ゆきまち
一
あたしの住む孤織り街は雪の街ということで知られていたが、ここ五年ほど雪なんか降っていない。かといって、寒くない訳ではなく、霜が霧のように視界に被さると、世界は冬の匂いを帯びてくる。
あたしが透明の空気をのみこむとミルク色の息は吐きだされた。
コートにブーツ、てぶくろ、マフラー。
防寒着は、かさばれば嵩張るほど億劫で、唇が乾いて荒れるのを嫌えばリップクリームは必需品だ。口紅のように、それを塗った。
「待った?」
「あん、かなり」
小さな電気屋のショーウインドウ。
電源の入った新製品のテレビモニター。
そこから流動するノイズ。
『すぐに、とけてなくなる雪も、つもれば世界を密封する檻になる
春になっても、夏になっても、雪は溶けない。たとえ、木洩れ日が陽の熱でアスファルトを造っても、その雪の気配はなくならない。なぜなら雪は、街の表情で、今は心を凍りつかせて、誰も優しい言葉をかけてはくれないから淋しくなって、ふるえていて、街が降らせている雪なのだから』
と、
気象現象をロマンチックにいってもリアリティに触れることはないし、きく耳もてない。
そもそも自分はリアルな人間だから、か。
「だからブランドで流行おってりゃ今時の女ってヤツになんの?」
男に女が媚びるのは、そもそも見返りを期待しているからだ。
だけど、あたしは見返りを期待してはいない。
彼もリアルな思考の持ち主だから、自分の生活や娯楽に折りあいつけて、あたしのためにプレゼントを、なんて発想、ながく付き合っていれば無くなってしまう。
誰だってマンネリな関係には飽きがくるものだ。
演出と恋愛を一緒くたに楽しんでくれる関係を求めて彼とつきあっているあたしには、ささいな気持ちの成りゆきにも敏感で、不平をもらさずにはいられない。
それは、以前ならば、と、どうしても考える自分がいるからだ。
こおり街、凍てつく心。
肌を重ねても、それは一時の気まぐれで、その温もりは愛ではない。
それをお互いに認識しているからこそ、男は、一定の地位を築いて猶、あたしと結婚なんて言葉は出さず、あたしの方も五年以上つきあっている男に対して、愛想笑いのひとつもできない、ただセックスだけの恋人を続けているんだ。
理屈ではない恋の法則に、誰も傷つくことがないなんて有りえない。
あたしは、こんな性格で、いつか幸せに辿りつくことができるのだろうか。
しあわせへの近道が見つからない。
あたしは淋しい女なのだ。
二
責めることは出来ないんだ。
たとえ、その少女の性根がずるく、汚い悪意で埋めつくされていたとしても、僕には、どうすることもできないんだ。
しろい空、しろい地平に水平線、無限に広がる雪景色は銀世界で、送電線をわたって、地球の磁場と交信しながら自分のチッポケサに身震いした。
世界の広大さを思えば自分の存在、自分の境遇、自分の悔やみ、自分の悩み、悪夢がすべて吹っ飛んだ。
でも、これは普通の感性じゃなかったんだと思う。
彼女はいつも泣いているから。
一人でいつも、泣いているから。
彼女が子供だったころ、彼女は僕を探していた。
僕の存在を信じて、探していた。
彼女の信念が現実をくつがえす。
それは、これまでの人類の認識がつくった現実で、僕らの現実とはまるで違っていたけど、くつがえした信念は広大で、愛にみちたものだったから、神様が二人の出会いを許してくれたんだ。
「そんなバカなこと?
