

「ありがとうございます。怖いだろうに、一緒の道を歩んでくれると答えてくれて」

「いえ……こちらこそ、ありがとうございます。……本当の意味で、私を好きになってくれて」

 シャロンの言葉に対し、フェリシアは首を左右に振って答えた。

 本当に、感謝するのはこちらのほうだ。本当の意味で好きになってくれただけでなく、フェリシアと一緒に過ごすためならリズレイの名を捨てても構わないと言ってくれたのだから。

 シャロンがフェリシアの顔をじっと見つめる。

 そして、悪戯っ子のように笑うとフェリシアの手を口元に寄せ、手の甲に唇を触れさせた。

「――……!?」

 一瞬反応が遅れたあと、フェリシアの頬にぼっと熱が集まった。

 たちまち真っ赤になったフェリシアの様子に、くつくつと楽しそうな笑い声をこぼし、シャロンはフェリシアの手を離して立ち上がった。

「本当に可愛らしい反応ばかりみせてくれますね、あなたは」

「……あ、あまりからかうのは、やめてくれませんか。心臓が持ちません」

「普段から表情が変わらないフェリシアのいろんな顔を見てみたいと思ってやっていますから。頑張って慣れてください」

 つまり、からかうような愛情表現をやめる気はないということだ。

 まだ顔に熱が集まったまま、フェリシアはじとりとした目でシャロンを見上げる。しかし、シャロンへのダメージは全くないようで彼は楽しげに笑ったままだった。

(本当に、厄介な人)

 けれど、彼のそういうところも好きになった。

 両手で自分の顔を一度覆い、大きく深呼吸をしてから、フェリシアも立ち上がる。頬に集まった熱はまだ残っているが、次第に落ち着いてくるだろう。

「……お手柔らかにお願いしますね?」

「気が向いたら」

「……」

 じとーっとした目のまま、きゅっと唇を横に結んだ。

 シャロンはそんなフェリシアの表情も愛おしいのか、もう一度楽しげに肩を揺らして笑った。

「そんな目をしないでください。冗談ですから」

「……本当に?」

「ええ、本当に」

 そういいながら、シャロンはフェリシアへと片手を差し出した。

 フェリシアは、シャロンの顔と差し出された手を交互に見つめたのちに彼の手をそっと握った。

 いつのまにか自分よりもずっと大きくなったシャロンの手が、フェリシアの手を優しく包み込み、指を絡めた。

「さて、と……フェリシア、少し陽の当たるところへ行きませんか? あなたにご馳走したいものを持ってきたんです」

「もしかして、前に私が言ったお茶菓子の件でしょうか」

「甘いもので手打ちにすると言ったのは、あなたですよ。一番のおすすめのものを持ってきたんです、一緒に食べましょう」

 ――二人きりで。

 耳元で小さく付け足された言葉に、赤くなりながらも頷く。

 満足そうに表情を緩めたシャロンに優しく手を引かれ、フェリシアは彼とともに歩き出した。


 最初に思い描いていた結末とは、全く違う結末。

 フェリシアは結局シャロンを好きになったし、ルクレーシャはフェリシアの親友になったけれどシャロンを好きになることはなかった。シャロンはフェリシアを不幸に叩き落とすことはなく、本当の意味でフェリシアを好きになった。

 全てが全て予定とは大きく異なる結果になってしまったけれど――これはこれで、悪くない。

 まだ立ちふさがっている壁はたくさんあるが、シャロンと一緒ならその壁も乗り越えていけるだろう。


 きっと、これはこれで一つのハッピーエンドだ。

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傍観令嬢は悪役になる 神無月もなか @monaka_kannaduki

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