あなたって存在しない生き物なのよ」
一蹴した彼女は、ありえないことだと笑って、ひどく僕をののしったけれど、眼に涙をためていた。
「あなたなんて、ほんとに、ただの・・・」
彼女が僕に何を言いたかったのか、わからなかった。
彼女は堪えきれなかったからだ。
熱意と情愛が決意となり、幻想と不可解を受け入れさせて、そうした彼女はセキをきったように泣きだした。
わんわんと声をあげて、十センチの僕を両手で胸に抱きしめて、泣いたんだ。
僕は彼女に締めつけられて、声もでないくらい、くるしくて、気を失いそうだったけど、彼女のために、誰とも違う言葉で祝福したのだけど、それは逆に彼女を切なくさせてしまったのかもしれなかった。
「おめでとう。キミの願いは半分かなった。
僕にはキミを幸せにすることは出来ないけど、キミが幸せを願った冬の妖精は、こうして確実に、いまキミの目の前にいるんだよ」
僕は彼女のずっと傍にいた。
彼女は胸のポケットに僕をいれて、僕はいつも、彼女のことを想って元気づけていた。 くる日も、くる日も、かわらず。
それを永遠に変わらない無限の日常として生き続けていたかったのだが、人間は年をとる。少女は大人の女性に成長し、人間の男と肉体関係をむすんだ彼女には、理想も格調もないシンプルな現実に忠実なだけの女になっていたんだ。
たとえ、どんなに僕が元気づけても、その言葉を、彼女は聞くことが出来なくなっていた。そして、僕は世界にひとりきり、話し相手もなく取り残されてしまったんだ。
「この広い世界で、たった一人の僕はいったい、どうやって生きればいい?」
むなしい嘆き、応えるものなどいない独り言、重圧、胸に響いていた。
三
言葉ってのには意味があるよね。
夢のような戯言ってのにも意味あるし、色もってるよ。
赤いんだったり、白いんだったりさぁ。
言葉では言いあらわせないくらい素晴らしいってのも一種の言葉だし、って考えると言葉ってスゴイよ。
と、
それは唇だった。
視線を釘付けにさせる、その一点にそそいでしまった。
注意の対象となる唇は、舌なめずりしたり、酒をのむ。そのたびに愛しくて、キスをしたのは彼女の方からだった。
「どうして?」
きこうとしていたのに彼女はそれを遮った。
「妖精だっているんだもん、神様がいたってオカシクないでしょ」
ククククククククククククッと含み笑いをする彼女は、僕をオモチャで出来た人形の家に付属する椅子に座らせて、
「神様ってのは本意じゃないわね。九天玄女ってのが好みかも。まっ、べつに名前はどーだっていいんだけどさ」
と彼女は、カクテルグラスに酒をそそいで一人、呑んでいた。
「アンタは長い間、いろいろ考えていたよね。まっ、あたしにとっちゃ短いけど、ほらっ、よーせーとかニンゲンとか、神様とか、違うじゃん。寿命ってさぁ。まっ、余計な話だよ。っで、見てたらさ、可哀想になってんじゃん。そいで、なんかちょっかい出したろ思ってさ。勝手に出てきたんじゃないよ、勘違いしないでね。アンタがあたしを呼んだんだからね」
彼女はいった。
「ヒトを幸せにできるのはヒトだけだし、よーせー幸せにできるのはよーせーだけ、その境遇を運命と受け入れさせているのはあたしだけど、あたしは不幸を望んではいないからさ。一人でも多くの幸せが見たいんだよ。街全体が寂しがっている此処で、これ以上泣いている子たちを、あんまり見ていたくないんだよね、あたしはさぁ」
彼女は、僕の寿命が長くないことを知っていて、それを見届けてくれにきた。
そして、僕自身の存在が、この世から消えてなくなることを教えてくれていた。
「僕が死んだら、僕の想いは何処にいくの? 彼女を想うこの気持ちも、僕と一緒に消えてなくなるの?」
彼女はいった。
「安心しなよ。雪が記憶していてくれる。雪が街に染みこんで、それが人の心にも伝染するから、彼女だって幸せになれるんだよ。むろん、アンタもね」
と、
それは気休めかもしれなかった。
でも、僕はそれを信じて見たいと思ったんだ。
「べつに、神様が救ってくれるわけじゃないんだね」
四
闇は毎年、寒空に抱かれてやってくる。
その闇は心に浸透する光の儀式の前触れなのだと、あたらしい恋をするには少し年を取りすぎたと自分に思うあたしがいる。
オフィスで、一つ年下の同僚の女は既婚者で、
「いっしょにベッドインしてる姿を想像できる相手ってのがボーダーラインで、それクリヤーしてたら結婚なんてOKだと思いますけど・・・」
と、口ごもるが言われている意味は解るし、自分だって理解して、それをやっている。
だから別に、自分から結婚、なんて言ってもいないし、
「恋には妥協が必要ってこと?」
「自分を誤魔化してまでってのは、ちょっちパスですけど。現実と折りあいつけるのが必要ってことですね」
閃きに訴えるものに期待しているのかも知れない。
シングルのまま、好きな男に別れを告げられ、孤独で無駄に自分を過ごしていて、瞬く間に月日は流れた。半年前、別れた彼は、今どうしているのだろうか?
さびしさに耐えきれなくて気紛れにおくったメールに応えた彼、もういちど会って話をしたいと呼びだされた。
さんざん勝手な男に振りまわされている自分、幻想を抱いている。
まだ彼は、あたしのことを愛しているかもしれない、なんて、妄想だと解ってはいるんだけど。
『もっと耳を傾けてほしいって、わからないの?』
妄想だとは解っているけど、
「君が愛を殺していたからだよ。夢だって理想だって野望だって何だっていい、君がロマンスを忘れて、自分をなくして、だから。また僕は君にとって不必要なものになるんじゃないかと、恐くて、シャットダウンしてしまったんだ」
よくわからない。
「毎年、冬はやってきて、僕は闇に怯えていて、君はいつも泣いていて、僕はいつも君の傍にいて、君を元気づけようとしているのに、君は、まだ僕を思い出せないでいる。
僕には、僕が見えていたのに」
よくわからない。
「わかんないよ。そんな抽象的なんじゃなくてハッキリ言ってよ。あたしに飽きたなら飽きたでいい。嫌いになったなら嫌いになったでいい。あたしにハッキリわかるようにハッキリ言ってよ。好きで好きで、たまんないくらい好きで、それでも別れろって別れなくちゃなんなくて、それを引きよせることもできなくて、気持ちがはなれちゃうから色んなものせびっちゃって、それでまた心がはなれちゃって、あたし、わけわかんないよ。あたし、バカなんだから、ハッキリ言ってよ」
感情の波、いろいろと溜めこんだものがあったからだろう、あたしは涙を流していた。
両手で顔を覆いかくし、幼い子供に戻ったようにバカのように泣いていた。
それを見ていた彼は少し困った表情をしながらハンカチを取りだして、やさしく、
「ほらっ、空をみてごらん」
宥めるように、顔をあげろと指示していった。
「妖精たちがみえるかい?」
交差点、電信柱、歩道橋、人の波、人の波、送電線、送電線、これは毒電波なんだろうか?
きらきらと煌めく光の結晶が数十も、数百も、夕闇の空を駈けめぐって、輝いている。
その結晶が、それぞれに意志を持っているかのように、光の線を交錯させて、虹のようなものも、オーロラのようなものも創って魅了させたんだ。
「僕だけがアレじゃなかったんだ。
神様は、僕が自分自身に閉じこもって、他の仲間たちの存在に気づこうともしなかったことを咎めてもいたんだよ。幸せは自分のためだけにあるんじゃない。ちがう誰かのためにも本当の幸せを、なんて」
彼の言うこと、理解できない。
二人の感覚、空白の実感、たしかに光はみえたけど、錯覚だったと打ち消してしまう自分がある。
「妖精なんて信じられない」
眼を反らしているあたしがいる。
彼は、淋しそうにあたしを見つめている。
「ごめん、もう泣かないで」
泣いているのは、あたしの方で、彼は優しいだけだけど、
「泣いていないよ。それはそうなんだ。わかっている。だから、心配しないでいいんだよ」
彼は、あたしを抱きしめない。
きやすくしないのは大切にしてくれているのだと解るけど、開発されている女には無惨なだけだ。
「あたしは、あなたがいい。あんたじゃないと、あたし、ダメだよ」
子供のようにワガママを言う。
それを押しとおそうとしてるんだ。
彼のいう妖精たちは、もう見えなくなっていた。
「あたしにはファンタジーなんかどーでもいい。ただ其処にあるものが欲しいんだ。ただ此処にいるアンタにすがっていたいんだって、それだけじゃん。それに不満なんかないんだよ。それでもう、あたしには精一杯だって解っているんだから」
まるで神頼み。
彼にすがって叫んでいた。
「わかっている。それはそうなんだって解っているから心配なんかいらないよ。僕は此処にいる。夢でも幻でも何でもない。無い物ねだりしてる君じゃない。ただ在るものを願っているんだ。君のこと、愛しているよ」
Kissをした。
恋を知って、もんじゃって揉まれて辿りついた彼だった。
もういちど此処から始めればいい。
夢のつづきを見るだけだ。
ただ其処にあるものを抱きしめるだけ。
「あたしたち、本当に幸せになれたらいいね」
「大丈夫だよ、これは本当の愛だから」
雪が降る。
雪も降らなくなった雪の街に降る五年ぶりの雪。
それは近年では稀な大雪で、あたしたちが見た妖精だとか、オーロラってのはその錯覚なんじゃないかと理由づけてもいたけれど、白銀の雪景色で、降り積もるだけの雪を見つめていれば、そんなことはもう、どーでもよくなっていたんだ。
まだ陽の熱におびえない街で、光の線が収束する。
気がつけば、これまでのモヤモヤした気分は吹っ飛んでいた。
しあわせってのはたぶん、こういう処から来るんだね。
「そりゃそうだよ。
だって、ずっと僕が傍にいたんだから」
没 なかoよしo @nakaoyoshio
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